書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

やればやるほど、自分に足りないものが見えてくる

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普段書かないタイプの文字原稿を8000字(ペラ40枚、400字詰め原稿用紙で20枚)書いたら、

原稿に向かう姿勢を通常に戻すに時間がかかりました(↓)。

ricorice.hatenablog.com

 

 

いつもとまったく違う原稿を書いた後、通常引き受けているタイプの原稿を書いていて、

何か違うと感じつつ、自分では解決できなくなり、担当の方の助力を仰いだ次第。

 

そうして、ようやく通常の感覚を取り戻したものの、

次に着手した文字原稿で、またもやうんうん唸る始末。

 

このときは、さすがに自分で解決できたのですが、

書いて寝かし、大きく書き直し、また寝かし、大きく書き直し。

ようやく書き上げて、お渡しして、OKが出たのでホッ。

 

 

商業ライターとして文章を書くときは、自分が書きたいことを書くわけではまったくなく、

企画の意図を汲み、それに沿って、自分を媒介として、文章で伝える。

これが、すんなりできることもあれば、大いに悩むこともある。

 

でも、一晩寝かせると、つまり時間を置いて客観的に見直すと、自分で気づくんですよね。

何ができていて、何が足りないか。

 

気づいたからといって、これだ!という言葉を探し当てて、文章で的確に表現するのは容易ではなく、

10年前、20年前の方がスラスラ書けていた気すらします。

先日、通常態勢に戻れなかったこともあり、

やればやるほど、改めて、伝わる文章を書くむずかしさを痛感します。