書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

誰の視点なのか、固定化する

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文章を書く、というのは、どうも軽んじられているなぁ、ってことに出くわすことがしょっちゅうあって、

現場に行かないでも、取材しないでも書ける、って思っている人、多いんですよね。

プロなら、書けるには書けるけれど、内容はというと、どうしても薄っぺらいものになる。

 

自分でも書ける、と思っている人も多い。

 

中には、本当に書ける人もいるし、そういうものが求められている場であれば、そりゃ本人が書いた方が、稚拙でも熱量が伝わるってのは往々にしてあります

(個人ブログでそれは顕著で、プロの書き手が書いたものよりも、書くのは素人でもその対象に熱量が圧倒的にあるものの方が、読んでておもしろい!のはそのため)

 

とはいえ、仕事であったり、広く告知するためだったり、好きなことを好きな人だけでなく、一般のたくさんの人に向けて、となると、やはりプロの力が必要かな、と痛感します。

 

違いはいろいろあるのですが、前提として、要となる立脚点が固定しているかどうか、が大事。

素人が書いた文章は、個人の感想なのか、一般論なのか、資料に拠るものなのか、個人の意見なのか、グループとしての立ち位置なのか、どの視点から綴っているのか、明確でないばかりか混在しているので、読んでいて一貫性がなく辻褄が合わないことが発生しちゃうんですよね。

 

 

ときどき相談を受けるので書いてみました。

まずは視点を固定させることから始めるといいかな、と思います。

技術や文章は書くうちに磨かれるけれど、それよりも軸を持つ、ってのが肝要かと。

骨がしっかりしていないと、肉のつけようがないからね。

 

 

自分の中で踏ん切りがつくその日まで

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おかたし真っ最中。これが終わらないと引っ越せない!のと、これをいい機会にきちんと自分と対峙して本当に必要なものを見極める時間の真っ只中にいます。

 

目下のところ、資料の要/不要をチェックする日々。

呆れるほとの雑誌の山(本もそこそこあるけれど、そこまでではない)に、うんざりしてきたそのとき、同業の方と話していたら、

3年前に引っ越された方は、遠方への移動だったのでできる限り身軽にすべく、思い切って資料を処分した、と。

当初はチェックをかけていたけれど、時間がかかるし、見ると気持ちが揺らぐから、と。

つい最近事務所を越された方は、移転先が一気にスペースが狭くなったので、やはり思い切って一気に処分した、と。

 

うん、わかる。できることなら私もそうしたい。

いい加減うんざりしていて、思い切ってすべて手放したいもの(はどうしても、なものはレンタルスペースを利用、にはなるだろうけど)

 

じゃあ、やればいいい、のだけれど、私はまだそこまで踏ん切れない、んだな。

以前にマメに整理整頓していた時代(そんな頃があったのだ)、週末、月末、大きな仕事終わり、とか区切りのたびにモノを増やさないための見直しをしていたのだけれど、雑誌は処分してしまって、あとでしまった!ってことが何回かあり、そのことが雑誌を処分しづらくしている。

書籍は入手しやすいけれど、雑誌はなかなかむずかしい、んだよねぇ。

 

でも、じゃあ、それで仕事ができなかかったか、というと、そんなことはなくって、なんとでもなる、ってことも体験済みなんだけれど、内容だけでなく、誌面構成とか、デザインとか、もう一度確認したかったな、大枠もしくは一部が記憶に焼き付いているだけに、よし、じゃあ、こういう方向性で行こう!という自分を納得させて後押しするものが欲しかった、のかもしれない。

その場合、そのプロジェクトが終われば、そこでお役御免、で気持ちよく処分できたかもしれなくって、同じ処分でも、まあいいか、で手放す場合と、これまでありがと、で処分するのとでは、自分の中で違うってことなんだよね。

 

気持ちよくお別れできる心境になるまで、後悔がつきまといそうで、一気に処分とかいかなそうだな。

時間がかかっても、自分が納得できるまで、とことん自分と向き合うしかないですねぇ。

 

無意識の言葉に肩を落とす

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「お母さんがお弁当作りが大変」

「お母さんが買うトイレットペーパーはシングル? ダブル?」

「お父さんは仕事で遅いの?」

「女の人はニュースに興味がないかもしれないけれど」

「男の子でも家事を手伝うの? 偉いね」

 

私はラジオを在宅ではラジオを流している時間が長いのですが、

ちゃんとした(?)アナウンサーや司会者がいる場合も、こういう言葉をさも平然と当然のように言うし、今は夏休みで子どもを相手にしているときも、その姿勢は変わらない。

 

ううう〜む。

 

無意識のジェンダーロールって、無意識で発される言葉から無意識に刷り込まれるわけで、なんだか足踏み状態はずっと続くんだろうなぁ、って暗澹たる気持ちになる。

で、そういう人に限って、ニュースとかで真っ正面から構える場合は、いかにも、なことを言うんだけれど、本音の部分は、そういうのが今の時代にふさわしいふるまい、ぐらいにしか思っていなくって、自分や自分の周辺のこととしてはまったく捉えていないんだろうなぁ。

 

子どもにそういう価値観を植えつけるのは、彼らの親(保護者)はすでにそうでない可能性も高いのに、なんだかなぁ、って気持ちにさせられちゃうよ。

 

あれこれ考えているからこそ、基本に戻る

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友達に教えてもらったまとめ(↓)。

ch.togetter.com

 

4年前のものだけれど、根元的なものは不変にいて普遍。

そして、ここに一見単純だけれど、本質が詰まっている。

 

よくコピーライティングとかデザインで、“フック”って言葉を使うけれど、

要するに、いかに注意を向けてもらうか、ってこと。

そのためには、これ、何?って思わせることが大事。

 

目立てばいい、ってものじゃないけれど、目立たないことには始まらない、んだよなぁ。

さて、どういう手を打ちましょうかね〜。

 

書籍の編集者って助産師、のようなもの

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雑誌の場合、私が携わるときはせいぜい特集企画とかで、1冊丸々ってことはなく、取材・執筆をライターさんに発注するとしても、複数の方に出すこともあるし、ひとりの方に任せるにしても、やっぱりそこまでのボリュームではないので、制作期間も含めて短期決戦。

なので、予測したようにあがってこなくっても、そこにはすれ違い、ってこともあるし、大抵はプロの書き手に出していることもあって、修正するにしても、たかが知れているので、よぽどのことがない限り、打ち返したりはしないで、引き受けるようにしています。

 

一方で、書籍1冊の場合。

著者(というか本来は監修というべきか)はその道は専門でも書くことについてはプロでない場合がほとんどで、ライターさんを立てることもあれば、私がその役割を担うこともあるし、著者の方に書いてもらうこともある。

そして、本の制作は長期戦。

 

ここでは、こうして欲しいけど、う〜ん、まあ、いいか、で時間や手間のロスが生じるので、気づいたことは打ち返すようにしているし、どこかでどうすればお互いにストレスが少なくてやりやすいかすり合わせをするようにしています。

その内容は、仕事の進め方だけでなく、修正するとはいえ、そして口幅ったいな、と思いつつ、文章の書き方にもおよびます。

 

飲み込みが早いというか、一度指摘したらその都度クリアして、どんどん精度が上がる人もいれば、(人は変わらないけれど、すべて引き受けるのは負担が大きいので、球の投げ方を変えるというか)同じことを手を替え品を替え、事細かに言う場合もあります(たいがいの場合、ほとんど何も変わらないけれど、それでよし、と思われると困るので)。

 

その人たちが息切れをしないように、距離をおいてときどき声がけをすることもあれば、密に添う場合もある。

いろんな人がいるので、なるべくその人たちの資質やペースに合わせつつ。

 

こういうことをしていると、いつも助産師さんってこんな感じなのかなぁ、ってぼんやり思います。

生み出すために手を添える、というか。

そしてほとんど手がかからずスムーズにいくこともあれば、難産もある。

 

実際のところ、どっちがどう、ってことはないなぁ。

とにかく、無事に元気に生まれてきてくれればうれしい!のです。

暑くって、昼間は使いものにならない件

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夜型に戻ったなぁ、と感じていたですが(↓)、

ricorice.hatenablog.com

 

実は、体にとってそれがラクだから、ということに、ハッと気づきました。

 

梅雨も明けて、暑い、暑い。

日中、少し外出すると汗をかくだけでなく、体力をもっていかれちゃうんだ、ってこと。

戻ると、ぐったり。

 

私用はできるだけ、午前中とか夕方日が落ちる頃を見計らって、だし、

要件があって出かけると、出先では気が張っているのですが、

問題は戻ってきたとき、なんですよねぇ。

 

熱くなった体をクールダウンさせるのに時間はかかるし、

頭はぼーとしていて使いものにならないし、

起きていてもなぁ、ってことで、1〜2時間寝るようにしました。

 

タイとかマレーシアで昼間に猫がぐだ〜、としているのを見たことがあるけれど、一緒だな。

 

例えば午後3時に戻って、なんやかんやして、3時30分ごろ寝て、起きたら5時ごろで、そろそろ日が傾き始めるから、あちゃ〜、な気持ちになるといえばなるのだけれど、

でも、その分、夜、涼しい時間に起きている方がよっぽど心身ともにスッキリするから、その方がいい。

 

 

夜型になった、というよりも、その方がいいよ、って体が先に教えてくれたのかもしれないね。

 

コミケに行ってみたい!

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マンガ好きでもマンガ読みでもないのだけれど、コミケに行ってみたい!

ここ何年も思っているのですが、何がなんでも、というわけではなく、タイミングが合えば、ぐらいに思っているので、いまだ行けずじまい。

 

ここって多分、アナログでアマチュアの世界が集結しているんだよね。

熱気にあふれていて盛況なんだよね。

何がそこまで惹きつけるのか、この目で見てみたいのよね。

 

マジメなことを言うと、

表現ってなんだろう

出版ってなんだろう

販売ってなんだろう

集客ってなんだろう

そういったことの答えであり立ち戻るべき原点が詰まっているような、気がして仕方がないのです。