書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

四半世紀以上の時を経て見えてくる、でもデータから漏れてしまうもの

f:id:ricorice:20181226220320j:plain
 

物事を客観的に判断&検証するには1世代分、

25〜30年の歳月を経て初めてできるんだなぁ、というのが私の持論です。

 

25〜30年より前、というと、バリバリ当事者としての記憶があり、

でも、その分、えっ?ってことも目がつく。

たとえば、ジュリアナ東京をバブルの象徴と評したり

ジュリアナ東京の開業はバブル崩壊と同じ頃。

 同じディスコなら、芝浦ゴールドなんかの方がよっぽどバブルっぽい。

 そして、バブル崩壊後、不動産はともかく、日本は急に不景気と閉塞感に包まれたわけじゃなく、

まだ元気があった。1990年代は雑誌もCDもよく売れたしね〜)。

ricorice.hatenablog.com

 

 

書き手がリアルタイムを知らず、

資料からこんなもんかな、という憶測を起点に記事を作成するのだろうから、

それはそれで限界がある、ってのは理解できる。

なので、世に出す前に、内部チェックしなかったのか、そちらが気になる。

(もちろん、それでも見落とすことっていっぱいあるわけだけど)

 

 

年末年始のテレビ番組の告知などが出回り、

「これ、観たいな」と思って紹介テキストを読んで、「えっ、違うんじゃない?」と思ってしまいました。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/9999/2779278/index.html

 

 

YMOイエロー・マジック・オーケストラ)。

言わずと知れた音楽集団(って言えばいいのかな?)ですが、

鳴かず飛ばず”という表記があり、「これ、違うんじゃない?」と首を傾げてしまいました。

 

以下、私の推察。

当初、YMOは戦略的に海外での売り込みを行った、のは、確かにそうだった、と記憶。

で、日本で最初に飛びついたのは、実は大学生以上の大人ではなく、低年齢層が多かったのでは、と思うのです。

 

よおおおく覚えているのが、中学校に入学して間もない頃、

本格的に授業が始まる前に自己紹介の時間があり、

「僕はYMOのファンです。○○という曲が好きです」と言った男の子がいて、

そのときに誰それ?とならなくって、かつその曲も知っていたから。

 

そこから推し量っても、私が初めて彼らを認識したのは小学校高学年のときで、

1980年に入るか入らないか(私は1969年生まれです)。

 

当時の私は、YMOは可もなく不可もなく。

今にして思えば、テクノなのか歌謡曲なのか、どっちつかずな雑多な感じで、そこがピンと来なかったんですよね〜

(今世紀に入ってやっとちゃんと聴き直した)。

いっそのことイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」のようにぐっとふってもらった方がすんなり入ってきた。

 

でもね、とにかく、YMOは知っていたんですよ。

今ほど情報があふれてなくって、田舎に住んでいて、それでも小学生の私は知っていたんですよ。

私が音楽とかにのめり込むのは中学生以降。なので、特別詳しかったわけじゃない。情報もあふれていない。こういうタイプのミュージシャンたちがテレビに出ることも稀

(「夜のヒットスタジオ」には出たんじゃなかったかな)。

それでも知っていたんですよ。

おそらくラジオで知ったんだと思う、私の場合。

(追記:っと、CMタイアップがあったそうです。記憶にないなぁ。。。)

 

 

で、ふと思い出したのが、1970年代後半から80年代に入る頃って、

インベーダーゲームがブームで、コロコロコミックだったかな「ゲームセンターあらし」なんて漫画も登場し、アニメ化もしたんだったかな。

いずれも私はさして興味を持たなかった。でも知っている。

なぜなら、こういうのに熱狂したのは同世代の子供(小学校高学年)があまりに多かったから。

 

そして、こういうときの音楽ってピコピコ音で、

だから、初期のYMOって実は大人じゃなく、子供(おそらく小学校中高学年〜中学生)が違和感なくすんなりなじめたんじゃないのかな〜

(今のようにデジタルサウンドがあふれている時代ではありません)。

現にファーストアルバムの『イエロー・マジック・オーケストラ』なんて、もろコンピューターゲーム感にあふれているし。

 

 

子供でしょ、当時アルバム(LP)が2800円ぐらいしたわけですよ。

子供にしてみれば高いのよ。おいそれと買えないのよね。

シングルが700円だったかな、普段買うのってそっちが主流。

アルバム(LP)購入という発想自体もなかったかもしれない。

 

ということは、ファンに子供の比率が高い、となると、

知名度の割にレコードは売れない、ライブに人が来ない、にはなるわな。

 

NHKの紹介記事にある“鳴かず飛ばず”は“売れなかった”という言葉を翻訳したんじゃないか、って思うんだけれど、

それは必ずしも“知名度に比例しなかった”ってことじゃないか、と推察するわけです。

だって、YMO以前のキャリアから、音楽好きな人(大人)の間では彼らはすでにとっくに知られていたわけで。

 

でも、YMOはそれまでの音の感触とは違っただろうから、戸惑ったかもしれない。

むしろ先入観のない子供の方が、素直に反応し食いついたのかもしれない。

 

 

過去を振り返るとき、仮説を立てることは大事だし、データを読み解いて論理的に説明することも大事だけれど、

意外と当事者の肌感覚が抜けていること、あるよなぁ、って思うのです。

なので、その当時をリアルで知っている人のチェック、もしくは声を聞くことはやはり必要なんじゃないか、ってね。