書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

以前住んでいたところを、離れてから初めて訪れた

f:id:ricorice:20180601164018j:plain

 

その日、そういう動きと時間のタイミングで、以前住んでいたところ、

18歳から40歳前半まで(途中イギリス在住もあったけれど)を過ごした東京で、最後に住んでいたところを訪問。

 

人に会う約束がその日の夜でなければ、別のところで会う可能性が高かったし、

その日、そこに行く前に、急遽立ち寄るところが出てきて、

そこに寄ることにならなければ別ルートで約束した場所に向かったわけだし、

地下鉄に乗ったときに、最寄駅は別だけれど、あっ、ここで降りてもいける、とふと思い出し、

それが以前住んでいたところの最寄駅のひとつだった、ってわけです。

 

こうしたいろんなタイミングが重なって、しかも時間に少し余裕があったので、思いがけず以前住んでいたところとその周辺を歩いた次第。

 

そこを離れる直前(直前の1カ月ほどね)の日々は、デジャヴの反対で、自分(の感覚)だけが先の未来に行っていて過去のシチュエーションに暮らしている気分だったけれど、

そこと地続きになっていて、やっと自分の時間軸と整合性がとれた感じ。

 

 

にしても、住所自体は忘れても体は覚えているもんですね〜。

7年ぶりだったけれど、すいすい歩いて、ここも変わっていないここも変わっていない(私が住んでいたそこは、住宅街というよりも超高級邸宅街ってこともあって、あんまり変わらないし、変わりようもないんだろうけど)、

お店が変わったな〜、とかが多少あったぐらい。

 

 

その街と私の相性はまずまず。

住所を文京区と書くのは、その前の同じ文京区の別のエリア含めて、最後まで自分のなかでしっくりこなかったけれど、エリア自体はいいところだなぁ、と改めてしみじみ。すーっと落ち着いた気持ちになれる。

 

私の年齢やタイミングと街の表情など、いろんな要素でばっちりだったのは、20代の世田谷に住んだとき。

野沢、そして人生でいちばん長い時間を過ごした弦巻は、

住み始めてすぐのときですら、住所を書くのも抵抗や違和感がまったくなく、オーダーメイドの服の街版といったフィット感。

 

世田谷時代は新玉川線(現・田園都市線)を利用していて、ここ数年、また使う、乗り降りする頻度が高く(30代で文京区に住んでいたときはそんなことなく、今の住居は東京から遠く離れている、にも関わらず)、それもまた不思議な感じ。