書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

これはいい反面教師である(嫌味じゃなくね)

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 ジュリアナ東京が大阪で復活するらしい(↓)。

www.huffingtonpost.jp

 

このニュースそのものよりも驚いたのが、その時代の切り取り方。

意図して、それは意識的なのか無意識なのかはわからないけれど、

あえて古さ、ひと昔前感を出すための仕掛けがなされていたこと。

 

 

ジュリアナ東京が存在したのは、1991〜94年。

 

ヘッドラインにある“ナウなヤング”。

この時代はすでに死語と揶揄されていました。

私の記憶だと、1970年代後半からせいぜい80年代初頭までじゃなかったかと。

 

バブルの余韻。

この時、バブルは崩壊していて、確かに不動産や証券あたりは慌てふためていたけれど、

日常生活は、突然不景気になったわけじゃない。

1990年代はまだイケイケな雰囲気があって、悲壮感はなかった。

それが証拠に(?)雑誌やCDの売り上げは1990年代が圧倒的なんですよね。

オンライン/デジタル配信がほとんどない今と同じ土俵では比べられないけれど、

それでも雑誌やCDを買う余裕はあったというわけです。

そういえば、賃貸の場合、東京は2年ごとに更新で、それに伴い家賃の見直しもあるんだれど、

毎回少額ずつだけど(私の家の場合ね)上がっていったよ。

 

そして極めつけが写真。

とうの昔に、モノクロの時代じゃないよ!

初見で戦後の写真かと思ったよ。

1969年生まれの私が子供の時の写真はすでにカラーだし、テレビもカラー。

うちは早い方だったと思うけれど、

それでも1970年代前半〜半ばにはカラーが主流になってたんじゃないの。

それとこれは非常に言いづらいのだけれど、

ジュリアナ東京でワンレン&ボデコンにジュリ扇振り回してお立ち台で、って人たちは

すらりとした、例えば実際によく行っていた飯島愛のようなイメージ。

 

 

本件とは関係のないところで、なんだなんだ!で、

ここまで歪曲するのは捏造に近い。

担当したのが若い方でその時代をリアルに知らず、

過去が一緒くたになっているにしても、

チェック機能が働かなかったのか、ものすごい不思議!

受ければ(売れれば)なんでもいいのであれば、その構造は「新潮45」と変わんないじゃん。

 

違いを際立たせる、目立たせるために

こういう大げさなことやりたくなる気持ちはわからないではないけれど、

事実を曲げるのは完全にNGでしょ。

自分を振り返って矜持を正さないとな、と気づかされたわけです。

 

 

それはそれとして。

ジュリアナ東京、行かずじまいなんですよね〜。

当時各メディアで話題になっていたし

テレビ朝日の深夜番組の「トゥナイト」(「トゥナイト2」だったかな?)でのレポートの印象が強いなぁ、私)、

物見遊山で、友だちと行こうか、ってわいのわいのしたけれど、

なんせ、行列。並ぶのは嫌いだし、

仕事が忙しくスケジュールが合わず行かずじまい。

場所も、ややアクセスが面倒だったしなぁ。

残念だわっ!