書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

とんでも新入社員だったのか先駆者だったのか

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大手広告会社の社員だった女性の自殺のニュース。

さらっとしか事情を知らないのですが、多方面から深く考えさせられます。

 

そのなかで、私が最初に疑問に思ったこと。

彼女は、上司とか周囲に何も言えなかったのかな?ってこと。

言えなかったからこそ、ツイッターを利用していたのでしょうが、21世紀に入って随分経つというのに、時代を逆行しているようで、くらくらして、息苦しさを覚えました。

 

 

私が新卒で社会人となり、当時大手の会社に入社したのは(社員が1万人と言われた記憶)、1991年(だったと思います)。

戦後できたその大手の会社は、当時としては新しい部類に入り、そして業界としても比較的封建的でなく、お茶汲みなんてものは存在せず、打ち合わせなどで必要ならヴェンダーで買う、といった会社でした。

入社して間もない頃の研修期間には労働法の話などもあり、それはそれはすばらしいものでしたが、ご多分にもれず建前と本音ってものがありまして。

 

その会社では、労働法に基づいた就業規則を遵守しようとするあまり、サービス残業が日常の風景になっていました。

 

これって、おかしいじゃん!

もし、事故が起こったら誰が補償してくれるの?

 

社会はそんなもん、言っても変わらない、といった声もありましたが、私は納得いかず、どういう経緯を経てか忘れちゃったけれど(直属の上司に対してか、人事部を通してか、パイプ役に訴えたか、どうしたんだっけ?)、

私、サービス残業しないっすよ!

と宣言。

そして、その後、本当に会社の規則で決められた上限までしか残業しなくって、というか、上司がそういう計らいをしてくれて、とっとと帰ってたんですよね〜(それは私だけでなくほかの人にも適応されたんじゃなかったかな)。

 

新入社員時代は(といってもその会社には1年ちょいしかいかなかったけど)、配属先ごとの仕事に即したものと、社会人一年生としての2つの研修がありました。

後者の新入社員研修は、体育会系の合宿みたいな内容で、この研修って何の役に立つんですか?日本経済新聞の読み方とかニュースの見方みたいなのを教えた方がよっぽど役に立つんじゃないですかぁ、みたいなことも言ってかみついたなぁ。

 

 

とんでも新入社員、と頭を抱えてさせていたと思います(本人はそんなことまったくおかまいなし、だったけど)。

で、周囲との関係がギスギスしていたかというと、多少腫れ物扱いはあっただろうけど、和気あいあいやっていた、んじゃないかな。まあ、時代がまだ余裕があった、ってことも大きいのかもしれないけれど。

 

 

余談。次の会社では、馬車馬のように働き、それはやりたいことだったし、仕事を覚えるのに夢中だったし、仕事が楽しかったし、だけれど、それをすべての人に当てはめちゃいけない。

とんでも新入社員のときの私は、仕事はやりがいうんぬんというよりも、自分の時間を与え、働き、それに対して報酬を得る、それ以上でもそれ以下でもなかったから。

いろんなタイプの人が会社には存在するわけで、会社の目的は、そこの商品なりサービスなりで社会貢献をし、その対価として売上げ、もっといえば利益を作ることにあるわけで、そのための任務をちゃんと遂行していれば、それでいいんだと思うのです。それが時間内で収まれば申し分ないのです。

 

 

そんなわけで、件のニュースから前の自分の新入社員だったことが思い起こされて、それから四半世紀以上も経つのに、先の彼女には、

私、無理です!

といえる場所が社内のどこにもなかったなんて。。。そのことにまず絶句してしまったのです。

 

私、負の感情は抱え込まないことが一番大事だと思っています。

抱えれば抱えるほど、その量は増し、深度も増す。

でも、生きている限り、うまくいかず悩んだり、憤りを覚えることからは逃れられない。

それを早い段階で解消できる機能が、プライベートでも、だけれど、会社でも備わっていることの必然性を痛感したのでした。