書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

ここのところは小刻みに眠る日々

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更年期の生理による経血過多で貧血気味です。

デスクワークをしている分にはそんなにはいつもと変わらない。

取材とか打ち合わせとか下見とかに行っている時は気が張っている。

なので、寝込むってことはないのだけれど。

 

支障がさほどないようでいて、でも本調子でないというか体力が落ちているようで、駅まで歩くのがゆっくり(私は歩くのが速く、そんなことはないのですが、脇目も振らず歩いている、とよく言われます)、ちょっとした書類とかの入ったバッグを抱えるのも重いなぁと感じています(いつもは荷物が多くて、それもものともせずガンガン歩いている)。

 

なので、帰宅したら、ぐったり。

さほど疲れてはいないのだけれど、横になってちゃんと体全体に血が循環するようにしたい、って感じ。

 

机に向かっていても、眠くなるというかぼーっとしてくる間隔が短くなっている(横にならないと頭に血が回らない、ってのがよくわかる)。

 

で、今、在宅時の場合2〜3時間起きていて、30分〜1時間(もともとロングスリーパーなので、長く眠れるときは3〜4時間)寝て、みたいな、小刻みな生活を送っています。

 

そうしないと体がつらいのでそうしているのだけれど、これ、なかなかいい!

ちょっと疲れたらちょっと休むから、すぐ回復する。

 

 

先日、夜中の3時ごろにメッセンジャー連絡を入れ、その数時間後、6時30分ごろにレスがきていたので、ソッコーでレスを入れたら、寝てるの?とえらく驚かれました。

今、こんな感じで生活しているので、この日は5〜6時ごろに寝ていただけのことなんだけど。

 

とはいえ、自分でこうやって書いていると、不規則極まりない生活態度だよなぁ。

困ったなぁ。いつものものがないなんて

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もう何年だろう、20年ぐらいかなぁ。

私の仕事には取材を伴い、そこでメモを取るのに使っているのが、

無印良品のA5サイズ、30枚、B罫、6mm横罫、糸綴じのノート。

www.muji.net

 

以前はファミリーマートでも買えたけれど、最近は見かけないので、素直に無印良品に行ったら、、、

 

ない!

 

まさか、ない!なんて思いもしなくって、

すっかり定番商品だと勝手に思っていて(だって私、20年ぐらい、難なく入手して使っているもん)、

混乱しながら商品棚をあれこれ見たけれど、、、

 

ない!

 

代わりのものを、と思ったけれど、ピンとこなくって、連休中忙しいと思ったけれど、

店員さんに聞いたら、親切にも在庫をチェックしてくださり、近隣の他のお店もチェックしてくださったけど、ない。。。

 

すぐに使う予定があったので、これじゃないんだよなぁ、と思いながらも別の商品を手にとってレジへ。

 

 

まさか、こんなことになるなんて!
次に備えて、オンラインでストックを買っておこう!とウェブに飛んでも、やっぱりない。

アスクルにも取り扱いがなかった。。。)

 

 

長年の定番がなくなると、こんなにも落ち着かないもんなんですねぇ。

しばらくは近くを通るたびに無印良品に行って在庫チェックだわ!

 

 

ほんと、Suicaばっか

 

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取材はおもしろい!

内向的で人見知りな私は、取材の依頼なんかはいまだに本当に苦手で、勇気をふりしぼって電話をかけたりするわけですが(なので、ファーストコンタクトはしどろもどろで、いまだにうまく話せない)、

行くと楽しいんですよね〜。

 

好奇心が勝る、っていうのかな。

現場に行って初めて納得できることはたくさんあるし、

本筋の話を聞くのはもちろんですが、脇道にそれた話ってのが、とてもおもしろいのです。

 

取材は10聞いて1紹介する感覚なので、実は掲載されない情報の方が圧倒的に多かったりする。

では、1だけを取材すればいいではないか、という声もあるけれど(実際、そう思っている人がいるのも事実)、

1の説得力をもたせるために、目には見えないけれど9の周辺でたっぷりかためる、というのは大事なことでして。

 

 

で、先日のこと。

例によって話が脇道にそれ、キャッシュレスの話題になり、

あ〜、なるほど!と思うことがたくさんあったのです。

 

キャッシュレスに関しては、私はユーザーとしての立場でしかないわけですが、

飲食店やショップの方は、取り扱う側で、

こうなれば便利、とか、だからこういう対応にしている、とか、の話はいちいち説得力があるわけです。

 

もちろん、一つの事例がすべてに当てはまるわけでなく、個々の店舗によって考え方やベターなやり方は違ってくるのだけれど。

 

 

そんな話をしている中、人間って便利な方に流れていくよなぁ、という話に。

今、私はSuica交通系ICカード)の使用頻度が高く、公共交通機関はもとより、ちょっと何か買ったりはもっぱらSuicaになっちゃったなぁ。

 

もともと現金をあまり持ち歩かず、クレジットカードを使うことが多かったけれど、Suicaのかざすだけ決済に慣れると、それまではお釣りを受けたっとり小銭を出したりが面倒だったのでクレジットカードを使っていたのに、クレジットカードに伴う暗証番号を押したりサインをしたりのケースだけでなく控えが出てくるのを待つのすら、かったるくなる。

 

取材先の方も、「私もSuicaばっかりです。財布持たないでSuicaだけ持って出かけること、しょっちゅうですもん」と。

 

 

そうなのよね〜、慣れとはこんなもんで、気づけば便利さを選択しているのよね〜。

逆にいうと、不便さというのはわざわざ選択する、ってことになるのかな。

 

心底がっかり! いまだにこんなことを平然と言うなんて

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いいも悪いもなく、へぇ〜、ぐらいの心持ちでいつもは彼らの発言にふれているのですが、

いまだにこんなことを平然と言い放つなんて、私が担当編集者なら、信用しないし、チャンスを見計らって切るね。

miyearnzzlabo.com

 

どこの箇所かっていうと

「編集者からライターになる利点」のヘッドラインにある、締め切りの話。

 

うん、そうですよ、本当に間に合う締め切りはちょい先だったりしますよ。

でもね、こちらはあなたたちだけを相手にしているわけじゃないのよね。

スクープや突発的なことが入ったら対応しないといけないから、そちらの余力も残しつつ、

そもそも原稿ももらったらそれでおしまいじゃない、目を通して過不足があれば対応する、内容によっては打ち返す、

編集作業が全部、ギリギリの締め切り前に一度に来ると物理的に対応できない、のよ。

なので、あらかじめ決まっている連載とかは、多少なりとも時間に余裕をもたせて、やっておきたい、のよ。

 

締め切りを破ってこそ一流を気取るみたいなポーズ、ほんと、ヘドが出るほど嫌い!

「編集者からライターになる利点」があるのであれば、むしろ編集者がどういう動きをするのは知っているわけだから、仕事をしやすいようにすることなんじゃないの。

締め切りを守る、とか、遅れそうになったら連絡を入れる(体調が悪い、突発的なことが起こった、とか、そういうのは生きていればあるわけで、わかった時点で連絡をもらえればそうおおごとにしなくても対処できる)、とか、迷ったら相談する、とか。

でも、これ、何も特別なことじゃなくって、人として当たり前の姿勢じゃないの。

 

確かに、私の印象だと、こういう人の比率、年齢が上がると増えるように思う。

かつてのメディアに色濃くあった、なあなあでお友達体質(これも、本当に嫌い!)を、困ったことに悪気なく受け継いでいる、というか。

 

もちろん、ごくごく一部には、看板ともいえるネームバリューと圧倒的な才能を感じる人はいる。もう、うまいなぁ、と唸るしかなくって、それは締め切りを破るとかを、才能が帳消しにしてしまうのは事実。

 

でも、そうでない人の場合(彼らがそうだと言っているわけでなく、一般論として)、

作家大先生ではなく、いち商業ライターの場合は、その態度は決して褒められたものじゃない。

 

原稿を商品に置き換えるとわかりやすいんだけれど、

決められた日に納品しない、ってのは一体どーゆーことなのか、そしてそれを平然と言ってのけるってのはどういう神経をしているんだ、って話。

商品が入らないだけでなく、携わっている人はその心づもりでいるから、そののその日の予定も狂う、ってことなんだよ。

 

普段は一般市民を代弁するふりをしながらも、メディアに携わっている人特有のくだらない選民意識、ってこういうところに透けて見える。

こーゆーの、ほんと嫌い!

 

周りの人がやさしくって泣きたくなる

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仕事をしていると(仕事だけじゃないけれど、私の生活は仕事が基軸なので)、

理不尽なことが山のようにあって、でも、もうよっぽどのことでないと腹も立てなくなったし、

こんなもんか〜と、淡々と受け止める(受け入れはしない)ようにしているけれど、

ここのところ、周囲の方々がやさしくって、表面上バタバタすることがあっても、心がおだやか。ざわざわしない。静かに凪いでいる波のよう。

 

こういうときって自分も人にやさしくなれるような気がする。

こういう人としての無条件のやさしさって、ちゃんと確認すると、泣きたくなる。

 

同じことやるにしても言葉とか態度ひとつで、思いのほかスムーズに進んだり、ギスギスしてうまくいくものもうまくいかなかったりするのよね。

 

 

かくも記憶は曖昧なものなのか

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毎年秋分の日を迎える頃になると、2008年のこの時期に生死を彷徨ったんだな、というのをぼんやり思い出します。

そのとき血液量が1/3減少し、文字通り既の所で一命をとりとめたわけで。

 

今年は、更年期の経血過多による貧血のような症状でなんだか本調子じゃなく、そのときと体調を比較したりして(もちろん、今の方が断然元気ではあります)、

 

ricorice.hatenablog.com

 

このときのカルテと事後経過を引っ張り出してみたところ

(事後経過でずっと通い続けたかったけれど、通うにはあまりに遠方に引っ越したので、自分の身に再度同じようなことが起こったときのために、提出できるようカルテをもらったのです)、

あれっ、記憶がズレてる!

 

 

夜、明日は自分には来ない!と確信して、夕方救急車を呼んで、休日だから診療できないと一度家に戻されて、でも、やっぱりこれはあと2〜3時間も持たないだろう、ともう一度救急車を呼んで、そのまま緊急入院したのが、23日(火)の深夜。

 

私の記憶の中では入院したのは1日早かった。22(月)かと思っていたら、違っていた。

調子が悪くなり始めたのが前の週の18(木)とか19(金)で、その時はまだそこまで深刻ではなく、週末はゆっくりして、23(火)が過ぎても調子が戻らなかったら病院に行こう、とぼんやり考えていました。

それが、一向によくなる気配がない。

ほとんどの時間を横になっているにもかかわらず、20(土)はさらに悪くなり、21(土)はさらに悪くなり。

 

でも、22(月)あけると、また23(火)は祝日だし、何科にかかっていいのかもわからないし、病院で待つ時間を想像すると、そちらに耐えられそうになかった。

体調はますます悪くなり、23(火)の夕方になって、あと半日とはいえ、これは平日になる明日まで持たない、とはっきりとわかり、救急車を呼んだ、ってわけです。

 

 

自分で死をはっきり感じた記憶は今でもはっきり思い出されるけれど(意外というか、突然すぎて考える時間がなかったせいか、こんなもんかな、人ってあっけなく死ぬんだな、という心持ちでした)、

もう待てない!の判断は自分の記憶より1日遅かったわけで、本当にギリギリだったのか。。。

 

 

にしても、カルテを読むと、本格的な不調が発生したのって20(土)の彼岸だったのか!

今、気づいた!

後づけではあるけれど、この時期、向こうの世界と近くなるってこと、あるのかな〜。

 

このときの私は23(火)〜28(日)の入院で、最低でもあと2週間は入院を、を振り切って、輸血してもらって、ふらふらしながら退院したのだけれど、

彼岸入りの20(土)に本格的に体調が悪くなり、お中日の23(火)に入院し、26(金)の彼岸明けの後(週末だったから)、28(日)に退院したってのは、

2008年の秋のお彼岸の間はあちら側に随分近かったのね、私。

 

やっぱり今どきの若者はフラットでいいなぁ

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ここのところ、外で仕事をする頻度が高く、しかも、初めまして!な方と現場で会うことも少なくない。

その初めまして!のスタッフは、ここのところ、女性よりも男性の方が多い。

でもって、子供といってもおかしくない男性たちと仕事をする機会もあるわけだ。

 

おもしろいなぁ、って思うのが、たまたま私の周囲にいる方たちだけなのか、

その若者たちがすご〜くフラットなんですよね〜。

 

それはどこでわかるか、っていうと、仕事そのもの、というよりも他愛ない話をしているとき。

おとなしいわけでも、懸命に喋るわけでもなく、ごくごくフラットにどーってことない会話のキャッチボールをするという。初対面なのにね。

 

いくらこちらが年齢を気にしない、といっても、相手もそうだとは限らない。

自虐っぽいことをいちいち言う必要はないし(おばさんだから、とか)、教えてやるなんて態度はもってのほか(むしろ教わることが多いのはこっちだ!)って思っているから、そんなことはしないけれど。

だから、対等(と私は思っている)にどーってことない話をしてる、というね。

 

 

いやぁ〜、コミュニケーション能力の高さや社会性にびっくりしちゃうよ!

私なんぞ、今でこそそういうの楽しめるようになったけれど(20代後半、このままじゃ生きていけない!って開き直ったから)、基本、内向型なこともあり、人見知りだし、仕事に関係する話はできても他愛ない話をする、なんてことは、若い頃はできなかった。

 

フラットって言葉が本当にしっくりくる。

こういう気負いのない態度っていいなぁ。

私の周囲だけなのかな。若い人が特にそうなんですよね〜。