書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

私は給食の時間が悪夢以外の何物でもない子供だった

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横浜市の中学校って、お弁当なんですね。

先日、ラジオでそう言っていて初めて知りました。

 

そこで、進行役の人やコメンテーターが口を揃えて言っていたことにびっくり!

・母親の負担が大変
・給食も教育の一貫。みんな揃って同じものを食べましょう

 

 

私は、幼稚園が半分給食(主食となるごはんもしくはパンは持参だった)で保育園が完全給食で、小学校が給食、中学校に入って給食から開放されました。

 

小学校の給食は悪夢以外の何物でもなかった子供だった私は、

彼らが口を揃えて言う

・給食大好き!素晴らしい!

に真っ向から反論したい。

 

 

給食の何が嫌だったか。

・選択の余地がない
・みんな同じ物を食べる

・組み合わせが妙

・強制的に残さず食べさせられる

・学習机で食べる(ダイニングテーブルで食べない)

 

今からは信じられないのですが、

偏食がひどく、食べるペースがゆっくりで、おそろしく少食だった、幼き日の私。

淡白なものを好み、肉の脂身や皮が苦手(今も得意じゃない)、家庭ではとんかつぐらいしか口にすることのなかった豚肉が給食だと頻繁に出るんですよね、ヒレならいいけど、バラ肉だし。

魚も白身や脂ののっていないものを好み、

あんこなどの和菓子や和の要素のあるカステラのようなものもダメで、

もちもちしたものが苦手(今もお餅は年に一度、雑煮でしか食べない)。

マヨネーズべったりがダメ。

主菜と副菜、パン/ごはんの組み合わせが妙ちきりんと思われるものがダメ。

といった具合(あれ〜、嗜好としては今と変わらない(苦笑))。

 

小学校は3つ行って、最初と2番目の小学校は、

私のような子供は、皆の分を取り分ける前に、食べられる分だけ自分でよそいなさい、どうしても食べきれなかったら残してもいいよ、と配慮してくれていたので、

そこまでの恐怖心はなく、給食、苦手だな〜ぐらいだったのだけれど、

最後に行った小学校は、変な平等思想で、

みんな同じ量を残さず食べましょう、という指導のもと、

見せしめのように昼休みやその後の掃除時間に教室の片隅で食べさせられたってのは屈辱以外の何物でもなかったですね。

 

一体これのどこが教育?

 

なので、中学校に入ってお弁当になったときは心の底からほっとしました。

給食を!という話が持ち上がり、親にアンケートが配布されたときも

お願いだから給食に賛成しないで!と懇願し、

その願いが通じたのかどうか、給食にならず、安堵。

 

 

そんな経験から言うと、

・母親の負担が大変
は、そもそも母親が作るという前提がおかしなわけで、

父親でも祖父母でも兄姉でも保護者でも、手が空いている人が作ればいいし、
中学生だし自分で作る!でもいいと思うのです

(私は先のアンケートの際に、もし負担が理由で給食賛成なら自分で作る!と親に伝えた経緯あり)。

 

お弁当は愛情のバロメータみたいな変なイデオロギーキャラ弁なんかに振り回されず(こういうの、本当にうんざり!)、

毎日のことだもの、その家庭に合った無理のないことをすればいい。

そこで家庭によって違いが出るのは当然のことで、

その違いを認識することこそ教育じゃないの?

人間は生まれながらにして不平等だし、みんな同じじゃないんだよ!

 

現在、横浜市はお弁当を購入ができるようで、それが1食490円とか。

確かに毎日だと安い金額ではなく、とりわけ貧困家庭には響く。

設備などの問題で給食がむずかしいなら、給食に置き換えられる廉価での昼食提供を、市が負担してもいいんじゃないかなぁ。

もしくは、補助金とかとりつけて廉価で提供するビジネスがあってもいいと思うなぁ。

 

・給食も教育の一貫。みんなで同じものを揃って食べましょう

これのどこがいいのかさっぱりわからない。

なんでみんなと同じじゃないといけないの?

私は食べたいものを食べたいなぁ。

そして、食の好み以前にアレルギーとか宗教上の問題もあるよね。

社会は不平等につながるけど、人間はひとりひとり違う、ってことをはっきり認識するのに中学生という年齢は決して遅くないと思う。

 

今、好みはともかく、食わず嫌いがなくなったのは年齢を重ねるとともに平気になったから。

別に給食のおかげじゃない。

むしろ強制的に食べさせられたときの苦しさだけが痕跡として残っていて、こんな理不尽なことはない!って今も憤っています。

 

好き嫌いは理屈じゃない。

私は生まれたときから今の今まで納豆が食べられず、目にするのも苦手、口に中に入れることすらできないのだけれど、大豆製品が体にいいから食べましょ!なら豆腐や豆乳で充分代替になるでしょ。

健康のため栄養のための食事で苦手なものがあるんだったら、代替となる好きなものを食べればいい。

その方が精神衛生上もずっと健康でよろしい。

 

人間、好き嫌いはあって当然で、ごく自然なことで、それを是正しようという考え方がどーかしてる。
嫌いな物は助長させなければいい。月日が解決することもある。

だから、とやかくせずに、ほっておけばいい。

 

 

横浜市の場合は、もっと言うと、お弁当を給食に、という一元的な考え方でなく、

根本から見直せばいいのになぁ。

ブッフェでもいいし、お弁当購入でも持参でもいいし、

食べるところも天気がよければ外で食べてもいいし、

(個人的には学校にはダイニングルームがあるといいのに、と強く願う。

 学習するところと食べるところは区別したい。

 学習机で食べるって、生理的なものだけれど、好きじゃない)

選択の余地があってフレキシブルで、

食事の時間が楽しい!って思えるようにもっていけないかな。