古い雑誌を粛々と整理中
雑誌の棚をひっくり返して、要/不要を粛々と行っています。
とっておく!と決めたもの以外は、1冊1冊パラパラとめくって判断するので時間がかかる。。。
もう何年も読んでいないんなら捨てちゃえば?
一時的な興味で買って、仕事に引っかからないものはすでにほとんど整理整頓したのだけれど、ほんのわずかな掲載でも仕事に絡みそうなものがあるんじゃないか、って思うと、
パッと見で判断して、どん!と捨てられない。
というのも、あとになて、あの記事、あの内容、どっかで見たな、ってひっくり返すことが少なくないし、それを経験してきたから。
そして、雑誌の場合は一度処分すると、再び手に入れることがそう簡単じゃない。
本はね、今の時代、Amazonとかで手に入れやすいんだけれど、雑誌のBNはそうは簡単にいかない。
そして、その情報が欲しいときは、まさにその瞬間に欲しいわけで、そのうち入手できれば、なんて悠長なことを言ってられないのだ。
古いものになればなるほど、実は視点を変えたり、今の解釈を加えたり、眠っている企画を掘り起こせそうで、アイディアがたっぷり詰まっているように思えるんだなぁ。
そのまま真似る、ってことはもちろんしないし、時代も違うし感覚も違うから、そもそもできないのだけれど、おっ、これは! と気づくことたくさんあるんだよねぇ。
夜中にお腹がすくんだよなぁ
いわゆるダイエットはしたことがなく、数kg単位の体重の増減は繰り返しているわけですが、
基本、体が欲しているものを摂取するようにしていて、それで間違っていなさそうなのが、これまでと今のところの感触です。
生理中、とりわけ始まるか始めらないかの時期はびっくりするほどお腹がすく。
ほかにも、精神状態があまりよくないときも、ひとときそれを忘れるためか、食べる傾向にあるなぁ。
それはそんなもんとして、一過性のものだから、体が欲することに従っているですが、
傾向として、私は夜食べるんですよね。
それがよくないという理性の議論とは別に、夜食べ過ぎると、翌朝胃がずどんと重い。。。
これはあまり気持ちのいいもんじゃないんだな〜。
夕食をしっかり摂る、そしてそのあとは食べないようにする。
というのも、少し何か食べると歯止めが効かなくなるのがわかっているから。
でもね、お腹がすくときはすくのだ!
今は、生理中じゃないし、精神的に安定しているので、理性も働く、ってことで、
夜お腹がすいたら、コーヒー牛乳を飲んでしのんでいます。
私は普段、コーヒー、紅茶に砂糖を入れないのですが、このときはちょっと甘いものも欲しいので、スプーン半分ぐらい入れて、いつもはドリップコーヒーなのもインスタントにして、懐かしのビンのコーヒー牛乳っぽい味にして飲んでいます。
とりあえず、これで落ち着く。
当たり前だけど、食生活も変わっていくよね〜。
無理なく、体が求めるものをベースに、調整していく、ってのが自分に合ってる、ってことかな。
「夏休み子ども科学電話相談」が始まった!
子供たちは夏休みに突入し、毎年楽しみにしているにしているNHKのラジオ番組「夏休み子ども科学電話相談」が始まりました!
子供たちの科学に関する質問に専門家の先生が答えてくれるもので、思わず微笑んでしまうようなやりとりもあれば、唸ってしまうような、その着眼点に目からウロコな質問もある。素朴な疑問ゆえ本質をついている、というかね。
でもって、詳しい子って本当に詳しいのよね。
でもって、先生が真摯に向き合っているのがいいのよね(回答が失望しそうな内容であっても、ちゃんと答える)。
私は子どもは純真とは思っていなくって、無垢とも思っていなくって、
でも大人ほどは世の中を知らないがゆえの視点とかがあり、それゆえの残酷さも兼ね備えていると思っている、
で、いろんなヒントは、日常の中のちょっとした疑問から始まると思うのよね。
そういう意味でも、「夏休み子ども科学電話相談」は塑像力や連想力を広げさせてくれるありがたい番組なのです。
そうは問屋が卸さない、のだ
SNSでシェアされ、目に留まってたまに読むのは、AERA dot.で連載されている、
「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」
(もちろん全部が全部賛同するわけではない)。
先日読んだもので、おもしろかったのがこれ(↓)。
本筋も、なんだけれど、私が「あっ!」となったのは別のところで、
ロンドン留学時代に授業よりも休み時間がつらかった、って話。
わかるなぁ、よくわかる。刺さるほど、よくわかる。
やさしさの裏にある優位性を感じるのも、つらかった
(人としての親切や思いやりとは、全然違う。受け取る側は、敏感に感じとるものです)
私自身、イギリスでネイティブの中でひとり、英語が母語でない外国人(私のことね)が混じって学んだときは、授業そのものよりもランチタイムとかのフリータイムがきつかった。
言葉の問題も、なんだけれど(当時は意思疎通でできるレベル)、共通認識として持っているものがあまりに違うので、言っていることはわかるけれど、それが何を意味しているのか漠然としか理解できないし、ネイティブ独特の言い回しにも苦労した。
具体的な話をすると、AGAというイギリス人憧れの高級オーブン(デザインしたのはスウェーデン人)の話でかくかくしかじか議論を交わされても、使ったことがないし、そもそもイギリスで台所を使いまくって料理しまくったわけでなかったので、ピンとこない。
テレビ番組やラジオ番組の話についても、よっぽど有名なものでないとわからなかった。
昔の世相とか流行とかの、ニュース的なところではなく、実際の人々レベルでどうだったか、って話もわからなかった。
人が集まるところでは、無料のマスメディアにのっているものが、共通の話題になりやすいのよね〜。
ことわざや今どきの言い回しでいうと、「猿も木から落ちる」って諺を、日本語の会話の中で出すと、そこまで言葉が流暢じゃない外国人は戸惑うだろうなぁ、というのと同じ。
私の友人はフランスに留学したときに、授業よりも休み時間が、みんな英語で意思疎通をするから、それがきつかった、英語がダメだから、会話に入れなかった、って言ってたもんなぁ。
海外で暮らした人と話すと、ある程度言葉で意思疎通できるまでは、ほんと、きつかった、って話になる。
その時期を超えると、ある程度言葉で意思疎通できるようになる、生活習慣に慣れる、言葉以外の意思表現を身につける、などを得て、どうやってサバイバルできるか分かるようなると、
俄然楽しくなるんだけどね。
たま〜に、ほんの数握り、言語の会得に長けている人はいるけれど、外国で外国語を使う環境にいると、最初は苦労するんだよね〜。
住めば習得できると思ったら大間違いだ!
(それができるのは、まだ小さい子供だけだと思う)
もう少し踏み込んでいうと、頭の構造ができてあがってから外国語を習得しようと思ったら、やっぱり文法なんだよね。
基本を押さえることで体系的に理解でき、いかようにも応用できるから。
そして結局それが、近道、なんじゃないかなぁ。
ところで、先に紹介した「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」では、
アガサ・クリスティーの小説『春にして君を離れ』(メアリ・ウェストマコット名義で発表。この小説はいわゆるミステリーではない)にもふれていて、これ、本当におもしろい!
長く読み継がれるものは、ジャンル云々ではなく、結局、人間を描いている、ってことなんじゃないかな。
老化の変化も新しい発見
さんざん脅されたせいか、老化現象が自分に起こるとショックを受けるのかと思っていたのですが、実際は違った。
私の場合、リアルに加齢に直面したのは、閉経前の生理の変化。
あとは、起床してしばらく文字が読みづらい、とか、白髪が出てきたなぁ、とか。
こういうのに出合ってどう感じたか、というと、
へぇ〜!という新鮮なものでした。
なんとなく、フェイドアウトしていくイメージだったのですが、
変化というものを感じて、老化とはいえ、日々人間は変わるんだなぁ、といたく感動。
若けりゃいいってもんじゃないしね。
若く見られなくていい。年相応でいい。
歳をとったからできることも増えたし、でもできなくなることも増えて当然だろうし。
ポジティブ、というわけではないのだけれど、これからどういう変化が自分に起こるのか、まだ知らない自分に出合えるのは、楽しみ、というのとは違うけれど、非常に興味深いですねぇ。
理由はわからないけれど、こういうことって起こるんです
私はブログを2つ運営していまして。
もうひとつのライフワークにしている、イギリスの食ブログ(↓)の方が長く、アクセス数も多い。
で、たま〜に、突然、アクセス数がいつものン倍、ドカンと多い日があります。
先日もそんなことが。
後押ししたのは、「チーズ・ストロー」へのアクセス。
でも不思議なのは検索した上でのアクセスが多かったわけじゃないってこと。
どーゆーこと?
こういうときって、何かきっかけがあるんだよね。
でも、今回の「チーズ・ストロー」への突如としてのアクセス増加はそ理由がわからない。
とはいえ、投稿して何年も経て、突如その時の旬のネタとシンクロすることがあるってのは、アーカイブとして残るネットメディアのおもしろいところだよなぁ。
断り方ってあるよなぁ
私の仕事のひとつに取材・掲載の打診があり、もちろんいつでもすんなりOKが出るわけではないし、断られることも少なくありません。
そりゃ、そうです。
その向こうには読者やユーザーがいるとはいえ、こちらの企画のために時間や知識の提供をお願いするわけで、企画意図がそぐわない、スケジュールが合わない、などがあれば、NGとなるわけです。
企画内容によっては、交渉を続けることもあれば、引き上げることもある。
先日も取材NGが出ました。
そのときのお断りの理由や言い方が、ごもっとも、で、もうそれ以上は何も言えず、同時に誠意も感じてしまったんですよね〜。
キャパが小さく、いっぱいいっぱいでやっているので、取材は受けないことにしています。
打診はありがたく、正直気持ちが動かないわけでないのですが、ここで受けると、これまで断ったところに申し訳ないし、言い訳もできない。
ただ、これから先、方針転換をすることがあるかもしれないので、そのときは改めてお願いします、と。
頭ごなしに断るわけでなし、こちらの思いを汲み取った上で、明確な理由を示す。
そりゃそうだよなぁ〜。
断られても不快な思いはしない。むしろ好印象を残す。
以前、取材NGのところにお電話をしてお願いしたところ、やっぱり断られたのですが、その後、折り返しで電話が。
先に電話に出た人はスタッフの方で、折り返し電話をかけてきた人はオーナー。
直々の電話、何だろう?と思ったら、申し訳ない、でも、取材NGで、その理由も説明いただき、わざわざここまでされるところはそうそうないので、感動すらしてしまった。
問題は引き受ける/断る、ではなくって、気持ちの見せ方、よねぇ。
自分自身も断ったりするときに、一方的な言い方をしていないか、気をつけないと、ね。