書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

量が質を伴うようになる、ってことかな  

 

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私はこのブログの他に、フィールドワークの“イギリスの食”についてのブログを綴っており、

そちらの方が断然長い。

 

そのブログ“イギリスの食、イギリスの料理&菓子”(↓)

ricorice.exblog.jp

はexciteを使っていて、

いつだったかなぁ、3年ぐらい前だったかなぁ、

ブログジャンルを登録し、それぞれのジャンルでランキングが毎日発表されることに気づき

(このランキングには、ブログと記事の2つがあります)、

へ〜っと思って、とりあえず登録して、

でもせいぜい自分のブログがジャンルの中で何位なのかを確認するぐらいでした。

 

ほかにどんなジャンルがあったっけ? ほかのブログってどんなんだろう?

と思って、ブログランキングを見たところ、

順位とともに、そのブログの最近の記事のタイトル2本と、公開された日時が表示されているではないですか(↓)

www.exblog.jp

  

やっぱり記事のタイトルは大事だなぁ、と思いながら、

(おそらく)もっと大事なことに気づきました。

 

上位のブログは更新頻度が高い。

毎日、とまではいかないまでも、ざっと見たところでは、2〜3日に一度は投稿している感じでしょうか。

 

量が質を凌駕する

 

このことを目の当たりにした気分ですが、

同時に、量をこなしていくうちに質も上がる、というのが本当のところ、のような気がします。

じっくり質の高いものを時折、が可能な人もいるのでしょうが、

定期的に一定量をこなすに従って、折々気づく些細なことを随時ブラッシュアップしていくことで、結果、質も伴ってレベルアップしていく、ってことなんじゃないかな〜。

 

そういうことなの? もやもやがとまらない

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おっさんファーストなのはこの国の特徴で、
コンビニが成人向け雑誌をさも当たり前のように扱っているのはその表れ、だったのですが。。。


成人向け雑誌の取り扱いをコンビニがやめるというニュース(↓)。

news.livedoor.com

 

で、このニュースにつきまとう“もやもや”を考えていて、

その理由が「訪日外国人客が多いから」ということにたどり着きました。

 

う〜ん、これは理由になっていないなぁ。

コンビニ側が公に提示する明確な理由とは思えないんだよなぁ

 

今年に入って起こった「SPA!」女子大生記事の流れを受けてなんだろうけど、

世の中的にこっちに従っておいたほうがいいよね〜、にのっちゃっただけで、

企業の内側から沸き起こり、考えた上での行動とは思えない。

 

何か起こったら、誰に向かってなのかわからない謝罪をし、取り消してなかったことにし、

なぜそうしたのか、なぜそれが反感を買ったのか、それを踏まえて今後どうするのか、検証をしない、ことと構造は同じなんだろうなぁ。

 

国際的に(?)恥ずかしいからやめます、ってなんだろう?

ということは訪日外国人客がいなかったら、いなくなれば元に戻すもあり、ってこと?

とりあえずこうやっときゃいいでしょ、いいことやってるでしょ、的な態度に思えちゃうのよね。

本音の部分は何も変わっていないし、何も考えていないんだろうなぁ。

そういうことが、またしても浮き彫りになった気がします。

 

 

慣れないことこそ、新しいチャレンジ

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今年に入っていただいた寄稿のお話。

年明け早々の2本がいずれも、いつもとまったくく違うところからまったく違うテーマでのお話でして。

 

通常、ライターとして文字原稿を書くときは、

自分を媒介として、対象物を切り取って文字で表現するのが仕事です。

どういう視点かは必要ですが、対象を突き放して客観視することが求められているので、

個人の感想なんぞ要らないのです。

(私は文章を書くのが大好きな人がライターに向かない、と考えているのはここです。

 彼らはえてして自分を表現しようとする。対象にべったりくっついて、客観視できない。

 文章を書く、というのは、道具であり技術であるので、

まったくの苦手意識があればNGですが、

嫌いじゃないけど、ぐらいでちょうどいいと思っています)

 

ということは、自分のことを自分自身の言葉で語る、ということはしないんですね。

それが、年明けにいただいた2件は、こういうニュアンスのこと。

慣れない注文なので、相当悩むのはわかっていますが、

これも経験!とお引き受けすることにしました。

自分にとって慣れないことでも、打診があったものは、

それが嫌な感じでなかったら、

チャレンジあるのみ!で取り組みます!

 

時代は変わるので、記憶の片隅にあったことを残しておこう

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ある方とやりとりして、ふと、昨年2018年は若いご担当の方との仕事も多かったな、と思い、

でも新卒でその会社に入った方はいらっしゃらなくって、

違う会社や業種から転職なさった方ばかり。

 

ある方は、雑誌にあったスタッフ募集を見て応募、

ある方は、転職サイトで。

転職サイトの方が多かったな。

 

そんなことをつらつら思い出していたら、

そういえば、かつてはマスメディアのスタッフ募集なら朝日新聞、という時代があって(東京だけかもしれませんが)、

確かに、1990〜2000年代、私自身、朝日新聞の求人広告を眺めるのが日課になっていたもんな。

日課といっても毎日ではなく、求人広告が掲載されたのは日曜と月曜だった、ような。。。

 

実際に応募したことはほとんどないのですが、

1990年代後半に勤務した広告制作会社に入社したきっかけは、朝日新聞の求人だった記憶。

時を同じくして受けた、出版社の編集部にも受かったけれど、

先に受かった方が縁があるのと、それまで純粋な紙媒体(書籍やムック、雑誌)の編集だったので、

似ているけれど違う世界を体験しておきたいな、と思ったから。

DTPが出始めた時期で、それにいち早く乗った会社だったので、

1995年からのマックユーザーとしては、興味津々でもあったわけで。

 

当時、極貧状態から脱出し、経済的な安定と、イギリスに住むための資金作りもしたかったので、

朝日新聞の求人を真剣に眺めたもんです。

 

極貧を経験したからか(お金はなかったけれど、なぜか気持ちはのんびりしていた)、経済的危機感は常にあって、実際に応募する/しないはおいておいて、

求人を眺めるのは一種の精神的保険のようになっていたのかもしれません。

その後、フリーランスになってからも、その習慣が続いたんですよね〜。

2011年に引っ越しから、その習慣がなくなっちゃったけど。

 

いやぁ、こんなことすっかり忘れていましたよ。

急に鮮やかに蘇った。

こういう日常的なことって、いざ思い出そうとしたら曖昧になるので、思い出したタイミングで記録しておこう、とここに綴っているわけです。

 

 

それが、今は転職サイトなのねぇ、としみじみ。

どんなもんだろう、とのぞいたら、その後、広告がバシバシ上がってくる仕組みにもびっくり。

 

ものすごい新鮮な体験をした気分です。

 

 

丁重にお断りをした件

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「○○というイギリス菓子について知りたがっている人がいる。

電話で詳しく話を聞きたいとのことですが、どうしましょう?」

と知り合いから連絡が入り、丁重にお断りしました。

 

断った理由は2つ。

・電話番号という個人情報を伝えない

・無料の情報提供はしない

 

電話番号は、実際にうんざりする目に遭ったことがあります。

最初はよかれと思って対応していましたが、

そのうちに些細なことで頻繁に電話が入るようになり、

着信でその人とわかると恐怖を覚えるようになりました。

自分の気持ちが侵食されていくのが怖くなり、

そのことに気づいて以降は取り合わないようにしました。

 

情報や企画は目に見えないので、無料だと思われる傾向にあるんですね。

でも、こちらは時間もお金も労力もかけているわけです。

なので、無料提供はしません。

ご理解いただけそうであれば説明し、むずかしいだろうなと思ったらお断りの旨を伝えるか受け流します。

 

情報を自分だけで抱え込みたいと思っているわけではなく、

共有できることは著作やブログを通じて発信しています。

その内容に対しての疑問や質問にはなるべく答えたいと思っていますが、

それ以上の情報提供や、その方に合わせて情報を整理することはしません。

後者は有料案件だと思っています。

 

このあたりの考え方は人によって違うでしょうが、

以上が現時点での私のスタンスです。あしからず!

 

 

 

些細なことがやけにうれしかったりする

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もう10年ほど前になるのか、

仕事を離れた場で(私がそこに行っていたのは、大義では仕事のため、投資ではあったのだけれど)ときどきお目にかかる方がいて、

流れで一緒に食事に行ったことも数回あって、

でも、休日にわざわざ会うってことはなく、その場以外でやりとりをするわけでもなく、

今ではSNSでつながってはいるけれど、それはごくゆるいもので、

確かなものとしては年に一度年賀状をやりとりするぐらいで

(ぼんやりとお元気かしら?とは思うので、毎年、年賀状を送ってくださるのは、ありがたいことです)。

 

先日、メールが届き、そんなことは初めてだったので、びっくりしました。

特に要件があってではなく、実に他愛ないあいさつではあったのだけれど、

なんだかじ〜んとしてしまいました。

なんだか自分の中に無意識のうちに溜めている、もやもやした感情を、やさしくとかされたような、そんな気分。

 

私は圧倒的に内向型なので、ひとりで籠っているのが苦にならないのだけれど、

それでももやもやした感情を抱え込む、という傾向はあるんですよね。

 

なので、今回いただいたメールのような、些細なことだけれど、些細なことは、

希望の光までのenlightenmentなものではないけれど、

寒く曇り続きの冬の日に一瞬訪れる小春日和のおだやかな時間が心を解きほぐしてくれる、みたいな感じかな。

 

 

繰り返すようですが、私は圧倒的な内向型なので、

基本“ひとりはいいわぁ”なのですが、

ひとりだとつらい、寂しい、というのは、

ぼんやりとした負の意識が拡大してまうってことなのかなぁ、と考えてみたりして。

 

 

自分が推すものじゃない意味を考える  

 

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年末から、今年4月に世にでる企画のカバー案にかかっていて、

先日、確定した、との連絡が入りました。

(私の立場としては意見は言うけれど、決定権はないのよね)

 

そう、これになったのか!

 

たいてい、表紙、それに準じるもの(要はパッケージ、ね)は

何案か提出し、今回は6案。

いつものことながら、私がいいな、と思うのは選ばれず。

選ばれたものを改めて眺めて、なぜこれになったのかを考えます。

 

なぜ、自分がいいと思ったものが選ばれることがほとんどないか、ってのは、

制作サイドで渦中にいるから。

でも選定する方々は、制作とは離れたところにいる人もいるわけで、

ということは初見の方もいうわけで、ということはユーザーと同じ視点で見ることができる、ってわけで。

 

「こっちがわかりやすいのか〜」

「こっちが目を引くんだ〜」

なんてことに思いをめぐらせます。

 

こういうのって、これが正しい!ってのはないので、

だからこそむずかしいのだけれど、

自分が推すものが選ばれなかった、ってのは、

ものごとを客観的にみないとなぁ、があぶり出されるようで、

つい突っ走りそうになるなか、大事な機会が与えられているなぁ。