書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

理屈は後からついてくる

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私自身は完全に感覚と本能で生きているものの、

他者から何か言われるときは論理的に説明されないと理解が及ばず、なんで? なぜ?と訊いてしまう。

 

人に言うときも、意識がちゃんと回っているときは、できるかぎり論理的に話をしようと努めるのですが、

不意打ちの質問を喰らい、しどろもどろで咄嗟に浮かんだ言葉で答えることもしばしば。

 

そのときに理由がうまく説明できないのだけど、

なぜだろう? なんでそう答えたんだろう? なぜ自分でそう思ったんだろう?

と、後になってつらつら考えると、そこにはちゃんと理由があるんですよね、

自分の中では、ちゃんと論理立てて説明できる理由が。

 

 

先日もそんなことがあり、そのときの議題を議事録として整理していたら、

ちゃんと理由づけができていたんですよね〜。

なぜかな?を頭の中で熟成させていて、タイピングするときって考えながら書いていなくって、頭の中にあることを指を通じてアウトプットしている感覚。

書き上がって自分はこう言うことを考えていたのか〜と気づくのは、私にはいつものことで

それは原稿作成だけでなく、企画や思考についてもそうみたい。

 

後づけ、と言われればそれまでなんだけれど、

やはり瞬間の判断、というのはそれまでに自分のなかに蓄積している経験値とか知識とかでなさえている、ってことで、

思いつきって、普段使う頭の回線とは違っていても、やはりなんかしらの理由があって、ちゃんと判断しているんだなぁ。

 

 

でもって、この瞬間の判断、って変に雑念が入っていないからなのか、大概間違っていないのよね。