書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

自分が推すものじゃない意味を考える  

 

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年末から、今年4月に世にでる企画のカバー案にかかっていて、

先日、確定した、との連絡が入りました。

(私の立場としては意見は言うけれど、決定権はないのよね)

 

そう、これになったのか!

 

たいてい、表紙、それに準じるもの(要はパッケージ、ね)は

何案か提出し、今回は6案。

いつものことながら、私がいいな、と思うのは選ばれず。

選ばれたものを改めて眺めて、なぜこれになったのかを考えます。

 

なぜ、自分がいいと思ったものが選ばれることがほとんどないか、ってのは、

制作サイドで渦中にいるから。

でも選定する方々は、制作とは離れたところにいる人もいるわけで、

ということは初見の方もいうわけで、ということはユーザーと同じ視点で見ることができる、ってわけで。

 

「こっちがわかりやすいのか〜」

「こっちが目を引くんだ〜」

なんてことに思いをめぐらせます。

 

こういうのって、これが正しい!ってのはないので、

だからこそむずかしいのだけれど、

自分が推すものが選ばれなかった、ってのは、

ものごとを客観的にみないとなぁ、があぶり出されるようで、

つい突っ走りそうになるなか、大事な機会が与えられているなぁ。