「図書館で本を借りて読みました!」には感謝しかない
今の家は、生まれて(のべ)18番目の住まい
引っ越しを幾度となく経験済ゆえ、モノはなるべく持たないようにしています。
が、メディア(編集、ダイレクション、企画・構成、ライティングetc)に関わる仕事柄、またフリーランスということもあり、
ほっておくと増殖するのが資料の山、山、山。
現在の住居は違うので出版物は購入することが多いのですが、
以前住んでいた東京・世田谷では区の中央図書館が、
東京・文京区には2カ所に住み、いずれも図書館が近く、
しかも使い勝手がよかった!
(文京区では区内の他の図書館の本を取り寄せてくれたり返却できたり)
それは頻繁に利用しました。
娯楽として読みたいもの、仕事の資料用で優先順位は低いものの目を通しておきたいもの、今の動きを雑誌でひととおり確認したい、自習机で資料を整理したり本を読んだり、
それはそれはお世話になりました。
私の区民税は図書館をメインに使って欲しい!と思っていたぐらい。
買うつもりがなくても、あまりのおもしろさに、また資料性の高さに、
図書館で借りたのをきっかけに購入することも少なくありません。
学生のときはお金がないこともあり、本、レコードやCD(!)の貸し借りをよくしていて、
その場合も一緒ですよね。
欲しい!と思えば、自分の財布も開く、という。
ある方が講演に呼ばれ、そこで担当者が図書館で借りた著書を持っていらした、と。
買った本ではなく借りた本であることに、
労力をかけた仕事をタダで享受されるとは!
と、その方は傷ついたそうですが。。。
本が世の中に出てからは、
本の存在を知る → 読む/買む
というのが、通常の流れになるかと思います。
好きな著者で新刊が出たら必ず、とか、表紙に惹き付けられて、とか、書評や誰かにすすめられて、であれば、読む前に買うでしょうし、
図書館や人から借りたりしたら、買う前に読むでしょうし。
本を作る立場であり、自著も世に出した私自身の経験から言うと、
まずは知ってもらえること、読んでもらえることがうれしい。
その上で買ってもらえるともっとうれしい。
という感覚です。
借りた本といえ、貸し主である図書館であったり知り合いであったり、は少なくとも購入しているわけでしょ。
まずはそれだけでありがたいわけですよ。
見ず知らずの人たちが、お金を出して買うに値する、と判断して購入しくれたわけですよね。うれしいなぁ。
借りた人が、自分も買おう!と思う本を作るのが著者であり、制作側の仕事だと思うな。
たいていの場合、資料であれば、とりわけ著者に会うのであれば、購入します。
先のケースにおいて、担当者が買わなかった、というのは、それだけその本に魅力がなかった、ってことでしょ。
その担当者はふせんをたくさんつけていたにも関わらず、いや読み込んだからこそ、買うまでの本ではない、と判断したってことでしょ。
すべては消費者(読者)が決める。
商業出版である以上、本も商品なわけです。
デパ地下でお菓子を試食して、おいしければ買うし、口に合わなければ買わない。
それだけのこと。それと同じこと。
ときには、試食ばかりして買わない人がいる。
悲しいけれど、それは一定数存在する。
じゃあ、その人たちに買ってもらうためにはどうするか。
内容だろうが、プロダクトとしてであろうが(デザインがきれい、とか、表紙がステキ、とか)、買ってもらう努力をせず、
本が売れない、買ってくれない
というのは著者であり、制作側の傲慢の結果以外の何者でもないんじゃないのぉ〜。