インスタグラムと私
インターネットやコンピュータ導入はぐっと早かったものの、スマホデビューは遅かったな。
そもそも電話が苦手なもんで、携帯電話もやむなく持つにいたったぐらいだし。
そして、単機能高性能の機器が好きだから、というのも理由として大きい。
オーブンレンジなんて、オーブンと電子レンジが一緒ってどーゆーこと? 実際に使い勝手も悪いので、オーブンはオーブン、電子レンジは電子レンジで所有。
同じことがスマホ/携帯電話にもいえて、カメラ機能を求めていないんですよね。
これは、今もあまり変わらず、基本的に写真をとるときはデジカメを使っています(つまり持ち歩いている)。
スマホで写真を撮るときは、せいぜい写真撮ってすぐFBにアップしたり誰かに送ったりするぐらいかな。
あれこれで撮ると画像をバラバラしてしまうから、ガジェットを一括して管理したい、って思いもあるし。
そのためには、ものぐさな私は使う機器もひとつの方がラクチンなわけなのです。
そんなスマホの使い方をしているもんだから、インスタグラムって興味がなかったんですよね〜。
画像たくさんで重くなんないかな、ってのも気になったし。
でも、SNSの使い方とか人にどのこうの言う仕事もしているわけだから、やっぱりとりあえずアカウントだけは持っとかないとね〜、ってことで随分前に始めはしたけれど、そんな状態でした。
当初は、あまりピンと来てなかったんです。
たとえばツイッター。私もアカウントは持っていますが、完全に開店休業状態。自動シェアだけしています。
ツイッターの場合は、相互やりとりって時間をとられるし、そもそも文字打ちはコンピュータのキーボードが圧倒的に速いから、スマホで文字打ちするのって好きじゃないってこともあるし。
インスタグラムも最初はふ〜んぐらいだったので、開店休業というツイッターと同じ運命かな〜、と思っていました。
が、ある程度画像がストックされるようになってから、
「あっ、これ、新鮮! おもしろい!」
って、ようやくすごさに気づいた次第。
言語化できないことが、インスタグラムでは可能なんですよね。
画像を使うことで視覚的に世界観を表現できる、っていうのかな。
ちょっとかたくなっちゃったけど、こんなのどうどう!っていちいち言葉であれこれ説明しないで、さっと見せられるっていうね。
なわけで、あるとき世界観を統一するために、最初の頃によくわからないままアップしていた画像を削除。
そう、どう見せたいか!は自分でコントロールできるんですよ〜。
で、視覚要素が大きいせいか、見てくれる人たちがまったく違う!
私のインスタグラムの場合、「いいね!」してくれるのは、それこそ世界中から。
これ、私が英語を添えているからってことだけが理由ではないんです。
だって、明らかに日本語ユーザーでも英語ユーザーじゃない人たちも「いいね!」してるから。
そう、画像だけで「いいね!」なんですよね、言葉は要らない。
これってブログやFB、ツイッターではなかったことです。
なわけで、最近、私、複数のインスタグラムのアカウントを取得。少しずつですがそれぞれの世界を構築中!
10個ぐらいアカウントもって使い分けたい(現在、5つまで)けれど、まだまったく追いついていないので、まずは持っているアカウントを充実させよっと!
今さらながら、インスタグラムの楽しさに目覚めた私です。
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時代が変われば評価も変わる!
忘れもしません、私が自分のコンピュータを手に入れたのは1995年。
マッキントッシュがモデムを搭載したマシンを販売する、というので、
インターネットすごい! こんな画期的なことってあったかしら!と熱にうかされたような状態だった私は、待ってました!とばかりにとびついて買ったわけです。
何がすごいかって。
- コンピュータの小さなウィンドウで世界に(!)つながれる
- そこには大企業も個人も関係ない
- これまで人やメディアが情報を伝搬していたのが、情報が人やメディアをつなぐ
電話回線は文字どおり、www(world wide web)となり、世界のいろいろな情報が瞬時にこの手に入ってくることにえらく興奮していたのです。
で、周囲の反応は、というと、
・あなたにどうしてコンピュータが必要なの?(補足:このとき私はすでに出版・広告などの仕事をしていて、時代はやっと印刷所に文字原稿だけはデータ、フロッピーで入れるという時代。なので、買うのはコンピュータではなくワープロが圧倒的)
・インターネットぉ〜? なんじゃそれ? あんなもん何がいいんだ?(これは紙媒体では、実は今も土壌として色濃い)
これが大方の反応。
あからさまに馬鹿呼ばわり&馬鹿扱いです。
もちろん、なかにはコンピュータいいね!って人もいたけれど、そういう人たちが熱狂してたのはシステムなんだよね、生活のなかの道具という位置づけじゃなくって。
私はシステムはからっきし、なんだけど、ネットがもたらすことがすごい! これは世界が変わる!と思ったし、実際につながったときの興奮ときたら!
システムはまったくダメダメだったので、ホリエモンたちのようにはなれなかったよ。。。
実際にネットが私の生活に入るようになったら、ああこれからは、ネットの世界は圧倒的に英語が共通言語だな、英語なくしてインターネットの波はサーフィンできない、と痛切に感じました。
もちろんそれまでも英語は大事だったけれど、現地に行けば身振り手振りで何とかなるし、行き先によっては必ずしも英語が有利なわけじゃない。
でも、ネットの世界は言語化されたものでコミュニケーションを図ります。そうなると断然英語が有利。
そこで、せめてアレルギーのない程度になっておこうと、数年後に渡英したわけです。
これは、あからさまに馬鹿呼ばわり&馬鹿扱いされなかったけれど、その年齢(30歳ぐらい)で外国行くの〜?(当時はまだこういう考えが大半でした)、自ら進んで仕事をやめて(当時勤めていた会社に席はあけておく、と言われたけれど、先のことはわからないからと断った)まったくの白紙にして、だったので、相当びっくりされました。
その数年後、今から10年前、すでにイギリスの食に相当心を動かされていて、自分でちまちまやっていたけれど、一度基礎からそして体系的にやろう!と現地のクッカリースクールに。
このときも、イギリスで食を学ぶぅ〜、皮肉まじりに、本でも出すの?(数年後、本当に自著を出版するとは、このときはまったく想像だにしていなかった)と半笑いされるのがオチ。
何が言いたいか、っていうと、
これらのこと、今は、逆に感心されることの方が多いんですよ〜。
私は、こういう外野の声が、ああ何か言っているなぁ、ぐらいの受け止め方なので、見返してやる〜!とかそういうのもなくって(見返すために、が目標って、精神的につらくないのかなぁ? それで目標達成したときとしても何が残るんだろう? 虚しくないんだろーか?)、ただ、時代が変わると評価も変わるんだなぁ、とつくづく思う今日この頃。
そう、人の評価なんて、こんなもんです。
メインストリームにないもの、というか自分の理解の及ばないものは、馬鹿にした態度をとる/卑下するっていうか、ね。
なので、本当にやりたいことがあって、でも周囲がぎゃあぎゃあ言うことに、いちいち心乱されなくてもよろしい。
というか、そこで心乱されるぐらいっだったら、本当はたいしたことじゃないんだよね〜。
腹をくくりなさい!
まずは一歩踏み出すこと、これだけで半分やったも同じ
イギリスの食についての仕事で、私のもうひとつのブログ「イギリスの食、イギリスの料理&菓子」(の記事)をうろうろしているときにぶつかったタイトルがこれ。
デリア・スミス曰く「本を眺めているだけでは料理の腕は上達しない」
デリア・スミスというのはイギリスの著名な料理家で、彼女の発言の主旨は別のところにあったのだけれど、
「本を眺めているだけでは料理の腕は上達しない」
っていうのは、まったくそうだなぁ、と思うのです。
自営業や中小企業の方には、
「SNS始めてみたらどうですか? 自分から発信すること、仕事そのものじゃなくっていいし、実のところその人がどういう人かわかる、身近なことが意外と大事だったりするんですよ」
「たったひと言、おはようございます!だけでもいいし、写真を投稿するだけでもいいし、合わないなと思ったらやめればいいし、身構えなくっても大丈夫!」
といったことをお伝えするのですが、なかなか実行に移すのがむずかしいみたい。。。
理由は、
・忙しいから
・書くことがない
・やったところで何のメリットがあるの?
などなど。やらない理由はにぎやかです。
SNSはデメリットもあり、私自身経験していて、だからこそ素っ気ない使い方をしているものもあります。
でも、トータルでみるとメリットの方が大きいんですよね(個人的な感じ方としては、メリットという言い方が正しいかどうかは疑問ですが)、現に仕事につながってきたわけだし。
いったん始めると、それまで頭の中で思い描いていたことと違って、やってみて初めて見える世界というのは確実にあるのです。
そして、じゃあこうしようかな、ああしようかな、と具体的な次の一手を考えられるようになります。
SNSに限らずですが、躊躇している人は、あれこれ考えずにまずはやってみればいいのに。
机上の空論ではわからない、本を読むだけでは見えない(だって、ここで述べられているのは一般論であって、すべて自分に当てはまるとは限らない)ことがたくさんあって、それは可能性という言葉に置き換えられるのです。
そしてその可能性は、その場に身をおかないと、つかむことはできないんです。
“何となく”の予備軍をどう取りこむか
2017年2月12日(日)、主催の日本政策金融公庫さん主催の、
「移住 × 起業・就農フォーラム in Fukuoka」(福岡市)に参加しました。
目玉として講演やパネルディスカッションがあったのですが、メインは移住 × 起業・就農を誘うための各県や市のブース。
そこでは、当然リーフレットが用意されたりスタッフがいたりします。
ここで、あ〜、もったいないなぁ、残念だなぁ、と思ったこと、3つ。
その1: 全体をまとめる/俯瞰でわかるものが欲しい
どういうことかっていうと、いちいちそこのブースに行って話をきかないといけないんです。
たとえば稲作やりたい、とか、ITで、とかといった職業に関すること、
住居提供しているとか、補助とかの条件、
山間部、海辺、地方都市などエリアの特性、
まずはこれらを検索できる、俯瞰で眺められるポータルサイト的なものがあると断然便利!
各ブースに行く前にワンクッション欲しいところです。
まあ、これは“移住 × 起業・就農”に本腰を入れているところが主催であればやっているのかもしれませんが。
その2: 予備軍のお客を無視している
もうね、ブースのスタッフの方が手ぐすねひいて待ってる!みたいなノリ。あ〜っ、残念!
“移住 × 起業・就農”する気満々の人が相手、ってこと念頭においているんですね。
それはそれで大事だけれど、こういうところって“何となく”来た人も多いでしょ。
わかりやすく言うと、
デパートにふらっと寄って買い物をしたり、
本屋さんでおっ!と思う雑誌を発見して購入したり、
そういうことってものすごおおく多いんです、日常生活では。
私もそうだったのですが、そういう“何となく”な人間に対して、うまく話ができない。
“何となく来た”人間が何を求めてやって来たのか、話をきける絶好のチャンスでもあるのに、そこに頭が回らないんだろうなぁ、あ〜あ、みたいな表情を浮かべ、なんとしても“移住 × 起業・就農”にばっかり話を持っていくって、ねぇ。
そういう人に対しては、他愛ない話(“移住 × 起業・就農”に関係のないことでいいんです)をして盛り上がれば、それだけでこっちの印象も「楽しかったな」「おもしろいスタッフの人だったな」となって、十分印象づけられるのにねぇ。
そしてそれがゆくゆくは、ってこともあるのにねぇ。
そもそも“移住 × 起業・就農”するという明確な目的で来ている人は、ほっといてもそういう話中心で進むけれど、そうでない“なんとなく来た”、でも来たからには興味があるであろう“予備軍”に対して対策をしていない、っていうのは、せっかくのチャンスをみすみす逃しているように思えて仕方ないのです。
その3: 思い切ってコレ!って言っちゃえば
とかく、あれも用意してます、これも用意してます、ってのを謳い文句にしてるけど、それって裏を返せば、何もないってのと一緒だと思うんですよね〜、うっすらととりあえずは揃っているってことで。
うちは就農移住者が欲しいんだけれど、ITでがっつりやっていく。IT不得手者はお断り!みたいに言い切っちゃった方が、そこのエリアの個性にもなるし、実際に住んだときのおもしろさにもつながると思うんだけどなぁ。
要するにとっかかりに欠ける、ってことかな。
そして、これって今の時代、これはこうです!みたいな(押しつけの)発信の仕方じゃなくって、何となくおもしろそう!って前のめりにさせるのが大事だし。
でも綴ったけれど(↑)、ほんと何がきっかけになるかわからないんですよ。
であれば、強く印象づけること、何かわからないけれどおもしろそう!と感じさせるところからスタートした方がいいんじゃないかな。
そして、まずは関わっている当人たちが楽しんでイキイキしていて欲しい。
せっかくやるなら、ね!
すかしたオシャレは、もう要らない
2017年2月12日(日)、主催の日本政策金融公庫さん主催の、
「移住 × 起業・就農フォーラム in Fukuoka」(福岡市)に参加したときのこと(↓)。
ここでは、講演やパネルディスカッションもありました(なかなかにおもしろかったです)。
そこで登壇された方の中にかぶり物をなさっていた方、オーバーアクション&ハイテンションで話をされた方がいらっしゃいまして、
そうそう、そうこなくっちゃ!
とつくづく思ったのです。
私はメディアの仕事や人様の発信のサポートをして、つくづく感じるのは、まずは
・目立つ力
だと痛感しています。
乱暴な言い方をすると、中身はその次。
最初にすることは興味をひいてもらうこと、なんです。
特に地域おこしみたいなのって、
「うちは田舎じゃありません」「こんなにおしゃれです」
(そもそも田舎の何が悪い?だし、そういうコンプレックス要らないと思う)
を出そうとするでしょ。
そんなところが大半は、すっきりしたおしゃれデザインのオンパレードで
(これ、デザイナーのせいではありません。彼らはそのように発注を受けてやっているだけだと思うので)、
それらが集まったときって、まったく埋もれちゃって、産地が変わっても中身が変わっても大差ないんですよね〜。あ〜あって感じ。
ゆるキャラのあり方も同じ。
ねこもしゃくしも右ならえでゆるキャラ作って、何だかなぁ〜、って感じ。
むしろ、意図的に全体の流れに逆らって、反対のことをする。
オシャレだらけであれば、思いっきりダサイものを作った方が全然インパクトがあっていい。
こぎれいにせず、そのままをさらけ出したほうがいい。
何これ?って引っかかるものを。
ゆるキャラを例にとっていえば、
「ゆるキャラ〜っ? うちは予算もないし、そんなものはしない!」
な〜んて、ブームと反対をいくようなことを大きく掲げた方が、「おっ、気骨があるな!」ってなってよっぽどいいよ。
概ね、今の世の中はオシャレに満ち溢れているから、
うわっ、ダサっ!ぐらいが、
まずは存在を認識してもらうためには最良のやり方な気がします。
何がきっかけになるかわからないから
先日、2017年2月12日(日)、主催の日本政策金融公庫さんにご案内いただき、
福岡市で開催された「移住 × 起業・就農フォーラム in Fukuoka」に参加しました。
んっ? あなたはすでに移住していて、自営でずっとやってるじゃない。
確かにそうです。
別段、これから移住とか起業とか就農とか考えているわけではないのだけれど、普段自分が接触のない世界というのは、自分からはなかなか触れる機会がないので、どんなものかなぁという好奇心で、というのが正直なところ。
結果は、というと、やはり自分が普段触れない世界は刺激的でした。
お誘いくださった日本政策金融公庫にしてみれば、これをきっかけに資金調達支援の実績を、というところが本音でしょうが、私に限っては、あいにくすぐにどうこうはないかな。
でもね、日本政策金融公庫が受け身でなくいろいろ活動してらっしゃること、熱心で柔軟性のあるスタッフの方がいらっしゃるってことetcは、こうして直に接したり足を運んだりことで、しっかりインプットされるわけです。
すぐにどうこうはなくても、何かあれば、そうだ!ってまずはの相談場所になるだろうし、周辺に起業や就農を考えている人にすすめる可能性だってあるわけです。
(そういう意味で私は広義の“お客”ってことにはなりうるわけです)
これって、何のビジネスでも一緒よね〜。
まずは活動を、もっというと存在を知ってもらうこと。大事、大事!
私でいうと、今大きく3つの柱
- 食の編集者/ダイレクター/ライター(本や雑誌、ネットなどマスメディアの仕事)
- イギリスの食研究家
- 情報発信サポーター(おもに自営や中小企業向けにSNS発信を中心としたライティングやコツなど)
で動いていて、こんな時代だから、既成の中の人たちとだけでなく、それまで接点がなかったようなところとも組んでやってみたいなぁ、お互いに知らない世界で仕事している分おもしろいこともできるんじゃないかなぁという思いが常にあって、これもやっぱりまずは知ってもらってなんぼから始めないといけないわけで。
事実、一緒にできるとおもしろそうだなぁ、ってところがあったのも事実だし。
おもしろいもんで、これまでの私の経緯を振り返ってみても、何がきっかけになるかわからないんですよ。
現時点ではその芽は感じられないけれど、もしかしたら、今回のことをきっかけに事業を興すってこともあるだろうし、どこかに移住するってことも起こりうるし。
変化に対して、オープンにしていたいと、つくづく思った次第です。
あっ、どうしても編集やダイレクションをしていると俯瞰で見るクセがあるから、そういう視点で見ちゃうし、おまけに第三者だからなのですが、
よかった面と同時に改善した方がいいであろう点もくっきりと見えて、これらについてはおいおい綴っていきます。
私は自分のことをブスだとは思っていないよ
うおおおおお〜っ、これは読みたい!
『ブスの本懐』
強烈なタブー、いったい「ブス」とは何なのか | 今週のHONZ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
いいね、いいね!
大反発を喰らうことを承知で言うと、私は自分のことをブスとは思っていません。
美人とかかわいいとかからも程遠くって、じゃあ、何かっていうと
“ファニー”
だと思っています。
小さな生き物がちょこまか動いてんな〜、そんな感じ。なので、美人/ブスの定義とは違うところにいるような気がして。
美人=いい、っていうのも一概には言えないな、と思っていて
(私は生まれついての美人が大好き! 彼女達はすれていないので、マウンティングをしないし、性格もいい!人が多い気がする)
働き出してからは、むしろ大変だなぁ〜と感じたりして(↓)。
容姿に対してもそうだけれど、他人の評価って基本取るに足りないことで、誰のせいでもなくって、相性が悪いとか、そんなレベルのことだから。
なんか言ってるな〜、ぐらいでちょうどいいんだと思います。
ありのままを受け入れて、(客観視して)そっからなんじゃないかな。