書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

それは理由にならないんじゃないかな

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私の場合、ダイレクター(制作指揮)の立場にいるときは、仕事を発注するし、

いちエディター、ライター、アドバイザー、イギリスの食専門家の立場のときは仕事を受注します。

 

仕事ゆえ、お金が当然絡んできます。

受注するとき、最初にお金の話しないところ、なぜか多いのよねぇ。。。(すでに仕事をしたことがあるところで既存のものと似通った内容であれば、予測はできるけれど、まったくの初めてでも)

 

受ける/受けないの判断は、金額だけじゃないし、スケジュールとの兼ね合いもあり、

高額だけれど振り回されストレスになると思えば断るし、

安いけれど(とはいえ足が出てはNGだけど)やりかったこと、キャリアに必要、と判断すれば受けるし。

 

だから一概に金額の高い/安いで判断するわけではないんです。

 

 

安いときってのは、あくまで予算の問題。

だから、予算がこれだけなんだけど、といったシンプルな理由、のはずなのに、

・知り合いだから
・同郷だから
・同じ学校だから
とか、理由にならない理由で安くしてもらって当然という態度をとられることがあります。

 

これって、違うんじゃない?

知り合いだからいいですよ、同郷のよしみで、

って、こっちが言うのならともかく、

発注する側がそれを理由に安くてもいいでしょ、を迫るのは違うと思う。

(私は知り合いであればあるほど、説明の手間が省け、ときに融通もきかせてくれるので通常より高額でいいと思っています)

ricorice.hatenablog.com

 

 

理由にならない理由で安く発注する姿勢って、

あなたの能力はこの程度ですよ、って言っているようなもん。

それって失礼じゃない。

 

さらに、安くやってもらった、を口外する人もいて、

それも失礼な話。

その人の市場価値を下げているのに気がつかないのかしらん。

 

「この仕事、この人にやってもらいました」

それだけでいいんじゃないの。

 

 

甘えなのか、無自覚なのか、理由にならない理由をさも当然のように振りかざされるのって、なんだかなぁ。