書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

欲しくないものは、押しつけられたところで要らない

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今日はヴァレンタイン・デーですね。

振り返ってみれば義理チョコ、みたいなものって渡したことないなぁ。

お世話になった方に会う日がヴァレンタイン・デーで、だったら、と小さなものを渡した、ぐらいか。

 

義理チョコやめよう、を全面に掲げる企業もあるようです。

パワハラとか、ややこしい人間関係とかもあるけれど、別の面で、チョコレートに限らず、もうモノは要らないんじゃない?とも思うわけです。

 

というのも、元来そういうことをする質ではないのですが、誕生日やクリスマスや、そういうときのプレゼント、旅行に行ったときのおみやげ、本当に滅多にしなくなりました。

面倒、というよりも、要らないよなぁ、もうモノは十分に持っているだろうし、って思っているのです。

実際に気のおけない人にいうと、要らない、好みでないものもらっても仕方ないし、と。

 

人からもらうものは、それによって、こういうものがあったんだね!って気づくこともあるけれど、たいがい自分の好みでないものだったりする。

そういうプレゼントは生活必需品ではなく、おまけ、のようなもの。

そこで趣味じゃないものをもらい、でも捨てるのはしのびない、ってキープする。そしてそれを繰り返しているんじゃないかなぁ。

 

 

いわゆるイベントにかこつけて、のお義理はもう要らないんじゃないかなぁ。

それよりも個人的な、たとえば合格したとか賞を受賞したとか、であれば、気持ちを伝えるのに何か物質的なものがあると目に見えて表現しやすい、ってのはある。

でも、そこでも、やっぱり相手の好みってものがあるので、消費できるもの、花束とか、食品とか、しかもたくさんでなくって、消費するのに負担にならない程度、お菓子だったら、1回食べて終わり、ぐらいなのがいいのかもね。

 

恵方巻きの廃棄問題とか、そういう面もあるのかもね。

もう、モノは十分に手に入れている。

欲しくないものは、押しつけられたところで要らない、っていうね。