書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

家電をチェックしに量販店へ

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これ!と決まった本etcはAmazon

文房具(仕事回りの備品)などはアスクル

決まったものはオンライン(アスクルは以前はfax)で、

おそらく今も都内に住んでいたら生鮮食品もAmazon Freshを利用したでしょう。

 

国内でも海外でも、飛行機も電車も宿もイベントのチケットの購入もオンライン。

洋服や靴、バッグなど身につけるものは、

昔から目的をもって買い物に行くのではなく、

ふらふら〜と空き時間で買うことが圧倒的に多い(海外で買うことが多い)。

 

実生活で実店舗に行くってこと、ほんと、激減したなぁ。

電化製品の不具合も持ち込むことが少なくなって、

電話して(これ、いつもすごい!と思う。見えていないのに)解決したり、送ったり、だもんなぁ。

 

 

先日、洗濯機を見に、近くに来たこともあり久しぶりに量販店へ。

今や小さいものはオンラインなんで、自分でもなんで量販店に寄ろうと思ったのかな〜と考えたら、

“大きさ(スペック)が書いてあっても今ひとつピンとこない。

 家の中においたときが想像しづらい”

ってことが大きいかも。

 

で、買うのもおそらく量販店だろうな。

というのも大物家電って単に購入だけでなく、

配送、設置、リサイクルetcがもれなくついてくるんですよね。

となると、量販店の方が話が早い、ってもんで。

自分を例に、こういう購入心理ってもっと突き詰めて考えてみたい、と思います。

 

 

怒濤の1週間が終わった!

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先々週の木曜日だったか金曜日だったかから始まり、先週いっぱいは

怒濤の1週間でした。

 

忙しい、わけではなく、重なるときは重なる、んですよねぇ。

・7月頭発売の書籍の印刷所にデータを渡す前の校正

・9月頭発売の書籍の撮影&取材

がもろにかぶり、しかも撮影&取材の4日間は東京(現在の私の居住地は東京から遠く離れたところです)で、インフラが整っていない(プリンター&スキャナが使えない)状況で、

もちろんキンコーズなどに駆け込めばいいのだけれど、時間に余裕がないので、

デザイナーさんにお願いして、プリントアウトしてもらってそれをチェックして、校正紙を受け取って持参して、を繰り返す、と物理的に動く、動く(DPFになる前はこうだったわけで、この感じ、懐かしいなぁ)。

 

取材&撮影はいつもより遠方だし開始時間も早いし、

夜は夜でぎりぎりで約束が入ったりキャンセルになったり入ったり。

タイミングよく入ったものは、このタイミングの勢いは止めない方がいいだろうな、と判断し、

1日ぐらい寝なくてもね、でそそくさと出かける。

 

その間、企画提案から制作指揮/編集統括として仕事をした

『ドイツパン大全』がグルマン世界料理本大賞2018のパン部門でグランプリ獲得という、

うれしいニュースも飛び込んできたり。

ricorice.exblog.jp

 

仕事が重なったこともあるのだけれど、なんだかいろんなことが怒濤のように起こって、

仕事含め会った人会わないまでもやりとりをした人との一言一言が、

刺さるとも違う、沁みるとも違う、

後になって、ああ、そういうことだったんだ〜、になるんじゃないのかなぁ、って予感。

なんだか風向きが大きく変わりそう。

原因はごく身近の小さなことだったりする

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プリンタ複合機、スキャナが動かなく、

まいったなぁ、な状況になり、

取り扱い説明書を読んでも、ネットの公式サイトや該当しそうなところを読んでもダメ。

夜遅かったので、メーカーへ問い合わせもできず。

 

それは出張直前のこと。

急ぎだったので、スキャナが使えなくてもできるやり方にし、

翌朝先方にも連絡して理解&対応してもらって、

なんとか切り抜けました。

 

出張から戻り、やっと落ち着いて話ができる状況になり、メーカーに電話。

指示に従い、あれやこれや。

 

う〜む。やり方、間違ってないのになぁ。

アンインストールして再インストールしてもダメ、あれしてもこれしてもダメ。

メーカーの方も、困った模様。

 

「あっ、○○をチェックしてみてください」

と確認したら、そこがまさにスキャナが作動しなかった理由。

 

こんなことだったんだ!

気づいてもおかしくないことだったのに。

 

「ひゃぁ〜、こんなことで電話しちゃって申し訳ないです!」

「いえいえ、私もすぐに頭が回らなくって」

 

 

問題が起こったとこに、まずは現状をひとつひとつ確認すれば、

理由はあって、それは小さなことで、そこを修正すればスムーズにいく。

ことを必要以上に大きくする必要はないし、必要以上の労力を注ぐ必要もない。

そういうことなんだよねぇ。

以前住んでいたところを、離れてから初めて訪れた

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その日、そういう動きと時間のタイミングで、以前住んでいたところ、

18歳から40歳前半まで(途中イギリス在住もあったけれど)を過ごした東京で、最後に住んでいたところを訪問。

 

人に会う約束がその日の夜でなければ、別のところで会う可能性が高かったし、

その日、そこに行く前に、急遽立ち寄るところが出てきて、

そこに寄ることにならなければ別ルートで約束した場所に向かったわけだし、

地下鉄に乗ったときに、最寄駅は別だけれど、あっ、ここで降りてもいける、とふと思い出し、

それが以前住んでいたところの最寄駅のひとつだった、ってわけです。

 

こうしたいろんなタイミングが重なって、しかも時間に少し余裕があったので、思いがけず以前住んでいたところとその周辺を歩いた次第。

 

そこを離れる直前(直前の1カ月ほどね)の日々は、デジャヴの反対で、自分(の感覚)だけが先の未来に行っていて過去のシチュエーションに暮らしている気分だったけれど、

そこと地続きになっていて、やっと自分の時間軸と整合性がとれた感じ。

 

 

にしても、住所自体は忘れても体は覚えているもんですね〜。

7年ぶりだったけれど、すいすい歩いて、ここも変わっていないここも変わっていない(私が住んでいたそこは、住宅街というよりも超高級邸宅街ってこともあって、あんまり変わらないし、変わりようもないんだろうけど)、

お店が変わったな〜、とかが多少あったぐらい。

 

 

その街と私の相性はまずまず。

住所を文京区と書くのは、その前の同じ文京区の別のエリア含めて、最後まで自分のなかでしっくりこなかったけれど、エリア自体はいいところだなぁ、と改めてしみじみ。すーっと落ち着いた気持ちになれる。

 

私の年齢やタイミングと街の表情など、いろんな要素でばっちりだったのは、20代の世田谷に住んだとき。

野沢、そして人生でいちばん長い時間を過ごした弦巻は、

住み始めてすぐのときですら、住所を書くのも抵抗や違和感がまったくなく、オーダーメイドの服の街版といったフィット感。

 

世田谷時代は新玉川線(現・田園都市線)を利用していて、ここ数年、また使う、乗り降りする頻度が高く(30代で文京区に住んでいたときはそんなことなく、今の住居は東京から遠く離れている、にも関わらず)、それもまた不思議な感じ。

 

タイミングが合うとき合わないとき

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居住地こそ移したものの、

古巣であり、今の仕事の磁場である東京には月イチの割合で行く日々。

メインとなる仕事を軸にスケジュールを組み、

あいている時間を利用して、打ち合わせや下見など長時間におよばない案件を入れる、

という流れです。

 

見透かしたか、と思うように、

次いつ東京ですか? 来週ですよ〜

に端を発し、トントントンと予定が入ることもあれば。

この日であいている時間ありますか? ○時〜○時は確実です。

その時間がNGなので、別の日の○時〜○時はどうですか? それは厳しいです

のときは、それが繰り返され、結局流れることもしばしば。

 

物事ってサクサク進むときは進むし、

動かないときは、どんなにすり合わせようとしてもダメなんでよね〜。

なんとかお互いの都合を合わせることができても、

ぎくしゃくな感じがつきまとうってことも少なくないし。

不思議というか、当たり前というか、ね。

女性の方がきめ細かい、は本当か

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私は、自分が雑なので、こういう言葉をきくと、そうかなぁ、と思ってしまうのです。

たとえば、日常の家事。

私が、この人、ていねいだなぁ、と思うなかに男性もいるもんなぁ(たまに、じゃなくって、日常のレベル、でね)

仕事も、そうよね。

最近の若い男性は気が利くな、ってこと多いし。

 

女性の方がきめ細かい

の奥には、空気読んでよ、察してよ、の言葉が潜んでいるような気がしてならないのです。

 

こういうのって個体差で、

自分の思うようにしてもらえないことを嘆く女性が、

女性の方がきめ細かい、って言葉で本心をオブラートで包んでいるようなこともままあるように見受けられるんだけど、なぁ。

 

 

私の場合は、回想するにはまだ早いので

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疲労困憊、強烈な睡魔が襲う、飲み過ぎた、

なんて時以外は寝る前に少し本を読むのが最近の習慣。

このときは、資料ではなく、個人的に読みたいものを読んでいて、昔読んだものを読み返したりすることも。

 

 

ザ・ビートルズのメンバーだったら誰になりたい?

と訊かれ、間髪入れずリンゴ・スターと答えたらえらく驚かれ、

ジョン・レノンじゃないの?と

(私に質問したのは、イギリス人の友人で、私のことをrebelと思っている)

 

確かに、ものすごおおおおおく影響を受けたし、

かといって、世代が違うこともあって盲目的な信者ではないし、

真心ブラザーズの「拝啓、ジョン・レノン」こそが正しい姿だと思っている(彼らとは同世代だから、ああいうアプローチってのもよくわかる)、

 

強烈な個性とか自我ってのは、扱いが大変で、周囲もだけれど本人も疲れるだろうなぁ、としみじみ思うのです。

リンゴ・スターみたいな、才能というかエゴというかのなかで緩衝剤の役割を果たせる、って、できそうでできない。すごいことですよ!

 

 

現在、『回想するジョン・レノン』を久しぶりに読む日々。

1年半前にロンドンのV&Aミュージアムで「You Say You Want a Revolution? Records and Rebels 1966-1970」って展示をやっていて、

このタイトルなんかまさにそうで、ここでも当然、ジョン・レノンは入ってくるわけでして。

ricorice.exblog.jp

 

『回想するジョン・レノン』は読もう読もうと思い、20歳の頃に買ってそのあとの引っ越しても手放さず、手元においているのに、やっと今、読み返す。

しかも四半世紀ぶりとか、かも。

 

 

おもしろい、というよりも、淡々とじわじわと沁みてくる。ものすごく静かで、深い。

にしても、いろんな意味で時代の半世紀先をいっていたのか、この人は?

原書で読みたくなった。

ポチる、とするかな。