ここで気を抜いちゃダメなのよ
1カ月後に迫った、食書籍の刊行
(制作指揮/編集統括という立場で、5, 7, 9月と隔月刊で食書籍刊行って、なかなかハードだなぁ、って感じたけれど、まあ、大丈夫でしょう、と思ったら、本当に大丈夫になるものなのね)。
昨日、文字、写真をデザインに落とし込み、かつ、それをほぼ完成形にしたものを、
無事印刷屋さんに渡すことができ、ひと安心。
あとは印刷屋さんから刷ったもの(見本)が上がってきて、
それをチェックして終わり、で、
このときすることは、色味がメイン。
文字は気づいたところを、ってレベル。やむなしの修正、が少々、なんだけれど。。。
これがくせ者。
印刷屋さんに渡すまでのほぼ完成形を進めているとき、詰めてやっているときって、
細かいことに目が向かいがちで、
先入観なくぱっと見たときに、あれっ?となる間違いに気づきにくい。
なんで?ってこと、往々にして起こるのよね。。。
なので、最終確認が終わるまで、気を抜いちゃいかん!のです。
とはいえ、ひと段落すると、肩の荷が下りた気分になるのも事実。
今日はこれまで気が張っていて意識が向かわなかった、からでしょう、
右肩から背中にかけて凝りに凝っているのがよく分かる。
今日は朝起きたときに、昼までにあれして、夕方までにこれして、がほとんどないので、
お昼まで寝ちゃおうかな〜、なんて思ったけれど、起きましたよ、私。
こういう気のゆるみが、最終確認に向かう気持ちの状態を左右するし、
それが反映されて、あああああ〜っ!な事態になるのを避けたいので、
おまじないのように、一定状態をキープする日々がしばらく続きます。
身近な人ほど、ちゃんときちんと褒めるっていいなぁ
現在、進めている9月発売の食書籍の仕事で、
著者・監修の方とのやりとりを連日のように行っています。
っと、厳密には取材&撮影時、そして内容確認時には窓口の方がいらっしゃるので、
最重要事項以外は、窓口の方々とやりとりをしています。
この窓口の方々がテキパキと的確で、非常に仕事がやりやすい!
私に権力と財力があれば、ヘッドハンティングしたいぐらい!
そのことを、著者・監修の方と話した際に伝えると、
「そうでしょう! すごいんですよ!」と。
「経験おありの方たちですか?」と聞くと
「いやいや。書籍制作のような仕事はうちの通常業務にはないですから。ねっ、本当に優秀でしょう! 通常業務も本当に安心して任せ切ています」
と身を乗り出して、ニコニコしてうれしそうにおっしゃって、ますますいいなぁ、と感じた次第。
こういう方だから、社員の方々も気持ちよく感じよく対応してくださっているんだよねぇ。
身近な人ほど褒めるっていいよね。
なんかこっちもうれしくなっちゃう。
褒めたことに対して、否定とか謙遜とか卑下とかされるのもするのも好きじゃない。
先の会話は、それを聞いている周囲のスタッフの方々もうれしいと思う。
「いやいや、そんなことないです」って返したら、
いくら心の中で「そうでしょ! 優秀でしょ!」と思っていても、それを表現しなかったら、
「ふ〜ん、その程度の認識なのね」になるからなぁ。
思ったり感じたりしていることは、口に出しても真意が伝わらないことが多いのに、口に出さなかったり逆のことを言って、どうして伝わるんだろう?
SNSで、身近な周囲の人、パートナーだったり、子供だったり親だったり親戚だったり、友だちだったり、同僚だったり、部下だったり上司だったり(部下とか上司って区分けは好きじゃないけど)、やりとりのある人だったりを
くさしたりぶーたれたりいちゃもんつけたりする人っているけれど、
見ていて全然気持ちのいいものじゃない。
何もいい人で、ってことじゃなくって、時に怒ったり怪訝に感じたりすることはあって当然だけれど
(気のおけない人と喋ったりするとかして、残らない形で憂さ晴らしをすればいい)、
それをSNSで知らない人に対しても公言する必要はまったくない、よねぇ。
あるかないか。dのもやもや
別段揚げ足をとるつもりはないし、こういうことは往々にしてあるのだけれど、
それでもやっぱり見るたびに、もやもやと違和感がわき起こる。
お店に掲げられた「close」
メニューにある「ice coffee/ice tea」
結論から言うと、正しくは
「closed」
「iced coffee/iced tea」
と
close → closed
ice coffee/ice tea → iced coffee/iced tea
それぞれ、closeとiceはdを伴う、んだなぁ。
「closed」はWe’re closed
のclosedという形容詞形だけを取り出したもので、
“閉まっている” → “閉店中”になるのだけれど、
closeだと、動詞で“閉める”。
その動作そのものを指し、“閉まっている”という状態を表すわけでない
(closeの形容詞とするならば、“近い”“接近した”の意味になる。。。)。
反対語のopenが、これが動詞としても形容詞形としてもopenなので、紛らわしいんだろうけど、
だからといって、ううううう〜ん。もやもやもや。
一方、「iced coffee/iced tea」の場合は
iceは氷、icedは“氷で冷やした”になり、
名詞がふたつ重なる場合は、前の名詞が形容詞的な役割をする
(例えばtennis courtはテニスをするための場所)ので、
ice coffee
は、氷の(“アイスキューブの形状をした”が語感としてはいちばん近いだろうなぁ)コーヒー
となるのだけれど、なんだけれど。
言葉は変わるんですよねぇ。
一般的とは言えないまでも、今では「ice coffee/ice tea」でも認知されていないわけではなかったりする。
英語も大衆化すると、言葉(の一部)が省略される、ってことが起こるのでそれの一例。
だけれど。、個人的にはもやもやが残るものの、そうなんだなぁ、という受け止め方です。
よく見るこれらの2つ。
両方、dを伴っていると、その店の信頼度が一気に上がる、私の中で。
それって、何となく、ではなく、ちゃんと理解したり調べたりして掲げているってことの表れだから。
私はこーゆーの、引っかかるのだけれど、どーでもいい、って態度の人/ところが多いのよね。
ふうむ。単なるお飾りなら、別に英語表記しなくてもいいんじゃないの?とも思うんだけれど。
時間管理ってむずかしいんだな、を身をもって実感
そうか〜、今もそうなのか〜。
現在、9月発売の食書籍制作を進めている日々で、
ほぼ完全データ(文字も写真もデザインもすべて組んで、印刷屋さんに渡す)を週明けに渡す状況まできました。
ふぅ〜。
その後、印刷屋さんからこんな風に刷り上がりますよ、という紙があがってきて、
色味のチェックと、最後の最後の文字修正をかけておしまい。
この最後のチェックは出版社さんを経由して、印刷屋さんに戻すわけですが、
この戻しの日が実は3日後ろ、ということを告げられまして。
びっくり!
何でも、締切りを守らない制作チームがあまりに多く、最後の最後にドタバタしてスケジュールの仕切り直しをすることが少なくないので、
このプロジェクトの担当の方は、自衛策として、この戻しの日を前倒しで伝えるようにしてるのだとか。
今回初めてお仕事をご一緒したので、この方のこういう進め方も初めてだったのです。
ああ、道理で。
進捗を折りごとに伝えるたびに、早いですね!と言われ、
そうかな? ほぼほぼスケジュール通りの進行ではあるけれど、だからといってそこまで早いってわけではないけど、と思っていたのは、これが理由だったのか。。。
いやぁ、私がこの仕事を始めた1990年代前半はこういうことは少なくなかったし、
実際、制作会社や編集部はお昼近くにならないと人がいない、ってことも珍しくなかった
(私はそれがとっても苦手だった。たとえば取材先とかで関わる方は一般企業や店舗の方々もいらっしゃって、10時から営業って言っているのに、人がいない、(当時は電話がメインの通信手段だったので)電話しても誰もでないっておかしくない?って思っていた。お店の8時からなのに8時30分に行って開いていない、ってのはクレームが来て当然。それと同じで、そういう業界だから、という勝手な暗黙の了解のうちに、誰もいないのは、お客さんの信用をなくす行為じゃないの?って思っていた。なので、立ち寄りがないとき以外は時間厳守を自分に課していた)。
だけれども時代が進むにつれ、出版業界は仕事の進め方をそれぞれの担当者に任せる比重が大きいこともあり、会社や部署として、というよりもその人によるところが大きいのだけれど、
残業をしない人もいたし、週末を勤務日に換算しない、休みはしっかり休む、夏や冬、ほかの休みもしっかりとるのが珍しいことではなくなったし(このあたり、広告はまったく別)、
私はそれは当然で喜ばしいことだって思っていたし、今もそれは変わらない。
で、それを実践するのは時間を管理する、ってことにつながるわけで、
ということは、いまだにスケジュールを前倒しで伝えないとならない事情が蔓延しているってことは、
それだけ時間の管理ってむずかしいってことなんだろうけど、
それによって本人だけでなく、関わる人全員が振り回されるのに。。。
いやぁ、びっくり!
まあ、現時点で、私自身の私自身のための案件があって、それが9月発売の食書籍の進行と重なり、待った!をかけている状況なので、来週の前半で、いったん書籍プロジェクトが落ち着いたら、こっちにも力を注ぎます、はい。
アスクルはFAX注文が断然ラクだなぁ〜
ピンポイントでこれ買う!って決まっているものはAmazonさまさまな私ですが、
一度ブラウズしてからモノを決めたいときは、店舗に足を運びます。
仕事の備品(文房具など)はアスクルを使うことが多く、
半年に一度カタログが届き、
ダブルクリップが足りなくなった、そろそろコピー用紙がなくなるな、
になったら、ページをぱらぱらめくり、FAX注文。
なぜか、近々のカタログが届いておらず、
まあ、いいや、でオンライン注文をしているのですが、
これが超絶やりづらい!
2001年からFAX注文なので、慣れの問題?
と思ったけれど、やっぱり違う。
カタログを眺めるってことは一度に同じページの中の商品を比較検討できる、んだけど、
オンラインの場合は、いちいちクリックしないと、商品の詳細(スペック)がわからない。
これが手間でストレス!
しかもカタログって実物大で掲載してある商品もあるから、
いちいちものさしをもってこなくても、大きさの見当がつく。
カタログ、もっと言うとカタログ的な発想ができる紙ものって、
可能性を秘めているように思えるのよね。
カタログ的なフォーマットで、既存のものを落とし込むと、ずっと便利になるようなものってごろごろ眠っているような気がする。
掘り出したいなぁ。
夢を見るかどうかがバロメータ
企画とか構成にとりかかっているいるときって夢を見ない。
(正確には見ないのではなく覚えていないのだろうけど)
その期間が終わり、具現化する工程に入ると、
もっというと、デザインしてもらうための写真や文字の素材を渡すのが終わると、
その瞬間から立て続けに夢を見るようになる。
企画とか構成をしている間って、頭の中でふつふつとイメージを増長させている時期。
例えが適切などうか分からないけれど、
魔女が壺にいろんなものを入れてぐつぐつ煮て秘密の飲み物を作っているような、
傍目には何やってるのか何のためにやってるのか分からない、当の本人だけが納得して理解している、そんな感じ。
起きている間は、頭の中でずっとアイディアを出しストーリーを練っていているので、
就寝中はもうそんな余力はないのかもしれない。
だから夢を見ないんだろうな、って解釈している。
その時期が過ぎると、今度は実務&実践。
すでに完成図はあるので、
それに向かってひとつひとつ目の前のことをこなしていく段階に入る。
そうなると、手は動かしていても、頭の中でをフル回転させているわけではないので、
するとアイディアの余力があるのか、夢を見るようになる。
夢を見ない時期の仕事は、楽しいといえば楽しいし、苦しいといえば苦しい。
苦しくはないけれど、先が見えなくって地図もなくって羅針盤もなくって、もがいている感じ。
struggleってこういうことを言うんだなぁ、って妙に納得するのはこんな時。
それは、あーでもないこーでもない、と常にひとりブレスト&会議だから。
夢を見る、って行為ひとつとっても体って正直だな。
最近の生活リズムはこんな感じ
出張や外出があると別だけれど、
とにかく暑いのと、私にとって午後は魔の時間なので、
最近は2回に分けて睡眠をとっている日々。
朝は7〜8時台におき、昼までが〜っと仕事をして、
午後はよっぽど切羽詰まっていないと使いものにならないので、ペースダウン。
15〜18時の間に2時間ぐらい睡眠。
なんやかんやで21〜22時頃から仕事再開。
1〜3時頃就寝。
昼間、特に午後は使い物にならないのに加え、
気温がいちばん高くなる午後の暑さ(屋内の涼しいところにいても暑い空気感)は、とても仕事って気分にならない。
シエスタっていうのは、ほんと、理にかなっている慣習なんじゃないか、って思う。
トータルで8時間は寝ているかな。10時間ぐらい寝ることもある。
歳をとると睡眠時間が少なくなる、らしいし、私の周囲にもそういう人が多いけれど、
とりあえずまだロングスリーパーは健在。
しっかり寝てしっかり食べないとダメ、っていうのは健康な証拠かもしれないな。
ありがたいこと、と思うことにしよう。