書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

かくも記憶は曖昧なものなのか

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毎年秋分の日を迎える頃になると、2008年のこの時期に生死を彷徨ったんだな、というのをぼんやり思い出します。

そのとき血液量が1/3減少し、文字通り既の所で一命をとりとめたわけで。

 

今年は、更年期の経血過多による貧血のような症状でなんだか本調子じゃなく、そのときと体調を比較したりして(もちろん、今の方が断然元気ではあります)、

 

ricorice.hatenablog.com

 

このときのカルテと事後経過を引っ張り出してみたところ

(事後経過でずっと通い続けたかったけれど、通うにはあまりに遠方に引っ越したので、自分の身に再度同じようなことが起こったときのために、提出できるようカルテをもらったのです)、

あれっ、記憶がズレてる!

 

 

夜、明日は自分には来ない!と確信して、夕方救急車を呼んで、休日だから診療できないと一度家に戻されて、でも、やっぱりこれはあと2〜3時間も持たないだろう、ともう一度救急車を呼んで、そのまま緊急入院したのが、23日(火)の深夜。

 

私の記憶の中では入院したのは1日早かった。22(月)かと思っていたら、違っていた。

調子が悪くなり始めたのが前の週の18(木)とか19(金)で、その時はまだそこまで深刻ではなく、週末はゆっくりして、23(火)が過ぎても調子が戻らなかったら病院に行こう、とぼんやり考えていました。

それが、一向によくなる気配がない。

ほとんどの時間を横になっているにもかかわらず、20(土)はさらに悪くなり、21(土)はさらに悪くなり。

 

でも、22(月)あけると、また23(火)は祝日だし、何科にかかっていいのかもわからないし、病院で待つ時間を想像すると、そちらに耐えられそうになかった。

体調はますます悪くなり、23(火)の夕方になって、あと半日とはいえ、これは平日になる明日まで持たない、とはっきりとわかり、救急車を呼んだ、ってわけです。

 

 

自分で死をはっきり感じた記憶は今でもはっきり思い出されるけれど(意外というか、突然すぎて考える時間がなかったせいか、こんなもんかな、人ってあっけなく死ぬんだな、という心持ちでした)、

もう待てない!の判断は自分の記憶より1日遅かったわけで、本当にギリギリだったのか。。。

 

 

にしても、カルテを読むと、本格的な不調が発生したのって20(土)の彼岸だったのか!

今、気づいた!

後づけではあるけれど、この時期、向こうの世界と近くなるってこと、あるのかな〜。

 

このときの私は23(火)〜28(日)の入院で、最低でもあと2週間は入院を、を振り切って、輸血してもらって、ふらふらしながら退院したのだけれど、

彼岸入りの20(土)に本格的に体調が悪くなり、お中日の23(火)に入院し、26(金)の彼岸明けの後(週末だったから)、28(日)に退院したってのは、

2008年の秋のお彼岸の間はあちら側に随分近かったのね、私。