写真は苦手なんだけれども
去年、現地でイギリス人の友人に10ン年ぶりに会った時。
私はスマホ、ではなく、いまだにデジカメで写真を撮るのだけれど
(ひとつのものに機能を集約させず、ひとつのものにひとつの機能を求めるので)、
風景にしろ、目についておもしろいな、と思ったものは写真を撮るのだけれど、
「自分の写真を撮らないんだね」と言われ、
「写真を撮られるの、好きじゃない。写真に収まった自分を見るのも好きじゃない」と言ったら、
「へぇ〜。東アジアの人たちはセルフィー好きだけど、なんか違うな〜と思ったから訊いたんだ〜」と。
そうなんだよね〜、自分が絡む写真は苦手。
なので、自主的に自分の撮ることはまずないし、自分が写っている写真って本当に少ない。
人と会って食事が終わったときに、写真を撮ろう、ってことがたまにあり、
9月下旬、体調が非常に悪かったとき(要輸血レベルの貧血)の写真に収まった私は、
白いを通り越して青いし、泣き出しそうだし、やつれているし、で、あちゃ〜!でしたが、
先日、すっかり元気になったときに写った私は、
血色もよく、表情も穏やかで見るからに元気そう。
写真は正直だなぁ。その時の状態をちゃんと切り取るんだね。
私は自分が写真に収まるのが好きじゃないから、「撮ろうか?」と言いたいところだったけれど、
どちらも記念撮影みたいなもんだったから、そうもいかず。
自分の状態を視覚で捉えておく意味で、写真ってのは確かに有効かもしれない。
でも、やっぱり自分が写った写真って好きじゃないなぁ。
私が新幹線を積極的に使わない理由
私の記憶から刷新されていなければ、ですが、
JRって管轄ごとに違うし
(知り合いの外国人のJapan Rail Passの購入に付き合う時に、どうしてここでできてここでできないの?と聞かれ、かねがね私も???で、しかも、のぞみは使えない!
あまりの縦割りに呆れる!自社しか見ていないし、まったくユーザー目線じゃない!)、
オンライン予約するのに会員にならないといけないし、
新幹線ですら大きな荷物を置くスペースがないし、
(それよりも座席を、なんでしょうが、ほんと、困る!)
いやぁ、独占企業は殿様商売だよなぁ〜、
なにかと、ううううう〜ん、なことが多く、積極的に使おう、って気にならないのだけれど、
これらとは違った意味で、もうひとつ、利用するのをためらう理由があります。
それは、飲酒する人が多い、ってこと。
ちょっと飲む程度なら、まあ、いいか、気持ちはわかる、なんだけれど、
完全に自分ちの居間かなにかと勘違いしたように、足を投げ出して、ガンガン飲まれるのは、勘弁願いたい。酒臭いのなんの。おつまみもプンプン臭うんだよなぁ。
ひとりならともかく、数人揃っての宴会状態になるのも、やめて〜!って言いたくなる。
公共交通機関で酔っ払うなよ!
お酒のニオイってするんだよね〜。シラフだとよくわかる。
隣り合わせだと、もろ。
私自身があまり飲まない、ってのもあって、
国内移動だと、新幹線にしろ飛行機にしろバスにしろ、アルコール摂取しないなぁ。乗り込む前も、酒臭くなるな、と思って飲まない。
飲むのは国際線の飛行機、ぐらいか。
いつも思うんだけれど、なんでこんなに酔っ払いに寛大なんだろう。
ひと仕事終えて新幹線で飲むのが楽しみ、って人は多そうだから、水を差すようで申し訳ないんだけど、な〜んか、ね。
昔の食堂車みたいに、飲食スペースを作ってよ!って言いたくなる。
分煙ならぬ分酒があってもいいんじゃないの、とすら思える。
もいっこ、私が新幹線とかで飲み食いが苦手なのは、給食の学習机で食べるのが生理的に苦手だった、というのにも通じていて、食事はダイニングテーブルで、っていうのがどこかにあるんだよなぁ。
まあ、これは本当に個人的な感覚の問題だけれど。
本当にやっとふんぎりがついたかな〜
あるテーマで執筆を進めていて、そこで、もう不要と判断して、次の行き場が見つかるまで一時保管している雑誌の山をひっくり返して見ることに。
これまでの私だったら、だから雑誌は処分できないんだよね〜、
と見直した雑誌をもとに戻す、ってことをやったのだけれど、
今回は、本当に気持ちにふんぎりがついたんだろーなー、
確かに見直しは必要だった、でも、なくてもいいかも、な心境に。
確かに見直しはした、でも、本当に必要な情報はあらかじめこれはキープおこうととっておいたものにあった。
さて、と。
一度に全部はむずかしいけれど、とりあえず一度やって勢いをつけるためにも、そろそろ第一陣を送り出すとしますかね。
そうかぁ、大顰蹙を買う、かぁ
出雲大社に行ってきました。
48年ぶり、かな? もっとも以前訪ねたときは2歳とかで、記憶がない。
今年に入ってからか、出雲大社が話題に上ることが多く、そういえば行った記憶にないな、行きたいなと思い、バタバタがいったん落ち着く時期が、ちょうど神在月で、タイミングを見計らって、パッと思い立って行ってきました
(その前後で、寝食を削る羽目になり、またぜいぜい言ってしまった。。。
でもタイミングは待ってくれないから、行けるときにはとりあえず飛びつかないと、ね〜)
このバタバタが終わったらと思っている頃に、「神在月に出雲大社に行きたいなぁ」と言ったら、
「恋愛祈願?」と聞かれ、
「同じ行くなら神様が集まる神在月がいいな、ってのが理由。
そういえば縁結びの神様、だったね」。
「でもさ、恋愛祈願しにわざわざ出向いて参拝するよりも、
本気で相手探したいなら、合コンに参加するとかマッチングアプリに登録するとかの方がいいんじゃない。もっというと、ご飯食べに出かけたり飲みに行ったりするだけでも違うんじゃない。
いくら一生懸命祈ったところで、相手が目の前に現れるとはとても思えないんだけどなぁ」。
そう言うと、大爆笑され、
「そうなんだよね。でも、まあ、本気祈願の人多いから、言わないほうがいいかもよ。顰蹙買いまくりだよ」と。
。。。
気をつけよう。。。
でも、やっぱり、何かしらの具体的なアクションを、それがたとえ些細なことでも、起こさないことには、指くわえてお願いするだけでは、何も起こらないと思うんだよなぁ。
懐かしい人と次々とつながる
人に推薦され、その時はバタバタしていて即実行、とならなかったのだけれど、
時間ができ、そう余裕があるわけはなかったのだけれど、
でも、この機会を逃すとチャンスはめぐってこないかも、と行くことに。
その場所は、私が直接、ではなく、これまで仕事したことのある方2人と縁があるとろで、
まさか、ワンクッションおいた私とも、思いもかけない、こんなことでつながるとはねぇ。
ある方を取材したら、共通の知人がいて、それもびっくり。
突然連絡が入って10数年ぶりに人に会ったり、
長年の知り合いで数年に一度しか会わないのに、ここのところ立て続けに会ったり。
なんか、こういうこと多いな。
ここ数年、本当に多いな。
通り過ぎたり、いったん疎遠になったりした縁も、
こうやってまた出会うってことあるのね。
不思議だな〜。
すっかりトラウマになっちゃった。怖いな〜
閉経前の大暴れ。2カ月経血過多になり、ついには要輸血レベルの貧血を引き起こした生理が終わって1カ月経ち、生理がやって来た。
始まったばかりで驚くほどの量ではないけれど、ちょっと前に体験したあの貧血の日々が蘇り、すっかりトラウマ。
怖いよ〜。
長時間移動や宿泊があるから、もう気が気じゃない。
更年期ではなく、若い時分の、ピルが服用できる頃はよかった。
自分で生理をコントロールできるから。
私は生理が軽い方だったのだけれど、
それでも長期出張とかに生理がかかるのが嫌でピルを服用していて
(知らない土地、外国出張で、トイレを探すことを念頭におくのは、本当に嫌だ!と思った)、
初めて服用して生理をコントロールできたときの感動は今も忘れられない。
自分で自分の体をコントロールできるって、
頭の中を占めていた心配事がなくなり、こんなにも自分を自由にできるんだ、ってね。
前回のことがあるから、まずいと思ったら病院、ではあるのだけれど、
そうなる前にまた襲ってくるかもしれない、
体調が本調子にならないこともさることながら、
レバーのゆるい塊のようなものにトイレで対面したときの失神しそうになる感じとか、
とにかくトイレファーストの生活になっちゃうこととか、
ちょっとしたこととはいえ、日常生活がスムーズに送れない要因にまた遭遇するかも、と思うと、
うんざりしてしまう。
多い日があるのは仕方ないとして、どうか何事もなく終わりますように!
う〜ん、それは違うんだよね〜
取材でおうかがいした方が、新聞社やテレビ局に自ら売り込みをした、とおっしゃっていて、
同席された出版社の編集部の方が「羽根さんも見習った方がいいんじゃない」と何度もおっしゃり、
その場では何も言わなかったけれど、やっぱり違うんじゃないかなぁ。
その方は80歳近い方で、おもなマーケットがシニア層で、
新聞社に売り込まれたのは30年以上の話だし、
テレビ局に売り込みは最近といっても、視聴者はやはりシニア層だから、
新聞とかテレビとか、既存のマスコミの影響力は計り知れない。
だから、その方が目指すところでいえば、そのやり方は正道なんだけど、
じゃあ、それが自分に当てはまるかというと、そんなことはまったくなくって、
私自身が新聞をとらない、テレビをおいていない、ってことは、
自分なり自分の仕事をPRする場はマスメディアじゃないだろうなぁ、と思うのです。
なので、私に対して「見習って売り込みすれば」とおっしゃった方は同世代だけど、
感覚が古いなぁ、大丈夫?というのが率直な感想。
ご本人がマスメディアにどっぷりいらっしゃからでしょうが、(無意識にせよ)マスメディアはすごいのよ!って思っているのがよくわかる。
このあたりの、自分たちすごい!という選民意識に、マスメディアの危機感を強く感じてしまい、むしろ自分からどう発信するか、個人メディアをどう作るか、がますます大事だよなぁ、 と改めて感じてしまいました。