書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

いい加減、現実と向き合いましょうよ。ねぇ。

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またしてものけぞりそうになってしまいました。

 

先日ご紹介したこのニュース(↓)、

ricorice.hatenablog.com

 イギリスの郵便事業が、長距離旅行先30エリアの値段を調査したところ、

「東京がダントツに安い!」という結果に。

どうやら日本語訳となって(おそらくネットニュースで)伝えられたようで、

つらつらラジオを聞いていたら、このことを取り上げまして。

 

そこで繰り広げられた、えらく納得いない声色のアナウンサーたちのやりとり。

 

「レート換算の問題だ!」

「いやいや、こんなに安くない!」

 

とまあ、重箱の隅をつつくことつつくこと!

 

そこには、いまだに、ここは日本だぞ!(バカにすんな!)が色濃く漂う。

 

過信? 希望? うぬぼれ? 重症だなぁ。

 

 

あのさぁ、多少の間違いはあるにせよ、もう一度やり直すにしろ、結果は変わらないと思うよ。

日本は安い国だってこと、いい加減認識しようよ。現実を見ようよ。

 

挙げ句の果て「調査対象の東京がこんなに安いんだったら、福岡はもっと安いよ。プロモートしてよ!」(福岡のラジオを聞いていたので)

な〜んて言っていたけれど、プロモーション以前に、まず一般のイギリス人は福岡なんてところ、知りませんから。

そのアナウンサーが「(ヴェトナムの)ホイアンってどこ?」って訊いていたけれど、一般的なイギリスでの知名度は、間違いなくホイアン以下だと思う。

そもそも日本は存在感ないもの。東アジアは圧倒的に中国だもの。

 

それと、安い!をウリにするって、薄利多売で疲弊して、結果、自分で自分の首を絞めることにならないかぁ?

 

 

お山の大将、井の中の蛙、ほとんど根拠のない日本礼賛、ほんの小さなことをさも大きなことのように扱う、

こんなことの垂れ流しは、一体いつになったらなくなるんだろう?

そこまでしないといけないのかな?

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9月の三連休は台風18号とモロかぶり。

長距離バスでの移動と重なり、17日は運行中止に。

 

それは仕方あるまい。

結果、大丈夫だったかも、であったとしても、

キャンセルの判断は妥当でしょう。

 

その前日「明日どうなるかなぁ。朝起きたら、確認だ」と思ってたところ、

知らない番号から電話が。

 

そう、バス会社から運行中止の電話が。

払い戻しとか振り替えとかは別の電話にしてくれ、とのこと。

 

 

電話がかかってきたことにびっくり。

いちいち電話するんだ〜!

電話とか窓口で予約していればそれしか手段がないかもしれないけど、

オンラインだったらメールでいいのに、と思ってしまった。。。

 

だって、ひとりひとり電話するの大変じゃん。

しかも窓口は別とはいえ、またもや電話で払い戻しとか振り替えとかやるの大変じゃん。

彼らだって、台風だから会社にいたくないだろうに

(いずれもその会社の電話番号だったってことは、自宅作業ではなく、わざわざ連休に出社して仕事してんだよね〜)

 

 

こういう不可抗力に対しても文句言ったり、電話でちゃんと(私はそう思わないけど)連絡を!って認識があったりするのかなぁ。

すっごい手間じゃない。そこまでしなくていいよ。

オンラインでとっているんだから、オンライン連絡でいいよ。

おまけにファーストクラスなんかじゃないから、そこまで気を遣わなくていいよ。

知らない(使わない)、登録していない)番号からの電話もぎょっとしちゃうし。

 


イクメンだの家族サービスだのに対する違和感

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私は子供は必ずしも(血のつながった)親が育てるべし!

とは思っていなくって、

ノーブルな家では教育係がいるだろうし、

大きな商売をする家であれば面倒を見る人がいるだろうし、

親もしくは責任者であっても、すべてを引き受けなくてもいいと思っています。

 

ずっと子供といると息がつまるってこともあるだろうし、

息抜きも必要だろうし。

 

 

ただ、いわゆる一般家庭では、

協力を得るとしても、大半を親(もしくは責任者)が子供の面倒を見ており、

この場合は、一緒に住んでいない場合含め、性差関係なくすべての親が養育者だと思っています。

 

なので、父親が子供の面倒を見るのは、ごく当たり前のことにも関わらず、

イクメン

・家族サービス

なんて言葉が、さもありがたみをもって使われていることに非常に違和感を覚えます。

 

イク女(イクジョ)とか、母親発言の家庭サービス、

逆の使われ方はしないでしょ。

いや、あるとは思うのだけれど、当然とされているあまり表に出てこない。

 

 

そこには、本当はやらなくてもいいのに、本当は父親の役割じゃないのに、

わざわざやってやってんだぞ、が見え隠れする。

ものすごおおい上から。

そこには、誰が稼いで食わしてやってんだ!も透けて見える。

 

加えて、こういう耳当たりのいい言葉を、

なんとかしてくれ!って思っている方も平気で使う、というね。

 

こういう言葉が存在していることがおかしなことであって、

父親が子供の面倒を見るのは、プラスアルファの価値、

ってどこかで思っているのよね。

当たり前のことであったら、こんな言葉、存在しない。

 

 

父親が子供の面倒を見る、のはもはや当たり前のこと。

にもかかわらず、それをわざわざありがたがる言葉が流布しているってどーなんだろう?

問題の根源をあぶり出しているにもかかわらず、こういう言葉をわざわざ命名し、嬉々として使う風潮、なんとかならんかね。

自分が推したところが発展している様はうれしい

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単に“食”といっても、その範囲は広く、

メニューだったり、技術だったり、はたまた素材だったり、生産者だったり、歴史的側面だったり、

その内容は多岐にわたります。

あっ、店舗ガイドもそうですね。

 

私が食のダイレクション、編集、ライティングとして仕事に関わるときも、そう。

ほかにも、店舗や会社を続けるための運営&経営があり、

メニューや技術とは違う視点になり、これが非常に興味深い。

なんせ、私も個人事業主ですからね。

 

そういう店舗を取り上げるときは、

先方からこの店で、という指名があるときもあれば、

「ここ、おもしろいです! 取り上げましょうよ!」とこちらが提案することもあります。

 

 

年に一度ぐらい、ばったり出くわす方がいて、

その方は、まさに、私が「この店、おもしろいな、経営の話をききたいな」と感じ、

取材を快諾していただいたところのオーナーさん。

お目にかかるたびに、ビジネスが大きく発展している模様で

(大きければいいってもんではないけれど、指針にはなる)、

これはうれしい。

 

いつかは、私が携わった記事を取り引き先への説得材料に使っている、

ともおっしゃっていて、これも思いがけずでうれしかった。

 

自分が関わったところが軌道にのっている様子を知るのは喜びであり、

同時にそういうお店を選んだことが読者の方への責任を果たせたようで、ほっと胸をなでおろしたりもします。

 

 

で、先日、その方とまたばったり。

お互いに、「よく会いますねぇ、縁がありますねぇ」と思わずにっこり。

最初にお目にかかったときから何年も経っているので、

改めて名刺を交換。

 

こないだ、別件で、再び一緒にできるかな?

のところも、もともとは私が「ここ、いいと思います! こことやりましょう!」と提案したところで、

プロジェクトが終わってからもぐんぐんと、こちらもやはり大きく発展してらっしゃるようで、うれしい限り。 

ricorice.hatenablog.com

 

いったんその企画の手が離れると、どうしても目の前のことが優先されてしまうけれど、

その後を見届けることも大事だし、それがいい方向に動いていると仕事冥利に尽きます。

 

 

これは笑えない! ひどい! あまりにひどすぎる!

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あまりにひどくって、備忘録としてしっかり記録しておきます(↓)。

日本政府が英語メディアに掲載した「移住推進広告」が完全に「地上の楽園」でした | BUZZAP!(バザップ!)

 

本気でこう考えていて、どーだ! いい広告だろう!と思っているのであれば大問題だし、

ギャグなのか反面教師を目指したのかにしても、逆効果にしか作用せず、

つまりどう転んでも、“ひどい”ってことです。

 

詳細は上記リンクにばっちり説明してあって、

御意!

以外の何物でもありません。

 

ひと言添えれば、ぱっと見で私が違和感を覚えたのが、

若い白人ばっかり使っているってこと(そうでない人たちもいるけれど、ごくサブ)。

 

なんだ、これ?

個人の自由渡航が可能になる前の感覚の、舶来崇める(これは、今も、か。これもひどい!)を前面に出したものと変わらないじゃん

 

黒人、黄色人種イスラム圏がほとんど目につかないだけでなく、

同じ白人でも中年も初老もいなければ、赤毛も白髪も、くるくるパーマも頭が寂しい人もいない。

カジュアルやパンク、ぐっとおしゃれさんもいない。

 

嫌な予感満載で読めば、内容は想像をはるかに超える、それ以上。

止まらぬ自国礼賛と言い、この“地上の楽園”広告といい、

お願いだから、こんなの世界に発信しないで!と願わずにはいられない

そのつもりがなく身内で留めたいこととて、世界に発信されるこの時代なのに。

 

 

ネガティブなことを客観視できず、希望的観測を土台とするのは、

ほんっと、病気だなぁ。

私、これ、元寇の神風で味をしめたのが延々受け継がれていると思っています。

 

でもね、ちゃんと歴史を検証してよ(と言いつつ、歴史に疎いので今ひとつ確信がもてませんが)。

そのあと、神風なんて吹きましたっけ?

 

人の顔を覚えることと覚えられること

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記憶力がいい方、だと思う。

一度会った人のことはたいがい覚えていて、軽く会釈して、こんにちは、ぐらいでも。

 

人の顔を覚える、というよりも、

人の名前を覚える、音でなく、視覚で。

名前をきいて、その文字が頭の中に浮かんで、それがスキャンされ、記憶装置に組み込まれる感じ。

なので、名前は書けても読み方を忘れてしまうことは、しばしば

(同じ理由で、漢字を書くことができても、読めなかったりする)。

 

人の場合は、名前に加え、そのときの状況、たとえば、パンの試食会で会ったとして、コーヒーの専門家も来るんだな、お菓子の専門家はマチのある保冷袋を持ち歩いているんだな、みたいなことを。

 

 

そんな出会いをした人と、数年後、仕事の現場に一緒になることがあります。

先方が私を覚えているケースはあまりなく、

「以前、○○の場でお会いしまたね」と伝えて、ああ、そうでしたか、といわれることもあれば、
怪訝そうな顔をされることもあり、

その場合は、私の方は確信がある場合でも、人違いということにしておく(面倒なので)。

 

 

そんな感じなので、「以前、○○の場でお会いしまたね」と伝えず、

初めてのようなそぶりをするようにしたのだけれど(確かに正面切ってちゃんと会うのは初めてだし)、

先日、先方がバッチリ覚えていてくださっていて、

 

これ、ちょっと感動しました。

本当に些細な出会いで、こんにちは、ぐらいしか言葉を交わしていなかったのだけれど、

それをしっかり覚えていてくださっていたのです。

そのあと、お互いの記憶のすり合わせで持ち上がること、しばし。

 

存在を認められるって、素直にうれしいもんなんだな。

 

 

以前、ワインの仕事をコンスタントにやっていた時期があり、

その関係で飲食業者向けのインポーターさんの試飲会に行ったとき。

著名なソムニエの方もいらしていて、熱心なご様子に、一流のプロはこうなんだなぁ、と感じ入った次第。

そのときは面識はなく(なので当然先方は私を知らない)、お見えになってるな、という認識だったのですが、

数カ月後、その方と仕事をすることになったときのこと。

最初の顔合わせのときに、「以前、○○の試飲会にいらしてましたよね。そのときは挨拶もせずに失礼しました」と開口一番おっしゃって、びっくりした記憶が。

 

ソムニエという、人の顔を見て忘れない仕事柄、ってこともあるのでしょうが、

まあ、びっくりしましたね。

お互いを認識して軽く会釈をしても忘れられることの方が断然多いのに、

それすらもしておらず、ただ同じ空間に居合わせただけだったのに。

一流のプロってこうなんだ!というのを垣間見た瞬間でもありました。

 

“女の幸せ”じゃなくって“個人の幸せ”でしょ

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いつも思うんだけれど、

本当にそう考えているから、ではなく、こう言っておけばいいだろう、

といった世間の“こうあるべき”風潮に流されて、

いかにもそれらしいことを言っている人の、

本音ってこういうところに見えるのよね〜。

 

安室奈美恵の引退発表に際に

“女の幸せ優先”

な〜んて、見出しをしてやったりでつけてたところがありましたねぇ。

 

“女の幸せ”? なんじゃそれ?

家庭を優先、ってこと? プライヴェートを優先、ってこと?

前者だと、主婦として親として、で、後者だと、学校に行き直すとか、パートナーと新規事業を始めるとか、だろうけど、

まあ、前者をにおわせている気が。

 

 

なんでもいいけどさ〜、芸能活動を辞めるってことだけでいいんじゃないの?

仮に安室奈美恵が男性で同じようなことをしたら

“男の幸せ”なんて言うのかな?

 

 

それを個人の意見ならまだしも、メディアとして言っちゃうってあたり、ただただ呆れ返ってしまうのです。。。

本気でそう思っているなら、その考えを貫いて欲しい。であればそれはそれでひとつの意見だから。

 

でもそうじゃない。

もともと考えなんかなくって、雰囲気だけでふわっと物を言うから、おかしなことになり、

ふとしたことで、何も考えていない、昭和頭の既成概念がベース、が露呈されるのよね〜。