書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

こういうことを言える場があるのがいい

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私自身も、親も、達観している(いた)というか、どこか突き放して見ているところがあるので、ここまでシリアスではないにしても、多少なりともこういう思いをさせていたんだろーなー、というのが、これを読んで(↓)、真っ先に抱いた感想。

news.yahoo.co.jp

 

私の場合、いい大人になってなお、「こんなブサイクな人は見たことがない」と両親と私に向かって大マジメに言われたこともあるし、

容姿だけじゃなくって、「あなた、何の取り柄もないじゃない」という言葉も何度となく投げかけられたし、

性格も難あり、

と、まあ、不良物件というか、低スペックを画に描いたような、

“この人よりはマシ”を露骨に出される、ボトムライン・ガールなわけです。

 

ただ、それで苦悩したか、というと、そこまでではなくって、どこか客観視しているところがあるので、

「自分が自分であることを受け入れるしかないんだなぁ。

それに、人間関係ってスペックだけじゃなく、可視化しづらい、タイミングとか相性とかもあるからなぁ」と思っています。

 

でも、上記のような自分に対する他者の視点が、自分だけでなく、自分に近しい人(パートナーとか、(いないけど)子供とか)に向けられる可能性を考えると、躊躇もすれば動揺もする。自分のことは自分のところで完結させたい、と切望する。

なので、リンク先の記事で書かれていることは、そうだよなぁ、と頷いてしまう。

 

 

この記事を読んで、いいな、と思ったのが、

他人にとっては些細なことでも、本人にとっては大きな問題だ、と指摘していること。

「考えすぎ」という本人の思いを否定するような言葉や、「そんなことない」という毒にも薬にもならない慰めで提案していないこと。

ただ、共有といっているけれど、共有はできない。

でも、わかろうとする態度、ただただ耳を傾けてくれることで、どんなに慰められることか。

 

それと、こういう思いを吐き出せる場がある、ってのも安心させるなぁ。

こういう思いを抱いている人って、こういう思いを抱くことに自己嫌悪を抱き、負の感情のループにはまる、と思うんだよなぁ。

こういう公にしづらい思いを抱くのが自分だけじゃない、とわかるだけで、救われるってこともあるよね。

 

こういう場があることが大事なんだと思う。

 

 

イメージなんて数年でガラリと変わる

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3カ月ぶりに美容院に行きました。

こういう事態に身をおくまで思いもしなかったのですが、自粛要請、外出が憚られる日々で行きたい!と切望した場所は飲食店ではなく、美容院でした。

 

美容院へは、ふらっと行って、あいていたらお願いする(混んでいたら諦める)。担当者も指名しない。

その日、担当してくださったのは、いつもは別の店舗だけれど、その日はヘルプでやってきた、という方。

雨が降り、風が強い日だったので、「台風みたいですねぇ」に端を発し、去年の台風時の多摩川の氾濫、武蔵小杉が被害に遭って、という流れになり、

「私、普段は通勤に武蔵小杉の駅で乗り換えなんですけど、以前の武蔵小杉はおしゃれな街じゃなかったんですか?」と。

 

聞けば、数年前に東京にやってきた、と。

周囲の人が「武蔵小杉はこんな街じゃなかった」と口を揃えて言う、と。

 

「そうねぇ、やんちゃな街ってイメージでしたよ。まさかタワーマンションが建つとはねぇ」

「武蔵小杉って、今は住みたい街ランキング上位ですからね」

「確かに交通の便はいいんですよね。東横線とJR南武線が通っているし。あっ、JRは横須賀線も、か」

「なんといっても、湘南新宿ラインです! あれは便利! 去年からは、相鉄線もJR埼京線もですよ!」

「そうだ! そうだ!」

 

時代は変わる。

彼女のように数年前からの認識だと、武蔵小杉はすっかりおしゃれで便利な街、なんだなぁ。

昔はこうだった、と躍起になって言う必要もないから、「今はどうなの?」と聞いて、「へえ〜、へえ〜、へえ〜」を繰り返す私。

おもしろい! 今度、新生(私にとって、ね)・武蔵小杉を散策するとしよう!

 

街のイメージって数年でこうも変わるんだねぇ〜。

でも、これ、街、だけじゃないよね。

既成概念は常に疑って、アップデイトしていかないとなぁ。

若い世代の言うことに素直に耳を傾けないとなぁ。

そうじゃなくってもいい、って思ってくれればいいな

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先日ご一緒した女性は20代後半。

親御さんと同世代で、目の前の彼女を見ながら、そーだよなぁ、子供といってもおかしくないもんなぁ。

 

「私の周囲、最近、結婚ラッシュなんです。なんだか焦っちゃって。わけもなく、へこむなぁ」と。

 

へええ〜、今時の若い子はそんなこと気にしてない、と思っいた。

 

「おいくつで結婚なさったんですか?」

と聞かれ、自分がそんな風に見えることに、驚く。

私はボトムライン・ガール、というか、低スペックの不良物件、お前ごときにパートナーなんてできるわけない、聞くまでもない、というのが長い間の周囲の態度だったのに、

ひと周り以上若い人たちは、そうじゃない。

まただよ、なんでだろう? 不思議だなぁ〜。
ricorice.hatenablog.com

 

 

「私、生涯未婚ですよ〜。事実婚も同居もしたことないですよ」

「えっ、そうなんですか?」

「周りの同世代で生涯未婚、多いですよ」

「そうなんですね」

「今後、万が一、そういう機会があったら、事実婚がいいな、って思っちゃう。自分か相手かわからないけれど、苗字が変わる時って、いろいろ変えないといけないから大変そうで。。。法的な部分、特に相続とかで改善されれば、ね」

「相続! そうですよね、50代だと切実な問題ですよね!」

「ははは。そうね、若いとそんなこと考えないですよね」

事実婚、ってのも考えたとなかったな。結婚、っていう形式じゃなくてもいいんですよね」

「結婚でも、事実婚でも、同居でも、生活は別であくまでパートナーとしての関係でも、相手と自分とで納得できれば、それでいいんじゃないかな」

「ちょっと気がラクになりました!」

 

 

私の場合は、もともとの私個体として脂質、そして周囲の態度もあり、自分とは関係のないことという認識でずっと来たので、彼女の年齢の時も、結婚はまったくの他人事でしかなかった。

でも、自分がそうだからといって、彼女はそうじゃない。

本人は真剣に悩んでいる、もやもやしている、ってことは伝わってくるから、

一般論を言っても仕方ないし、なぐめようとも思わなかったけれど、私を事例として、そうじゃない生き方をしている人間もいる、いろんな生き方がある、って思ってくれればいいな。

 

人が喜ぶ姿を見るのは根源的な喜びなんだと実感する

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6月20日(土)・21日(日)から隔週末、第1・3土日曜に、ライフワークであるイギリス菓子の出張販売をすることになりました(↓)。

ricorice.hatenablog.com

 

お菓子と一緒に、もちろん飲み物だけ、という方のためにドリンクメニューも用意。

ドリンクメニューは、お借りする工房、Bottega Mimosaでお出しになっているメニューを共有することにしました

(Bottega Mimosaさんは、私と入れ違い、第2・4土日曜が営業日。イタリアなど各国のお菓子やお惣菜などをお出しになります)。

 

工房の使い方とドリンクメニューの作り方を覚えるために、先日2日にわたっておうかがいして実践で練習。

こういうのはレジュメがあっても、実際に動いてみないと、なかなか体で理解できなかったりするんですよね。

 

何時間もご一緒するので、いろんな話を。

実践にあたり、材料や資材、オペレーションなどの情報を得ることができたのもありがたかった。

 

作り手はそうなっちゃうんだなぁ、と思ったのが、

お金を払ってお客さんに出すには、いい材料を使いたくなる、ということです。

初期の、叩きの叩きの試作の段階では、食べるのは自分、せいぜい身内。

そこで使うのは、ごくありふれた一般に流通している材料。

そこからあーでもないこーでもない、と試行錯誤を重ねます。

 

私が運営しているもうひとつのブログで披露しているレシピでは(↓)、

ricorice.exblog.jp

家で作る、を前提としているので、味は及第点、95点でなく、70点でいいので、なるべく少ない材料でなるべく簡単に作れることを意識しています。,

なので、もう少しこうすればもっとおいしくなる、というものが多いのですが、あくまでも基本に終始し、余地がある部分は自分自身が、または活用してくださる方が、アレンジしていけばいい。

 

ところが、自分が製造したものを他人に提供するとなると話が変わってくる。

少しでも質のいいものを作りたい、と思っちゃうんですよね。

その手段として、いい材料を使いたくなる。

でも、良質な材料を使うとその分、価格に反映させることになる。

兼ね合いがむずかしい。

 

そんなことを話したら、Bottega Mimosaさんも同じだ、と。

 

 

よく考えてみれば、自分が作った料理やお菓子を誰かと食べるとき、味は変わらないにしても、見栄えのいい方を同席する人に与える行為と、根本的には同じかもなぁ。

そういう気持ちがあることは否定しないけれど、そこにあるのは見栄を張りたい、というのではなく、目の前の人に少しでも喜んで欲しい、って気持ち。

そして、その喜びは、自分の喜びにもなる、ってことなんだろうなぁ。

 

誰かが喜んでくれる、誰かの役に立つ、というのは、一見些細なことでも根源的な喜びなのかもしれないね。

 

 

ついてる、私!と思えるのは幸せな証拠

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本日、2020年6月20日(土)より、隔週末の第1・3土日曜に、Bottega Mimosa(東京・品川区西中延)の工房をお借りして、ライフワークであるイギリス菓子を出張販売がスタートしました(↓)。

ricorice.hatenablog.com

 

どんなお菓子を出そうかあれこれ考えるのは楽しい。

せっかくなら、今を表現できるものをと、試作を重ねたものも。

 

 

お借りするBottega Mimosaはウッドテラス席があるので、せっかくならそこでのんびりして欲しいな〜。

それはお天気次第。

 

それと、仕込みをするのに、初日にお出しするショートブレッドは、今の季節は最後のチャンス。

暑くなると(湿気も、か)、どうしても生地がだれちゃうんですよね〜。

 

今週は、東京は暑い日が続いたのに、ショートブレッドの仕込みの本番、前日19日(金)は気温がぐっと下がって、肌寒いほど。

ついてる、私!

 

暑くてもできなくはない。

でも、そのために冷蔵庫や冷凍庫をフル稼働させ、時間をうまく調整しながら、になるので、いつも以上に神経を使う。

それが緩和されたので、作業がとてもやりやすかった!

 

 

そして、いざオープン日の20日(土)・21日(日)は、土曜日は天気が回復し、日曜日もなんとかなりそう。

ついてる、私!

 

 

ポジティブ・シンキング、ってわけではないのよ。

自分の力の及ばないところで、目の前に起こったことを、ついてる!と思えるのは、そのときの自分の精神状態はいい証拠なんだろうな。

だって、仕込みの日やオープン日にしても、もっとよければ!を望んで悲観する、なんだか不安がつきまとう、って場合も十分起こりうるわけだから。

 

ついてる、私!と思えるのは、今が幸せな証拠、なんだろーな。

新型コロナウイルスをかさにしてない?

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テレビをおいていないので、ラジオをつけてる時間が長い。

日本語の放送だと、AMをよく聞いているのですが。。。

 

最近気になるのが、

「太ったんじゃない」「太った」という導入。

 

どーでも、いい。心底どーでも、いい。

挨拶がわりに、容姿のことをあれこれ言うの、要らない。本当に要らない。

 

容姿のことをあれこれ言わない、ようやくそんな流れに少しなりつつあるかな、と思った矢先、

新型コロナウイルスで在宅時間が長く、運動不足やストレスでしょ、といううっすらとした前提があるからか、

「太ったんじゃない」「太った」を連呼してるよ!

 

ほんと、どーでもいいよ。

 

“運動不足を解消しましょう”“肥満は健康上よくない”

という企画があったとしても、挨拶がわりに「太ったんじゃない」「太った」っていう必要は1ミリもない。

 

公の場で、いつまで容姿のことをあれこれ言い続けるんだろう。

それだけ話題がない、って証拠に思えて仕方がない。

 

それに、太ってて何が悪い。

痩せてることはそんなにエラいのか。

 

私には、「若く見える」が褒め言葉と思えないように、「痩せてる」も褒め言葉には思えない。

 

ごくごくプライベートな場で、健康面が危惧されるゆえに、または本人が言うなら別だけど、

挨拶がわりに、他人がいちいち声に出して言うってのは、その人の見た目が見苦しい、ってこと?

マウントして優位に立ちたい、ってことかしらん。

 

ますます余計なお世話、余計な一言だよ。

容姿のことは口にしない、他人の身体的特徴は話題にしないに限る、じゃないのかなぁ、少なくとも公の場では。

カップルはどうすればいいんだろう

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お前にはまったく関係ないし、気を揉む必要もないだろう。

それは百も承知なのですが、素直に素朴な疑問として。

 

1〜2週間前に、イギリスやアメリカ合衆国のメディアで、カップルに向けたセックス指南が報道され、

metro.co.uk

www.independent.co.uk

 

そうだよ、そりゃそうだよ、セックスこそ濃厚接触の最たるものだもの。

新型コロナウイリスが蔓延していく状況下で、カップルはどうすぐしているんだろうという疑問を感じていたこともあって(↓)、

ricorice.hatenablog.com

 

こういうこと、日本でも専門家によるガイダンスのようなことが報道されているのかな、

外出自粛が解禁になった、と同時ぐらいに必要な情報じゃないかな、

と強く感じたわけです。

 

 

本能的なことは生きていく上で本質的なことでもあって、触れ合いたくなるのはごく自然なことだと思うのですが、これこそリアルな濃厚接触だもんなぁ。

 

どうすりゃいいのさ。

 

接触するな、には限度があるよねえ。接触するな、は土台、無理だと思うよ。

 

性の悩みは相談しづらいだろうし、聞く人を選ぶだろうし。

だったら、余計にガイダンスが必要なんじゃないか、って思うなぁ。

もしくは、単に私がそういう情報に触れていないだけで、すでに指南が伝えられているのかなぁ(違うよね?)