書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

「私の運命線」

 

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少し前、私の人生が変わるほど影響を受けた雑誌があったかな?と思いを巡らせていた。
好き!な雑誌はたくさんあったけれど、決定打はなかった。
雑誌の世界の中に入ることはなく、傍観者だったのよね。
むしろ、映画や音楽の方がショックが大きく、
そのひとつが『気狂いピエロ』だな〜、なんて思った。
初めて観たのは、上京した18歳のとき、1987年だったと思う。
当時はまだ、東京には名画座が少なくなったとはいえ残っていて、
その流れで、ゴダールの『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』が2本立てで名画座で上映されたんだ、と思う。
八重洲シネマ」で初めて観て、「高田馬場東映パラス」でまた観た、記憶。
すぐにガツンとやられたのは『勝手にしやがれ』で、映画館を出たら見える景色が一変していた。
気狂いピエロ』は、観た直後はよくわからなかった。
でも、時間が経って、ときどきフラッシュバックのように蘇ってくるのは、圧倒的に『気狂いピエロ』の方だった。
色、構図、(小説や詩、絵画などからの)引用、ファッション、政治、景色、音楽、観客への話しかけ、、、、、
コラージュ(今でいうサンプリング)というか、スクラップブックのような雑誌のような感触で、
映画のその世界に、気がつけばノックアウトされていたのだよ。
ちなみに、『気狂いピエロ』がオシャレ映画としてもてはやされるようになったのは、90年代に入り、渋谷系以降、だったんじゃないかな。
 
気狂いピエロ』のポスターを部屋に飾っていた時期も長かった。
もらったもので、「高田馬場東映パラス」のアンケートに、ポスター欲しいなぁ、なんて何の気なしに書き添えたら連絡が来たんだったか、
月間情報誌「シティロード」のプレゼントで当たって編集部まで(西新宿だったかな?)受け取りに行ったんだったか。。。
うれしい偶然もあって、20年前、イギリスに住んでいた頃に、
帰国する前にフランスを5〜6週間ぶらぶらしたときのこと。
時間はたっぷりあったので、本で見てどうにも魅かれた地中海の島、ポルクロル島に行った。
数年後知ったのだけれど、この島、『気狂いピエロ』のラストシーンのロケ地だったのよね。
あ〜、そうそう、あの光の感じ、あの海の感じ、土の感じ、松林(?)の感じ。
 
気狂いピエロ』ではいろんな言葉が登場するんだけど、
“(LA) MORT”(死)もあった、ような。。。