書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

書籍の編集者って助産師、のようなもの

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雑誌の場合、私が携わるときはせいぜい特集企画とかで、1冊丸々ってことはなく、取材・執筆をライターさんに発注するとしても、複数の方に出すこともあるし、ひとりの方に任せるにしても、やっぱりそこまでのボリュームではないので、制作期間も含めて短期決戦。

なので、予測したようにあがってこなくっても、そこにはすれ違い、ってこともあるし、大抵はプロの書き手に出していることもあって、修正するにしても、たかが知れているので、よぽどのことがない限り、打ち返したりはしないで、引き受けるようにしています。

 

一方で、書籍1冊の場合。

著者(というか本来は監修というべきか)はその道は専門でも書くことについてはプロでない場合がほとんどで、ライターさんを立てることもあれば、私がその役割を担うこともあるし、著者の方に書いてもらうこともある。

そして、本の制作は長期戦。

 

ここでは、こうして欲しいけど、う〜ん、まあ、いいか、で時間や手間のロスが生じるので、気づいたことは打ち返すようにしているし、どこかでどうすればお互いにストレスが少なくてやりやすいかすり合わせをするようにしています。

その内容は、仕事の進め方だけでなく、修正するとはいえ、そして口幅ったいな、と思いつつ、文章の書き方にもおよびます。

 

飲み込みが早いというか、一度指摘したらその都度クリアして、どんどん精度が上がる人もいれば、(人は変わらないけれど、すべて引き受けるのは負担が大きいので、球の投げ方を変えるというか)同じことを手を替え品を替え、事細かに言う場合もあります(たいがいの場合、ほとんど何も変わらないけれど、それでよし、と思われると困るので)。

 

その人たちが息切れをしないように、距離をおいてときどき声がけをすることもあれば、密に添う場合もある。

いろんな人がいるので、なるべくその人たちの資質やペースに合わせつつ。

 

こういうことをしていると、いつも助産師さんってこんな感じなのかなぁ、ってぼんやり思います。

生み出すために手を添える、というか。

そしてほとんど手がかからずスムーズにいくこともあれば、難産もある。

 

実際のところ、どっちがどう、ってことはないなぁ。

とにかく、無事に元気に生まれてきてくれればうれしい!のです。