四半世紀以上の時を経て見えてくる、でもデータから漏れてしまうもの
物事を客観的に判断&検証するには1世代分、
25〜30年の歳月を経て初めてできるんだなぁ、というのが私の持論です。
25〜30年より前、というと、バリバリ当事者としての記憶があり、
でも、その分、えっ?ってことも目がつく。
たとえば、ジュリアナ東京をバブルの象徴と評したり
同じディスコなら、芝浦ゴールドなんかの方がよっぽどバブルっぽい。
そして、バブル崩壊後、不動産はともかく、日本は急に不景気と閉塞感に包まれたわけじゃなく、
まだ元気があった。1990年代は雑誌もCDもよく売れたしね〜)。
書き手がリアルタイムを知らず、
資料からこんなもんかな、という憶測を起点に記事を作成するのだろうから、
それはそれで限界がある、ってのは理解できる。
なので、世に出す前に、内部チェックしなかったのか、そちらが気になる。
(もちろん、それでも見落とすことっていっぱいあるわけだけど)
年末年始のテレビ番組の告知などが出回り、
「これ、観たいな」と思って紹介テキストを読んで、「えっ、違うんじゃない?」と思ってしまいました。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/9999/2779278/index.html
言わずと知れた音楽集団(って言えばいいのかな?)ですが、
“鳴かず飛ばず”という表記があり、「これ、違うんじゃない?」と首を傾げてしまいました。
以下、私の推察。
当初、YMOは戦略的に海外での売り込みを行った、のは、確かにそうだった、と記憶。
で、日本で最初に飛びついたのは、実は大学生以上の大人ではなく、低年齢層が多かったのでは、と思うのです。
よおおおく覚えているのが、中学校に入学して間もない頃、
本格的に授業が始まる前に自己紹介の時間があり、
「僕はYMOのファンです。○○という曲が好きです」と言った男の子がいて、
そのときに誰それ?とならなくって、かつその曲も知っていたから。
そこから推し量っても、私が初めて彼らを認識したのは小学校高学年のときで、
1980年に入るか入らないか(私は1969年生まれです)。
当時の私は、YMOは可もなく不可もなく。
今にして思えば、テクノなのか歌謡曲なのか、どっちつかずな雑多な感じで、そこがピンと来なかったんですよね〜
(今世紀に入ってやっとちゃんと聴き直した)。
いっそのことイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」のようにぐっとふってもらった方がすんなり入ってきた。
でもね、とにかく、YMOは知っていたんですよ。
今ほど情報があふれてなくって、田舎に住んでいて、それでも小学生の私は知っていたんですよ。
私が音楽とかにのめり込むのは中学生以降。なので、特別詳しかったわけじゃない。情報もあふれていない。こういうタイプのミュージシャンたちがテレビに出ることも稀
(「夜のヒットスタジオ」には出たんじゃなかったかな)。
それでも知っていたんですよ。
おそらくラジオで知ったんだと思う、私の場合。
(追記:っと、CMタイアップがあったそうです。記憶にないなぁ。。。)
で、ふと思い出したのが、1970年代後半から80年代に入る頃って、
インベーダーゲームがブームで、コロコロコミックだったかな「ゲームセンターあらし」なんて漫画も登場し、アニメ化もしたんだったかな。
いずれも私はさして興味を持たなかった。でも知っている。
なぜなら、こういうのに熱狂したのは同世代の子供(小学校高学年)があまりに多かったから。
そして、こういうときの音楽ってピコピコ音で、
だから、初期のYMOって実は大人じゃなく、子供(おそらく小学校中高学年〜中学生)が違和感なくすんなりなじめたんじゃないのかな〜
(今のようにデジタルサウンドがあふれている時代ではありません)。
現にファーストアルバムの『イエロー・マジック・オーケストラ』なんて、もろコンピューターゲーム感にあふれているし。
子供でしょ、当時アルバム(LP)が2800円ぐらいしたわけですよ。
子供にしてみれば高いのよ。おいそれと買えないのよね。
シングルが700円だったかな、普段買うのってそっちが主流。
アルバム(LP)購入という発想自体もなかったかもしれない。
ということは、ファンに子供の比率が高い、となると、
知名度の割にレコードは売れない、ライブに人が来ない、にはなるわな。
NHKの紹介記事にある“鳴かず飛ばず”は“売れなかった”という言葉を翻訳したんじゃないか、って思うんだけれど、
それは必ずしも“知名度に比例しなかった”ってことじゃないか、と推察するわけです。
だって、YMO以前のキャリアから、音楽好きな人(大人)の間では彼らはすでにとっくに知られていたわけで。
でも、YMOはそれまでの音の感触とは違っただろうから、戸惑ったかもしれない。
むしろ先入観のない子供の方が、素直に反応し食いついたのかもしれない。
過去を振り返るとき、仮説を立てることは大事だし、データを読み解いて論理的に説明することも大事だけれど、
意外と当事者の肌感覚が抜けていること、あるよなぁ、って思うのです。
なので、その当時をリアルで知っている人のチェック、もしくは声を聞くことはやはり必要なんじゃないか、ってね。