書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

手作りすればいいってもんじゃないし、ましてや愛情のバロメーターではない

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私は幼稚園、そして小学校に上がる直前の秋からは保育園に通い、保育園は完全給食だったけれど、幼稚園では主食だけ持参していました。

いつもは俵形の小さいおにぎりを2個、ときどきロールパンのサンドイッチ2個(上部に切り込みを入れて、ひとつはハムとキュウリのスライス3枚、もうひとつはゆで卵の輪切り3枚)を持参していました。

クラスメイトの中には、市販のパンを持ってくる子がいて、なかでもピンクと黄緑のウエハースに挟まれたパンがうらやましくってうらやましくって、お店で買ったパンを持っていきたい!と懇願したこともあります。

 

 

私は小さい頃から食べることが好きで、作るのも好きで(ただし、義務ではなく、趣味として)、

その延長で、書籍や雑誌、ウェブや小冊子などの食プロジェクトのダイレクションやプランニング、執筆をしているのだろうし、イギリスの食の研究家としても仕事をするにいたったのは間違いないでしょう(子供の頃、日本ではなく、世界の児童文学ばっかり読んでいた)。

 

仕事をご一緒する方、とりわけ取材を受ける立場のときに、

「料理、苦手なんです。。。」といったことを申し訳なさそうに告白されることもありますが、

私自身は、今の時代、みんながみんな料理をする必要はない、と考えていますし、

ましてや、手作りがやっぱりいいよね〜、とはまったく思っていないのです。

 

 

こんなに便利な時代、特に日本は外食や中食が安いので、

へたにときどき作るよりも食べに行ったり買ってきたりの方が安くつき、経済的だったりする

(こんなに独居が増え、そして世帯人数が減っているのに、スーパーマーケットはいまだに家族単位主体で食材を販売している不思議!)。

苦手なことは無理してしなくていい。その時間をほかの好きなことに当てればいい。

任せるところはプロに任せればいい(なんでもかんでも自分でやんなくていい)。

 

自分の特性と時間とお金のバランスで、自分に合ったやり方を選べばいい。

 

 

私自身は台所に立つのは苦になりません。

その理由は自分の好みの味つけにできるから

(日本の食品って、ごはんに合わせるのが前提なのか、味つけが濃い。特に塩や醤油が強すぎる)。

でも、毎日はごめんだし、忙しいときはできないし、外食だって楽しいし、

それはそのときの気分で選択する。

 

料理は義務じゃない。なんでも義務にしたら、一気につまんなくなると思う。

そして私の場合、レシピを考える時は台所はラボと化し、調理というよりは理科の実験になるからなぁ。

 

 

扶養家族があっても同じ。

食事を作るのが好きであればそれを与えればいいし、

そうでなければ、家では作れない食事を外食や中食で楽しめばいい。

(加えて、必ずしもみんな揃ってごはんを食べなくてもいいと思っている)

 

与える方はそれを愛情と思っているかもしれないけれど、料理は自己満足や自分を安心させるために過ぎない。
子ども時代の私のように、欲しいのはそれ(手作り)じゃない!と思っているかもよ(うちの親に関しては、手作りを持たせることは別段、愛情のバロメーターと思っていたわけではないだろうが)。

 

 

手作りしたい人はすればいいけれど、他人に押し付ける必要はまったくないわけで、

手作りエライ!みたいな風潮って、“ていねいな暮らしマウンティング”に映って仕方ないんですけど。