書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

心底がっかり! いまだにこんなことを平然と言うなんて

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いいも悪いもなく、へぇ〜、ぐらいの心持ちでいつもは彼らの発言にふれているのですが、

いまだにこんなことを平然と言い放つなんて、私が担当編集者なら、信用しないし、チャンスを見計らって切るね。

miyearnzzlabo.com

 

どこの箇所かっていうと

「編集者からライターになる利点」のヘッドラインにある、締め切りの話。

 

うん、そうですよ、本当に間に合う締め切りはちょい先だったりしますよ。

でもね、こちらはあなたたちだけを相手にしているわけじゃないのよね。

スクープや突発的なことが入ったら対応しないといけないから、そちらの余力も残しつつ、

そもそも原稿ももらったらそれでおしまいじゃない、目を通して過不足があれば対応する、内容によっては打ち返す、

編集作業が全部、ギリギリの締め切り前に一度に来ると物理的に対応できない、のよ。

なので、あらかじめ決まっている連載とかは、多少なりとも時間に余裕をもたせて、やっておきたい、のよ。

 

締め切りを破ってこそ一流を気取るみたいなポーズ、ほんと、ヘドが出るほど嫌い!

「編集者からライターになる利点」があるのであれば、むしろ編集者がどういう動きをするのは知っているわけだから、仕事をしやすいようにすることなんじゃないの。

締め切りを守る、とか、遅れそうになったら連絡を入れる(体調が悪い、突発的なことが起こった、とか、そういうのは生きていればあるわけで、わかった時点で連絡をもらえればそうおおごとにしなくても対処できる)、とか、迷ったら相談する、とか。

でも、これ、何も特別なことじゃなくって、人として当たり前の姿勢じゃないの。

 

確かに、私の印象だと、こういう人の比率、年齢が上がると増えるように思う。

かつてのメディアに色濃くあった、なあなあでお友達体質(これも、本当に嫌い!)を、困ったことに悪気なく受け継いでいる、というか。

 

もちろん、ごくごく一部には、看板ともいえるネームバリューと圧倒的な才能を感じる人はいる。もう、うまいなぁ、と唸るしかなくって、それは締め切りを破るとかを、才能が帳消しにしてしまうのは事実。

 

でも、そうでない人の場合(彼らがそうだと言っているわけでなく、一般論として)、

作家大先生ではなく、いち商業ライターの場合は、その態度は決して褒められたものじゃない。

 

原稿を商品に置き換えるとわかりやすいんだけれど、

決められた日に納品しない、ってのは一体どーゆーことなのか、そしてそれを平然と言ってのけるってのはどういう神経をしているんだ、って話。

商品が入らないだけでなく、携わっている人はその心づもりでいるから、そののその日の予定も狂う、ってことなんだよ。

 

普段は一般市民を代弁するふりをしながらも、メディアに携わっている人特有のくだらない選民意識、ってこういうところに透けて見える。

こーゆーの、ほんと嫌い!