書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

うれしさをお裾分けしてもらった気分

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その方とは、10年以上前に何かの集まりでその場に居合わせて、

名刺交換をして、簡単に自己紹介をして、ぐらいで、特に何かの話題で盛り上がって、などということもなく。

ただ、そのときに素敵な帽子をかぶってらしたのと、ペンネームがチャーミングで、それが印象に強く残っていました。

 

その後、年賀状のやり取りを経て、FBでつながったものの、コメントをしたり、といったやりとりを頻繁にするわけでもなく、

それでもなんとなく、今はこういう仕事をしてらっしゃるんだなぁ、というのをウインドウ越しに眺めていました。

 

 

いつだったか、2〜3か月前からだったか、著者として本の制作をなさっていて、

本の進行の具体的な内容、ということは当然なく、心情みたいなものを綴ってらっしゃるのを見るようになりました。

 

 

わかるなぁ〜。

本の制作といっても、

ビジネスと割り切って、“こんなもん”と、とりあえずまとめて体裁を整える(人によってはそれらしい見た目を施す)やり方の人もいれば、

のめり込んで、根をつめて、もう少しもう少し、とつい無理を重ねて、自分で自分をブラックにしてしまう人もいる。本の制作ってアナログだからね〜。

 

その方は後者。

ひとりブラック化はよおおおおくわかる。

こうした方がいいんじゃないか、これ合ってる?と確認をいちいちする、真っ正面から向き合えば向き合うほど、やればやるほど、やることが増えていきます。

 

私の場合は、自分が著者であっても、ほかの方が著者であっても、編集者という立場での仕事をすることが多く、

すると、著者の立場としてはもちろん、編集者の場合でもひとりブラック化してしまう。

 

ただ、編集者の場合、著者と違うのは、全体の進行の舵をとるので、

のめり込んで熱狂している一方で、俯瞰で見てえらく冷静な自分もいます。

 

のめり込んでいるときは、ハイパーな状態になっています。
やること満載だけれど、FBに心情を綴らずにいられなかったと思われる、その方の気持ちは痛いほどわかる。

こういう時の編集者は、マラソンの伴走者みたいなもので、本づくりは長期戦ゆえ、ときにクールダウンを促したり、お尻を叩いたり。

一生懸命な姿勢に応えて、その気持ちが萎えないように、仕事しやすい環境を作るのが編集者の仕事だと思っています。

 

 

その方の本制作は私とはなんの関係もないのだけれど、それでも真摯な姿勢は心を打つので、せめて一言添えるだけだとしても、応援したいんですよ〜。

 

最近、ゴールが見えて、本当に後もう少し!な状況になったよう。

よかった!本当によかった!  うれしいなぁ。

幸せな気持ちをお裾分けしてもらったようで、こちらもうれしい気持ちで満たされていく。