出だしでその後が決まる
結果として、できあがったものを見る分には違いはないのかもしれませんが、
制作している側からすると、安産もあれば超難産もあって、それぞれ状況がまったく異なる。
大変さって制作そのものじゃなくって(それはそれで大変なんだけど、それは想定内)、
トラブルが発生する、というか(本当に思いもかけないことが起こったりするんだなぁ)、そういうことが状況を大きく左右する。
おもしろいもので、最初がスムーズだと、何事も起こらず、ず〜〜〜〜っとスムーズにスイスイ。ほんとびっくりするぐらい、静かに落ち着いて事が運んでいく。
でも最初にあれやこれや起こると、途中途中で、別のあれやこれやが起こり、やっと終わった、と思っても、最後の幕引きがなかなかうまくいかない。
今案件もそう。
やっと終わった!と思ったのに、はぁ?みたいなことが起こり、数日おいて、別の角度からジャブが飛んでくる。
こればっかりは仕方ない。だって誰のせいでもないんだもの。
淡々とやり過ごして、早く本当に終息することを願うのみです。
理不尽な目に遭って怒りが収まらないときは
制作の場であれやこれや起こるのはそんなもんだ、と思っているのですが、
そうではない外的もしくはそれに近い要因で、なかなかことがスムーズにいかない案件がありまして、それでもなんとか終わった、と思ったら、最後の最後に、はぁ?なことが発生し、やりとりが終わった後も、その理不尽さに怒りともやもやが心を渦巻き、(すでに夜遅い時間だったので)、その日は「もう寝るっ!」とふて寝。
私が怒り心頭になる理不尽さって、自分だけでなく、私を窓口にして他のスタッフにもその影響がおよぶとき。
一体どう説明すればいいんだよ〜。こちらも被害者なのに、加害者側に回る、って感じ。
ともあれ、翌日、もやっとした気分を引きずりながらも、交渉をしつつ、スタッフサイドには説明に回る、と。
大半はメールで説明、ですが、おひと方だけ状況が入り組んでいて口頭でも説明しないと、なわけで電話を。
アウトラインはご理解いただき、今回、立ち上がりからなんだかうまくいかない状況をはたで見て知ってらしたので、「いやぁ、終わったはずなのに、最後の最後にきましたね」と。
そこでかくかくしかじか。すぐに話がそれにそれて、電話苦手な私にしては珍しく2時間ぐらい喋ってしまった。。。。
まあ、それで気持ちが随分落ち着いたので、よし、としよう。
私は我は強いかもしれないけれど、気は弱いので、
言うことは言うんだけど、
すぐに「これ、私が間違ってるの?」な気分が襲ってくる。
なので、「いやいや、間違ってないよ」と理性でもって言われると安心する。
(共感は求めていない。冷静な立場でジャッジをして欲しい)
一晩寝てスッキリしているときや、自分だけの問題のときは、そのままで放っておくのですが、
そうでない、今回のように翌朝も不快な気分がまとわりついているときは、
それをどこかで解消しないと、溜まっちゃうんだよな。
溜まってそれが爆発するのはよくないので、どこかでガス抜きを、となり、
今回は状況を知っている人に心情を打ち明け、そのあと、他愛ない話をたくさんしたことで、一気に気が軽くなった。
その方は、違うときは「それはあなたが違うんじゃない」と言う人で
(「あなたが間違っている」って言われるときも当然あって、落ち込むか口論になるかになるんだけれど、その後冷静になると、確かにそうかもな、と思えるので)、
その人が、「怒るのは当然」と言ってくれたことも、「自分が間違ってなかった、でも、理不尽なことは思いもかけない形でいつも起こるんだ」という心境になり、救いになった。
理不尽な目に遭って怒り心頭が収まらないときは、気のおけない人に打ち明けつつ、明るい話とかをして未来を夢見る、のが、私にとっての引きずらない解消法だなぁ。
怒りではなく、気持ちが大きく落ち込むこともあるわけで、そんなときは、状況を知る/知らないはまったく関係なく、ぎゅっと抱きしめてもらえると、それだけでものすごく安らぐんだよなぁ。
こちらは常時望めるわけじゃないのが難点だけど。
い、い、いかんなぁ〜、と思いつつ
10月に、約3カ月続いた怒涛の日々が終わった反動か、
その時期に体調が悪く寝食を削って仕事をしていて体重が減ったからか、
同時に出かけることが増えたからなのか、
(そして、なぜか、これまでと180°打って変わって外見を褒められる機会が増えたからか)
外出をするのが、そのときにちょっとおしゃれをするのが、楽しい。
で、これらの身に着けるものをどこで買うか、って話なんですが、
デパートでもファッションビルでもなんでもいいのですが、リアル店舗で欲しい!って思うものに本当に出合わない!
ひとつは色。地味でくすんだ色が多くって、これが苦手。私ははっきりしたウキウキする色が好き。
ひとつはデザイン。店頭で売られているのは細くて薄い体型用なんだよなぁ。。。私は小太り、というか、肩ががっしりしていて、よって体躯がしっかりしていて、しかも小人なので、まったくダメ。
そしてサイズ。デザインと重複しますが、私は小人なので、なかなかピタッとくる大きさのものがない。
あと、なんか安っぽいものが多いんだよね〜。まあ、実際に安かったりするんだけど。
じゃあ、どーしてるか、っていうと、昔の服を着たり、あとはネットのフリマやオークションを利用しています。
メーカーによってサイズ感って微妙に違い、それは失敗の元にもなるんだけれど、よく知っているところだと見当がつき、ハズレがない。
しかも、以前よりネットのフリマやオークションが浸透したせいか、いいものはそれなりに、安いものはちゃんと訳ありで、がしっかり見えるようになった気がする。
なので、届いてから、なんだこれ!が減ったように思えます。
数年前に比べるとやりとりも購入もグンと楽になったしね〜。
やっぱり、利用者が多くなると淘汰されるんだね〜。
困るのは、私はオークションや価格交渉も面倒なので基本しないけれど、それでもついどんなアイテムが出てるかな〜、ってのぞいてしまうこと。(そして、ときどきポチってしまうこと。)
ネットのフリマやオークションって、なんか中毒性があるんだよな〜。
掘り出し物に出合う楽しさもあるしね〜。
なもんで、実際に購入にいたらないまでも、ついつい見ちゃう、っていうね。
あ〜、また、見ちゃった、いかんいかん、と思いつつ。。。
まあ、そういう時期もあるでしょう。そろそろほとぼりが冷めるかな〜、って気もしているし。
ともあれ、下着をほぼ一新、今年に入って(それまでもあまり持たないようにはしていたけれど)服や靴を整理したこともあるし、冒頭の理由も手伝ってか、今度は服や靴を総取り替えした気分だ!
なので買った分、これはもう要らないな〜、というのも目につき、それはさようなら!とします。
なんだか言い訳がましい、のですが、買いっぱなしで増やす一方でなく、これはもういい、と思えるようになったのは、我ながら進化、です。
にしても、自分の消費行動が変わったな〜。
最初は文房具(アスクル、ね。2000年頃からかなぁ)、そして、本(アマゾン、ね。2000年代半ばから?)、今は服や靴(ネットのフリマやオークションね。2010年代に入ってから)。
家電も、どんなものか見当がつけば、ネットで買うしなぁ。
アマゾン・フレッシュ対象地域なら、嬉々として利用している可能性も高いし。
体調が悪かったときに、なんせ外に出られないわけだから、ネットによる食材の調達方法は真剣に考えておかないとな、って痛感したわけでもあるし。
本当に実店舗に行かなくなった。たくさんある中から探すのが面倒くさいし、もう、たるくって。
本当のプロの店員さんがいれば、チップを払って買い物の手伝いをお願いしたいぐらい。
実店舗に行くのは買い物目的よりもショーケースとして見に行く感覚だもんな〜。
Click & Collectで、もう十分。
実店舗に求めるのはもはや、買い物以外のこと、なんだろーなー。
フェバってなんだ? 看板の前でムズムズ
大きなターミナル駅で視界に入ってきて
?????
が頭をぐるぐる。
立ち止まって、じ〜っと見入ってしまいました。
“マイ・フェバ”
“マイ”は“私の”で、これは、まあ、いい。
問題は“フェバ”。
“フェバ”ってなんだ?
その看板広告を眺めて私が下した結論は“フェイバリット”の略。
う〜ん。。。
favo(u)riteの略は、fav(e)で、読み方としては、
“ファブ”、もしくは“フェイブ”になるんじゃあ。。。
日本語の“フェイバリット”を素直に縮めても、“フェイバ”じゃないの?
それとも、今どきはこんな言い方をするの?
う〜ん。。。
こういう英語コンプレックス、いい加減やめればいいのに。見てるこっちが恥ずかしい。
日本語でどうにも置き換えのできない言葉かニュアンスが伝わりにくいものならともかく。
同時に言葉に対する感覚も雑だなぁ〜、って思う。
でもって、こういうのつけたがる人に限って、外国語を理解していないんだよね〜。
指摘すると、“いちいちうるさい。ふわっといい感じにしたいだけ!(みたいなこと)”と怒り出す。
“私のお気に入り”で充分じゃないのかなぁ(もしくはお気に入りに該当する言葉をあてはめる)
“マイ・フェバ”で伝わっているんだろーか。
年齢は髪に表れるのか!
私自身は赤ん坊の頃から顔が変わらないし、もちろん加齢とともに老けていってはいるものの、基本的な見た目は20歳ごろからは固定化しているように思うのですが(痩せたり太ったりもないので、30年前に買った服をいまだに着ている。。。)、
周囲の評価というのは違って、
生まれてすぐの時は、それはそれはかわいらしかったようですが(記憶にない)、
物心ついたときは、すでにブサイクの部類に入れられていて(本人はファニーと思っているのだけれど)、そして、そのカテゴリーにずっと入れられていたのに、
50歳を過ぎてしばらく経ってから(つまりここ何カ月か、ね)、
私自身は変わっていないのに、やたら、かわいい、かわいい、を連発されるようになって、からかっているわけでも小馬鹿にしているわけでもないようで、すっかり面喰らい、どう切り返せばいいのか戸惑っています。
あ〜、自分で書くと嘘くさいなぁ。
アンチ・アンチエイジングなので年齢を隠す必要はない、年相応でいい、若く見られようとも思ってはいないのだけれど、
だからといって、おばさんくさい格好をする気はさらさらなく(だから、若い頃の服をいまだに着ている)、しみったれた色味ではなく、むしろぱきっと鮮やかな色合いの服を着た方がいいと思っていて、実際にはっきりした色の方が断然似合うので、
それで、かわいい、若い、と言われるのかなぁ〜、と思っていました。
が、それだけじゃないんですね。
私は髪の毛はそのままで、染めていないし、増毛もしていないのだけれど、それにえらくびっくりされるんだな〜。
量が多いし、白髪(というかシルバー)が増えたとはいえ黒いし
(白毛が増えたら増えたでそのままでいいと思っている)、
「その歳で地毛の人は滅多にいない!」と言われ、そんなもんかな、と。
そうか〜、年齢は髪の毛に表れるのか!
それで若く見えるのか〜。
同時に、「髪の毛は悩んでる人多いから、“ほったらかし”は嫌味だよ。おとなしくしといた方がいいよ」と注意を受けました。。。
小間切れ睡眠が日常化してしまった
体調不良とやること山積みが重なっていた時期に、
数日の例外はあるものの、睡眠時間を小間切れにとってなんとか乗り切った日が1カ月続きました。
昼間2〜3時間起きていて、疲れたら30分睡眠、夜はちょっと長めに1時間半(たまに2〜3時間になることあり)睡眠、と、まとまった時間を睡眠に割かない。
体力が落ちていたので、すぐに疲労してしまっていたんですよね〜。
かといってやることてんこ盛りで、長時間睡眠に割けない。
で、その日々が過ぎて、ようやく心おきなくぐっすり眠れる日々を迎えたはずだったのですが、
それまでもたま〜にやっていた小間切れ睡眠生活を1カ月ほど送ったことで常態化してしまったからなのか、
夜3〜4時間睡眠になり、その分、昼間に少し寝る生活になってしまった。
ある日は、深夜2時ごろ寝て、5時ごろに起きて、9時30分ごろから11時ごろまで寝る、午後は午後で1〜2時間お昼寝をしちゃう、といった具合に。
ロングスリーパーだから1日10時間ぐらい寝ていたいタイプだったし、
今もやろうと思えばできるんだろうけど、
小間切れ睡眠だと、集中して寝ているみたいで(なので、夢を見ない、というか、覚えていない)、
トータルの睡眠時間も少なくてすみ、
体調もいいので、今のところは、体にあっているのかもしれないな。
日常会話ってむずかしいよ
その泊まった宿は1日3組で、3組中1組はカリフォルニアからやってきたアメリカ人カップル。
滞在した翌朝、もう1組は出発が早く、早く朝食を済ませてチェックアウト、アメリカ人カップルの男性の方は朝が弱い、とのことで、ダイニングテーブルに残ったのは、アメリカ人カップルの女性の方と私。あとは、サーヴィスをしてくれる宿の方。
食事自体はほとんど終わって、コーヒーをすすりながら、とりとめのない話を。
そのとき、宿のスタッフの方が「英語でスムーズに話せるようになりたいんです、日常会話ぐらいは」とおっしゃり、
「う〜ん、でも、日常会話ってむずかしいですよ。教科書とかに出てくるような定型な文書打ってないし」と私。
「えっ?」
「“トイレットペーパーがなくなっちゃった”とか“この洗濯機、どうやって使うの?”とか“牛乳ちょっとちょうだい”とか、そんなことを日常会話では言いますよね。でもそれって、紋切り型じゃないですよね。いちいち教わることかっていうとそれも違う気がするし。
こういうのって慣れもあるし、基礎があると(つまり、言葉を表層的な言葉としてでなく意味の本質として捉え、骨組みである文法を理解している)、応用もきくって感じだけれど。
でもって、どういう状況が起こるのか見当がつかないし、どこから相手の球が投げられるか、わからない、会話はキャッチボールですからね」
日常会話とかスモールトークって、難易度高いと思うんだよな〜、私。
簡単!なんかじゃ全然ない、と思うよ。
役者がすべてを踏まえて初めて、アドリブでセリフを言える、みたいなもんじゃないのかなぁ。