まだ答は出せないのだけれど
テレビをおいていないので、今は状況が変わっているのかもしれませんが。
彼女の容姿を角野卓造やマイケル・ムーアに例えていじる、って行為、
彼女にしてみれば商売道具だから、ってことかもしれないけれど、
ずっと好きになれなくって。
それはおそらく芸でもなんでもなく、単に容姿を標的としているから、なのか。。。
とんねるずの保毛尾田保毛尾騒動、
今年になって放映されたものは見ていないし、
そもそもオリジナルは知らないし。
(とんねるずの芸は芸なのか?
元気のいい小学生が教室の前ではしゃいでいるように見えて、
その場所がテレビに移り、しかも内輪でわいわいやっていて、
うううう〜ん)
うううう〜ん。
豊田真由子氏のハゲ発言もそうですね。
ハゲ、デブ、チビ、ブス、老けた、そして性的マイノリティ(いや、これからマジョリティになるかも)といった、
容姿をズバリ指摘するのって、なんだか居心地が悪い。
わざわざ口に出していう必要があるのかなる。
それよりも、もっとなんだろうな、なのが、
いじってもいい、という暗黙の了解が、
いじる方、そしていじられる方にもあるのが
なんだか、ううう〜ん、なのですよ。
この居心地の悪さをどう説明すればいいのか、自分のなかで答は出せていないのだけれど、
現時点の心境を残すことで、整理できるかもしれない、と思って書いてみました。
コンビニで新聞を売っていない!
急遽必要になって、ざっと全国紙を拾おうとコンビニへ。
が、売っていない。
いや、売ってはいるんですよ、網羅していない。
いわゆる全国紙の
讀賣、朝日、毎日、日経、産経
の5紙すべてをコンビニで扱っていなくって、
はしごしたものの、どこのコンビニも扱っているのはせいぜい3紙。
主要駅のキヨスクとかでないと揃わないのか。。。
まあ、エリア性ってこともあるでしょうから、
全国どこでもこんな状況とは思わないし
(ちなみに、そのとき私がいたのは福岡市中心部)、
年齢層の高い住宅地であれば定期購読(自宅や事務所に宅配)しているから、
コンビニでの新聞購入は見込めないってことも大きな理由かもしれないし。
かつてどうだったか、ってのは記憶が曖昧で、
でも、2000年代の東京はコンビニで欲しい新聞がない!
ってことはなかったので、揃っていたのかも。
でもそれも前のことだから、
今は、今回私が体験したような、ない〜っ!な状況かもしれない。
コンビニって、徹底的にデータをとって活用していて、
明らかな売れ筋 + 販売数は少ないけれど、絶対的なファンがいる + 試験販売
の商品構成で成立していると思うから、
ということは、全国紙5紙を揃える必要はない、って判断されているってことでもあるんだよね〜。
いや、私は新聞をとっていないので、たまに買って読むぐらいだし、
だからといってオンラインの記事をバッチリ確認するってわけでもないので、
残念とかショックとかってことはないのだけれど、
やっぱりそういう現実なんだな、ってことを、逆方向から見せつけられた感じ。
モノにしろ情報にしろ、基本の考え方は一緒だな
「仕入れるときはいつも、なじみだったり架空だったり、それはそのときどきですが、
こういうお客さま、それも具体的に
○歳ぐらいで、こういう仕事をして、こういう体型で、こういう仕事をしていて、
といったことをイメージしているんです」
これ、モノを売ることを生業としている方がおっしゃったこと。
「同じです! 本にしろウェブにしろ雑誌にしろ、企画を立てるときは、
こういう人にこういう情報を届けたい、ってのを具体的に思い描きます」
ジャンルは違っても考え方は同じですよね〜、ということで盛り上がったのでした。
これ、一見、限られた人だけが対象になる、って思いがちでしょ。
でも、そうじゃないのよね。
それってモノや情報が具体的だから、
本来想定していた人が対象でなくても、
それに共感してもらえれば買ってもらえるってわけ。
広く浅く、だと代替はいくらでもあるけれど、
練り込んだ深いものは、これ!ってなるから、
ターゲットそ限定しているようで、
それを求めている人はこれ!これ!となり、
ふたを開けてみたらそれを大好きな人が集まり、
そこにはいろんなタイプの人がいる。
でも共通しているのは、こういうのを待っていた!って望んでいたってこと。
誰にでもいい顔をすると、結局は誰からもってのと一緒かな〜。
ブログは予約投稿の機能を使う
私は、このブログと、もいっこ、イギリスの食についてのブログ(↓)と2つを運営していまして。
そのため、ビジネスへのブログ活用や文章の書き方についてのアドバイス業務を行うこともあり、
そこでよくきかれる質問のひとつが、
「どうやったら毎日投稿できるのか?」
私のブログはともに毎日決まった時間に記事がアップデイトされるけれど、
毎日律儀に投稿しているわけではありません。
出張だったり、仕事の繁忙気だったりすると、そのタイミングでできないことが多い。
なので、予約投稿の機能をフル活用しています。
もし、緊急の記事が出て来たら差し替える、と。
というのも、コンスタントに続ける、ってことが大事で、
なぜなら、ネットの世界は常に動いていないと意味がないと感じているから。
あるときは動きが速く、あるときは停止している、ってのは、
自分の都合であって、読み手には関係のないことなんですよね。
もっと言うと、
コンスタントにやる < コンスタントにやっているように見せる
ことかもしれません。
このことひとつとっても“他者にどう映るのか”という視点を持つ、
ってことにもつながるわけで、
結局、どこを切り取っても自己満足は意味がないんですよね〜。
意思であり意志を貫くのはむずかしい!
確か、南野陽子さんだったと思う。
どーでもいいことの記憶がたくさんあり、そのひとつなんだけれど。
確か、彼女がアイドル全盛期もしくはそのあと、映画で活躍していた頃、
「帰宅したらすぐに掃除機をかける。冬はコートを着たままで。いったん休むと、やる気が失せるから」
といったニュアンスのことを発言していて、
「うわぁ〜、エラいなぁ。とんでもなく忙しいだろうに、すごいなぁ」
と驚いたのです。
(ちなみに、私の記憶の工程は完全に視覚からで、
このときもコートを着たまま掃除機をかけている南野陽子さんの姿が浮かび、
それがばっちり記憶装置にひっかかってしまったのです。
漢字も音ではなく見た目で覚えているので、文章としては使えるけれど、
読めないものがたくさんある。。。)
育ちがいいんだろうなぁ、と思ったし、
性格かなぁ、とも思ったけれど、
それもありつつ、意思であり意志なんじゃないか、と。
やらないと気持ち悪いぐらい習慣化している、ってことですよね。
なんでもかんでも完璧にこなす!のは無理だとして、
やろうと決めたものは、優先的にやる、ってことかもしれない。
のばせばのばすほど、やる気はなくなるし、
挙げ句、もういいや、になっちゃうし。
言うは易く行うは難し
わかっちゃいるけど、ですなぁ。。。
いやね、ケオスと化した仕事スペースを見るにつけ、
コートを着たまま掃除機をかけている南野陽子さんの姿が頭に浮かぶんですよ〜。
あうっ!
それは理由にならないんじゃないかな
私の場合、ダイレクター(制作指揮)の立場にいるときは、仕事を発注するし、
いちエディター、ライター、アドバイザー、イギリスの食専門家の立場のときは仕事を受注します。
仕事ゆえ、お金が当然絡んできます。
受注するとき、最初にお金の話しないところ、なぜか多いのよねぇ。。。(すでに仕事をしたことがあるところで既存のものと似通った内容であれば、予測はできるけれど、まったくの初めてでも)
受ける/受けないの判断は、金額だけじゃないし、スケジュールとの兼ね合いもあり、
高額だけれど振り回されストレスになると思えば断るし、
安いけれど(とはいえ足が出てはNGだけど)やりかったこと、キャリアに必要、と判断すれば受けるし。
だから一概に金額の高い/安いで判断するわけではないんです。
安いときってのは、あくまで予算の問題。
だから、予算がこれだけなんだけど、といったシンプルな理由、のはずなのに、
・知り合いだから
・同郷だから
・同じ学校だから
とか、理由にならない理由で安くしてもらって当然という態度をとられることがあります。
これって、違うんじゃない?
知り合いだからいいですよ、同郷のよしみで、
って、こっちが言うのならともかく、
発注する側がそれを理由に安くてもいいでしょ、を迫るのは違うと思う。
(私は知り合いであればあるほど、説明の手間が省け、ときに融通もきかせてくれるので通常より高額でいいと思っています)
理由にならない理由で安く発注する姿勢って、
あなたの能力はこの程度ですよ、って言っているようなもん。
それって失礼じゃない。
さらに、安くやってもらった、を口外する人もいて、
それも失礼な話。
その人の市場価値を下げているのに気がつかないのかしらん。
「この仕事、この人にやってもらいました」
それだけでいいんじゃないの。
甘えなのか、無自覚なのか、理由にならない理由をさも当然のように振りかざされるのって、なんだかなぁ。