書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

市場価値とか優良物件とかの根底にあるもの

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講談社の女性向け美容誌「VOCE」のウェブサイトの記事

「女の市場価値はいくつまで?」

が炎上、削除、謝罪したのは記憶に新しいところです(↓)。

headlines.yahoo.co.jp

 

この手のこと、増えたなぁ。

化粧品メーカーとか電鉄会社とかでもあったなぁ。

 

ことの是非はおいておいて、いつもいつも不思議に思うのは、

「女性を商品扱いするな!」

は揺るぎない正論のごとく大反対の合唱が起こり、実際に釈明とか削除とかに追いつめられるのに
「男性を商品扱いするな!」

が起こらないこと。

 

不思議だな〜。

結婚相手を探すときのキーワードとして、男性のことを“優良物件”って言うじゃない?

あれはどーなの?

平野ノラのおかげで久々に耳にした“アッシー” “メッシー”なんかもそーよね。

“三高”もそーか。

 

男性を商品扱い、スペックで判断するのをさも当たり前のようにふるまっていたのは、

女性側がず〜っとやっていたことじゃないの?

嬉々として“あげまん”(この言葉、本当に嫌い! 書くのも嫌! 反吐が出そう!)

優良物件に選ばれるようになりましょう!って言っているのも女性サイドが圧倒的に多い気がするけど。。。

 

「女性を商品扱いするな!」はいいんだけれど、

う〜む、「男性を商品扱いするな!」に対する反省はしないんだろーか?

なんだかな〜、っていうのが私の印象です。

 

 

他人からの判断、それがスペックに凝縮されるのは客観的にわかりやすいからで、

それを取り上げるのは、“他人がどうみるか”が大前提なんだよね。

あくまで自分基準ならスペックなしでがんがんいけるじゃない。

自らのジャッジに自信が持てない、人目が気になる、から

いつまで経ってもスペック判断に頼っちゃうってことだよね〜。

根本はそこにあるんじゃないか、って思うのです。