書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

時代が変われば評価も変わる!

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忘れもしません、私が自分のコンピュータを手に入れたのは1995年。

マッキントッシュがモデムを搭載したマシンを販売する、というので、

インターネットすごい! こんな画期的なことってあったかしら!と熱にうかされたような状態だった私は、待ってました!とばかりにとびついて買ったわけです。

 

何がすごいかって。

  • コンピュータの小さなウィンドウで世界に(!)つながれる
  • そこには大企業も個人も関係ない
  • これまで人やメディアが情報を伝搬していたのが、情報が人やメディアをつなぐ

 

電話回線は文字どおり、www(world wide web)となり、世界のいろいろな情報が瞬時にこの手に入ってくることにえらく興奮していたのです。

 

で、周囲の反応は、というと、

・あなたにどうしてコンピュータが必要なの?(補足:このとき私はすでに出版・広告などの仕事をしていて、時代はやっと印刷所に文字原稿だけはデータ、フロッピーで入れるという時代。なので、買うのはコンピュータではなくワープロが圧倒的)

・インターネットぉ〜? なんじゃそれ? あんなもん何がいいんだ?(これは紙媒体では、実は今も土壌として色濃い)

これが大方の反応。

あからさまに馬鹿呼ばわり&馬鹿扱いです。

もちろん、なかにはコンピュータいいね!って人もいたけれど、そういう人たちが熱狂してたのはシステムなんだよね、生活のなかの道具という位置づけじゃなくって。

私はシステムはからっきし、なんだけど、ネットがもたらすことがすごい! これは世界が変わる!と思ったし、実際につながったときの興奮ときたら!

 

システムはまったくダメダメだったので、ホリエモンたちのようにはなれなかったよ。。。

 

 

実際にネットが私の生活に入るようになったら、ああこれからは、ネットの世界は圧倒的に英語が共通言語だな、英語なくしてインターネットの波はサーフィンできない、と痛切に感じました。

もちろんそれまでも英語は大事だったけれど、現地に行けば身振り手振りで何とかなるし、行き先によっては必ずしも英語が有利なわけじゃない。

でも、ネットの世界は言語化されたものでコミュニケーションを図ります。そうなると断然英語が有利。

そこで、せめてアレルギーのない程度になっておこうと、数年後に渡英したわけです。

 

 

これは、あからさまに馬鹿呼ばわり&馬鹿扱いされなかったけれど、その年齢(30歳ぐらい)で外国行くの〜?(当時はまだこういう考えが大半でした)、自ら進んで仕事をやめて(当時勤めていた会社に席はあけておく、と言われたけれど、先のことはわからないからと断った)まったくの白紙にして、だったので、相当びっくりされました。

 

 

その数年後、今から10年前、すでにイギリスの食に相当心を動かされていて、自分でちまちまやっていたけれど、一度基礎からそして体系的にやろう!と現地のクッカリースクールに。

このときも、イギリスで食を学ぶぅ〜、皮肉まじりに、本でも出すの?(数年後、本当に自著を出版するとは、このときはまったく想像だにしていなかった)と半笑いされるのがオチ。

 

 

何が言いたいか、っていうと、

これらのこと、今は、逆に感心されることの方が多いんですよ〜。

私は、こういう外野の声が、ああ何か言っているなぁ、ぐらいの受け止め方なので、見返してやる〜!とかそういうのもなくって(見返すために、が目標って、精神的につらくないのかなぁ? それで目標達成したときとしても何が残るんだろう? 虚しくないんだろーか?)、ただ、時代が変わると評価も変わるんだなぁ、とつくづく思う今日この頃。

 

そう、人の評価なんて、こんなもんです。

メインストリームにないもの、というか自分の理解の及ばないものは、馬鹿にした態度をとる/卑下するっていうか、ね。

なので、本当にやりたいことがあって、でも周囲がぎゃあぎゃあ言うことに、いちいち心乱されなくてもよろしい。

というか、そこで心乱されるぐらいっだったら、本当はたいしたことじゃないんだよね〜。

腹をくくりなさい!