書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

第三者に綴ってもらったプロフィールは・・・

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ある企画にご協力をしました。

名前と肩書きも入れてくださるということで、ご担当の方はまったく知らない方じゃないし(といっても挨拶をしたことがある程度ですが)、何より企画に沿ったものがいいだろうから、お任せしました。

 

確認のご連絡をいただき、見ると、名前と肩書きのほかに簡単なプロフィールも載せてくださっていました。

ありがたい!

 

ここで、(改めて)新鮮な発見が!

第三者から見たら、私ってこう映っているんだ〜。

そしてそれは、自分から発信している内容に比例するってこと。同時に何人もいらっしゃる中でひとりひとり差別化するために、そこの部分をチョイスなさったんだろーな、というのも、その方と同じくとりまとめをする立場にいることが私は多いので、よおおおく理解できる。

 

 

見せたい自分とか、なりたい自分とか、今、こうやって自分で発信できる時代だからこそ、自分でコントロールできるんだなぁ。

でもそれは一朝一夕にはいかない。

とにかくコツコツ積み重ねことありき、なんだけど。

自分が100やって、ようやく他人は1か2見てくれる。

だから第三者に“私ってこうなの!”を認識してもらうには、地道にやっていくしかないんだよなぁ。

 

それにしてもプロフィールを、しかもこんな風に綴っていただくとはまったく思わなかったから(企画内容を鑑みると、ね)、とっても不思議な感じです。

 

ボランティアって滅私奉公って意味じゃないよ

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よく、自分はボランティアでやってるから、とか、使命と理想があるから、とか、

その人たちが本当に自腹でやっていれば別だけれど、

それを理由に、こちらにもそれを共有して仕事をやってくれ、と言う人がいます。

わかりやすく言うと、廉価もしくはタダ同然で。

 

でもね、1円でも利益を出しているのであれば、

それはもうビジネスであって、○○のためだから、社会貢献しているから安くていい、それが美しい、が前提なのはおかしい。

そこの根底にある、お金を稼ぐのは悪いこと、もおかしい。

ご本人はそれでいいし、勝手にすればぁ〜ですが、周りにそれを求めるのはおかしい。

 

打診するのは構わないけど、

共鳴して、ひと肌脱いでもいいよ!というのはこっちの判断であって、

あなたが言うことじゃない。

ボランティアって自発的って意味であって滅私奉公じゃないんだよなぁ。

 

そうしてそういう人にかぎって、親切で廉価もしくはタダ同然でやってもらったことを言いふらす。

そのことがお願いした人の価値を貶めることに気づいていないのだろうか。

この人、この値段でやってくれるんだー、って周囲に印象づけてるんだよ。

公に言う必要のなことは言わなくていい。

こういうの、恩をアダで返す、って言うんだよ。

 

滅私奉公に通じる、日本語のボランティアって言葉をを抹殺したくって仕方がないです。

 

本作りは体力と気力ありき、です

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現在進めている本のプロジェクトがいよいよ、本当にいよいよ大詰め。

ほかの仕事もしつつ、ではありますが、

寝ても覚めても日々大量の校正の日々です。

 

普段、私は肩凝りを感じないのですが、

本作りが大詰めになると、肩から背中にかけてパンパンになります。

 

以前、自著を作ったとき、撮影用に100種類以上の菓子製作も行いました。

私は体躯ががっしりしている、肩幅があり体が厚いせいもあり、

二の腕も相当たくましい。

 

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、菓子作りは実は体力仕事。

このときのカメラマンさんが「いやぁ〜、ちゃんと仕事している腕だよ!」とおっしゃり、

うまい言い方するなぁと感心したのですが、

それだけでなく、本を作っていることも二の腕をたくましくさせているのでは、

な〜んて思ったりして。

だって、ひたすら腕を動かしているんだもの。

 

本作りは大詰めになるとしっちゃかめっちゃかで、まさにケオスですが、

それを乗り越えるのは、

・体力

・気力(お気楽さ、ともいえる)

だなぁ。

 

しかもスムーズに進むべくもなく、長〜い障害物競走、というか、サバイバルゲーム、というか。

こんなもんでしょ、って思っているけれど、確かに体力も気力もないと越えていけないもんね。

編集者がいない、脱落する人が多い、ってのは、これも理由なのかもねぇ。

 

付加価値ってこういうことだよ!

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この手があったか! 

そうだよ、そう! そう! 付加価値ってこういうことなのよ!

togetter.com

 

購入者って、別に離婚届が欲しいわけじゃない。

欲しいのは書き方。どう書けばいいか、ってこと。

 

離婚届は書いたことないからわからないれど、書類関係って、たとえば私は自営業なので年度末には確定申告なるものがあり、頭を抱える人は多い。

それをに、噛み砕いたわかりやす〜い書き方とか代行とかあれば、ホイホイ買っちゃうと思うよ。

 

もっと簡単な、外国に行くときの入国審査用の用紙だって、

えっ、これ、どう記入すればいいの?わかんない!って人たくさんみるもん!

 

取扱い説明書の類もそうじゃない?

Ikeaみたいにインフォグラフィクにするか、あらかじめセッティングされたものを買うか、誰かに頼んでやってもらうか。

 

こういうの読解力、というよりも、むしろ読んで理解するのに要する時間がもどかしい、って人が多いんじゃないかなぁ。

 

 

こんなにモノがあふれていて、しかも一番身近な存在のショップのコンビニで、なんでも廉価でまかなえるこんな時代。
コンビニ的じゃないところが何を売るかっていうと、もうモノじゃないんだよね、サーヴィスとかこういう付加価値なんだよね〜、っていうのが、非常に端的に表れていると思いますっ!

ブログのアフィリエイトって

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私が長いこと、もうひとつ運営しているブログにはアフィリエイトをはっています。

というと、ブログで稼いでる?と思われそうですが、ほとんど利益は出ていません。

アクセス数とかからみると、もちっと収益があってもよさそうなのは事実ですが、

アフィリエイトに本腰を入れていないので、まあ、こんなもんでしょう。

 

私が利用しているのは、Amazonアソシエイト

なんでアフィリエイトをおいているか、っていうと、

・箸休め(自分の記事ばかりだと息がつまりそう)

・何でもって、実際に商品を買ったり興味をもったりするのかを知りたい

というのが理由で、特に後者は大きい。

 

自著が売れてうれしいよ!ってのもありますが、むしろ大半は、

えっ、こーゆーのが売れたの?

です。

眺めていると、注文したご本人には脈略があるのでしょうが、

こっちから見ていると???でそれがおもしろい。

 

まあ、自分もウェブサイトやほかの方のブログで、

あれっ、これ何?とふと目にとまりポチることがあるので、そのせいかもしれませんし、

それがきっかけになって、そういえばあれ買っとこう!になることもありますし。

 

 

ブログには大きく

・自分のため(情報の伝達)

・稼ぐ手段

の2つがあります。

 

私が重きをおいているのは、

・自分のため(情報の伝達))

なので、収益に無頓着なのですが、

・稼ぐ手段

としては、実際にアフィリエイトに力を入れる/入れないはおいておいて、もっと勉強しないとなぁ、とは思っています。

だって、私の細々としたアフィリエイト状況をみてもわかるように、消費行動も宣伝方法も変化しているわけで、そのことが見事に反映されているんだもん。

そりゃそうだよね、あらかじめ自分から言うのも策かも

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本を作る仕事というのは、本当に家内制手工業だなぁ、とやるたびに感じます。

こんなに技術が発達しているので、その恩恵にあずかっていない。。。

とにかく手がかかる。

 

現在、大詰めまっただ中の本の仕事は、

著者の方とは、昼も夜も、平日も週末もなく、連絡を取り合って進めている状況です。

 

とはいえ、私は基本、相手が組織に属していらっしゃる場合は特に、緊急時以外は、

平日の9〜18時内の連絡(メール)を心がけています。

だって、帰り際や週末に、急ぎでもないのに仕事のメールが入っていたら嫌じゃないですか。

私自身、夜遅くもしくは週末に連絡があると、何ごとか!と思ってドキドキしていまう。。。

 

 

あるとき、会社に属していらっしゃる方から、

その方は平日は、うちうちのスケジュールにもかかわらず、どんなに遅い時間でもきっちり締切りを守ってくださり、ある金曜日の夜、できたものの送付とともに

「土日は出社しません。基本、連絡もNGとしてください。なにかあれば月曜日からお願いします!」と。

 

そりゃそうだ。

私自身は上記の自分内ルールで気をつけてはいるけれど、つい、ってことはあるだろうし、ほかの方もそれだけ週末の連絡が多いってことなんだなぁ。

 

改めて気をつけよう!と思ったのと同時に、自分からアピールするのも大事、と。

私、こういうスタンスで仕事してます、ってのは気づかないこともママあるから、

言ってもらった方が断然やりやすかったりするしね〜。

察してもらえないことを嘆くのはナンセンス!だと思うなぁ。

“県”じゃなくって“藩”で捉えるほうが、ずっとわかりやすい!

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私は大学から東京で、以降大人になってからの長い時間を東京で過ごして、数年前に福岡で暮らすようになりました。

それまで福岡には出張で何度か来ていたし、生まれ育った山口(とはいえ引っ越しを何度かしていることもあって、地元意識は希薄ですが)とは隣県で、まったく知らない土地ではない、と思っていたのに、見事に違った!
住んでみてあまりに?????に遭遇がするので面食らうことしばしば。

それは、一般生活よりもビジネスシーンで顕著です。

その理由をずっと考えていて、ひとつの結論に達しました。

 

“藩”で捉えること。

 

よく“県民性”などといわれる“県”で捉えるのではなく“藩”、もっというと、そこの藩のお殿様がどういう性質の人物だったか、何をやっていたのかの見地から見ると、すべての謎がすーっと解明できます。

 

で、“藩民性”を紹介した雑誌記事があると知り、ようやく読んだのですが、

ページ数が充分でなかったり、特集の大半が現在の県もしくは都市に焦点を当てたものでそのなかのひとつの記事なので、私が知りたいと思ったことにかすりもしなかったのですが。。。

それでも、“県ではなく藩で捉える”という私のアプローチはひとつの考え方として成立していることに安堵してみたり。

 

GWに類書を探して読むとしますか。