書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

私に勇気をくれる1冊の本

f:id:ricorice:20170707174140j:plain

ここのところ、本読みたいな〜熱がふつふつとわき上がっているのですが、

まとまった時間でがっと集中して読むのが好きなので、

なかなか新しい本に手を出せずにいます。

 

そんなときは、かつて読んだ本を引っ張り出しています。

 

フェルマーの最終定理

360年にわたって数学者たちの前に立ちはだかり、

1994年にアンドリュー・ワイルズによって証明されたもの、

それがフェルマーの最終定理

 

私、中学生のときに知り、えっ、証明されていないの、

へえ〜〜〜〜、じゃあ、やってやろう!

と(一瞬)思ったほど、実にシンプルなものです。

が、これが手強い! すぐにう〜ん、これは。。。となったのを覚えています。

 

で、1994年に証明され、1990年台後半だったか、

BBCかなんかで制作された番組がNHKで放映され、

アンドリュー・ワイルズの見せた静かな情熱に、感動してしまったのです。

 

この番組(だと思う)制作者のひとりが綴ったのが、この本。

内容は、フェルマーの最終定理、を説明したものではなく、

フェルマーの最終定理にポイントを当てた、数学者たちの壮大なドラマ。

 

訳もすっとなじめるもので、数学を知らない人でも楽しめるのでは。

 

情熱を持って取り組む、ってこいうことなんだなぁ、という1冊です。

 

今のうち、なんじゃないかって気がする

f:id:ricorice:20170706175643j:plain

同調圧力を無視して言うと、

東京オリンピックはやめてほしい!

と、首尾一貫ずうううううう〜〜〜〜〜〜〜〜っと思っています。

もはや東京都民じゃないので、アレですが。

 

その理由は

  • オリンピックの意義
  • 開発、活性化という名の破壊
  • 期間中およびその前後の交通機関のマヒ

 

などいろいろですが、それよりも何よりもまずは単純に、

 

・8月に東京でスポーツ大会

ってのが、もうね、狂気の沙汰としか思えない!
特に屋外。
このまとまりつくような不快指数最大のまとわりつくような湿気の暑さ(+ゲリラ豪雨)!

いろんな意味で、under controlじゃなくってout of controlなわけです。

私が外国の友だちや知り合いが日本に来たい、と言ったら、

6月下旬〜9月は避けるように助言します(北海道は別、沖縄も、かな?)。

春か秋にしなよ〜、と。

夏はね、もう外なんか歩けないよ〜!

特にヨーロッパ人は緯度が近いこともあって、自分の国の夏の感覚で(主に湿度ね)、せいぜい暑いぐらいを想像していますが、

まったく違うんだぞ!と。

文字どおり、If you commit suicide, の条件付きならい〜んじゃない?なのです。

 

 

東京のパン屋さん、「アンデルセン」も「アンゼリカ」も今月2017年7月いっぱいで閉店なんだよ〜、をきっかけに、

東京を離れて20年以上経った人と話していたとき。

 

「テレビとか観てると、もう東京の変貌ぶりに驚いちゃうね」

「そーだねー、二子玉川とかびっくりしちゃうよ! タマタカ(玉川髙島屋)しかなかった時代は遠い昔! 河原でBBQなんてのも遠い昔!(現在は条例かなんかで禁止されています)」

「下北沢も、なんだよねぇ」

「そーらしーよ、まず駅が変わったしね。あの駒沢公園だって(ひと昔前は駒大生と日体生の憩いの場)、すっかり洋服着せた犬連れた小マダムの聖地になっちゃったしさ」

「渋谷もすごいねぇ」

「東急プラザもプラネタリムもないからねぇ。今は工事、工事、工事のまっただ中だよ〜」

 

 

で、オリンピックの話になり、

オリンピックを返上するにしろ開催するにしろ、今のうちだと思うよ、東京が目に見えてキラキラばく進中なのは。

だから今のうちに見ておく、ってのはいーんじゃない?

 

オリンピックの後も、仮に、仮にですよ、東京が成長を続けるにしても、今ほどじゃないし、まったく違うやり方になるだろうから。

 

 

河相我聞(かあいがもん)のブログがおもしろい!

f:id:ricorice:20170705132259j:plain

1カ月ほど前に知って、まだあまり読めていないんですけどね。

 

河相我聞(かあいがもん)のブログ、おもしろいなぁ。

otousan-diary.hatenablog.jp

 

芸能人や著名人の利用が多いアメブロじゃなくって、

地味〜な(失礼!)はてなを使っているあたりも好感が持てる。

写真撮って、ちょちょっと文章を添える日常のチラ見せではなく、

量のある文章をのせる場所としては、いい判断だなぁ、って思います。

 

飄々として、喜怒哀楽もあって、

子どもに対しても自分に対しても自分を取り囲む環境や事柄についても、一歩引いて対象を突き放して見て文字化できる、ってのはすごい才能だなぁ。

何より、本当にそう思っているんだなぁ、ってのがひしひし伝わる。

 

ここのところ私が楽しみにしているのが、「メシ通」の安田理央の連載

「ヒョイと一杯のつもりで飲んで」。

 

紹介されているすべての店に食指が動くわけではないのだけれど、

とにかく読んでいて楽しい!

www.hotpepper.jp

河相我聞にも通じるけど(安田理央の場合はず〜〜〜っと文章のプロを感じるけど)、

こんな風に肩の力が抜けたような、でも最後まできっちりと読ませる文章を書くって、

マジメな文章を書くより、より技量が必要で、すごいなぁ、と感じ入ってしまうわけです。

まあ、単にいち読者として楽しんでいるんだけど、

今、熱烈に一緒に仕事したい2人だわっ!

 

 

ほんとに世の中はいろんな人がいるからおもしろい!

アンゼリカ(東京・下北沢)閉店と記録に残すということ

f:id:ricorice:20170704144519j:plain

知り合いのパン屋さんのFB投稿で知りました。

50年続いた東京・下北沢のパン屋さん「アンゼリカ」が今月末、7月31日をもって閉店。

1990年代、よく行きました、私。

togetter.com

池波正太郎が行った店だそうですが

池波正太郎と味覚が違うし、そもそも時代も大きく違うし、何で今もあんな(必要以上に)崇められてんの?)、

私がアンゼリカの存在を知ったのは高校生のとき。

石坂浩二がFMラジオの深夜番組かなんかで「アンゼリカ」のカレーパンのことを、

聴いているとよだれが出ちゃうようなイメージを駆り立てる、

それはそれは軽妙なおしゃべりで紹介していたんですね。

もう食べたくて、食べたくて!

 

特にメモはとらなかったんだけれど、頭にはしっかりインプットされ、

世田谷区民となった1990年代、三軒茶屋を拠点に動いていたので、

下北沢は近く、しかも「アンゼリカ」はわかりやすい場所にあるので、

初めて下北沢に足を踏み入れたとき、あっ、ここ、石坂浩二の番組で言っていた店だ!と入ったわけです。(当時、1990年代に入ったばかりの頃はまだネットなんてない時代です)

 

水森亜土ちゃんのイラストのキャノピーに山小屋風の店。

カレーパンと、あれとこれと。

「アンゼリカ」はカレーパンとみそパンで知られていますが、

私がダントツに好きだったのは、店内入って左手奥の棚の下の方にあったバナナパン(ブレッド?)。

ハーフパウンドぐらいのアルミホイルの型で焼かれた、クルミ入り。当時500円だったと思います。

学生には高いけど、ボリュームもあり、束の間の贅沢。

 

そうして、下北沢で用事があったりぶらぶらしたあとに、「モルディブ」のコーヒー(No1ブレンド)を買い、「アンゼリカ」のバナナパンを買い、がおなじみのパターンとなりました。

 

 

2000〜2001年の渡英から戻り、しばらく実家で社会生活へのリハビリ期間を経て、

再び東京で暮らし始めたとき住んだのは文京区千駄木

ふらっと気軽に、の距離じゃなくなったんだな。

それでも下北沢に行く機会があれば「アンゼリカ」を訪ねたり、店の前を通って存在にほっとしたり。

 

 

そんななか10年ほど前、パンの企画で「アンゼリカ」を取材する機会を得ました。

私、仕事柄もあり、お店をほとんどリピートしません。そこまでの余裕がない。

個人的に気がつけば何度も行く店は、味云々よりもまずは、気持ちが落ち着くというか相性というか、ね。

さらに、どちらかというと、パンの技術や材料、店舗づくりなど専門寄りの取材をすることが多く、となるとアルチザン系のパン屋さんが対象になることが多かったので、ほんわか街のパン屋さん系はチャンスが少ない。

期せずの企画で、うれしさひとしおでしたね。

 

そのときの取材は、確か、看板メニューのカレーパンを主軸にしたものだったと記憶しています。

え〜っ、え〜っ、え〜っ、と驚くほどの細やかな工夫がなされていて、

でも、誌面の都合上、またそれを仔細にレポートするスペースはなく(原稿用紙半分あったかなかったか(200字)だったかと)。

でも、それは全体のバランスなどを見ると当然のこと。

取材した内容はそれなりにボリュームがありながら、掲載にあたり削ぎ落とします(私は、この“捨てる”ことが編集工程の肝のひとつだと思っています)。
明文化するために、目に見えない内容を聞かないと、上っ面だけの浅い内容になっちゃうんですよね。

 

 

今回、「アンゼリカ」閉店のニュースを聞き、はっとその取材でいろいろ聞いて教えてくださった内容が次から次へと思い出され、

そうしたら、ちゃんと文字化してくださっていたところがあったんです。

「パンラボ」のこの記事がそれ(↓)。

アンゼリカ(下北沢) | パンラボ

 

私が取材でうかがったとき、これとまったく同じ内容のことを話してくださったんですよね。

びっくりしました! 内容もですが、こんな風に看板商品の秘密をオープンにしちゃうんだ、ってことも。

・もとはドイツパンをやってらしてそれがベースになっていること

・夏と冬でカレーの質を変えていること

・スパイスや果物といった副材料について
ご主人はいかにもパンおじさんといった風貌の方で、とてもていねいにお話しくださいました

(そのときの恰好、白とブルーのストライプのズポンに長いエプロンをかけてらした姿も覚えています)

 

この「パンラボ」の記事も本にまとまったときは、ひと言だけ。

ウェブの膨大な量をまとめようとすると、こうなっちゃうよね。

 

 

20年ほど前だったか、メディアもようやくネットに取り組むようになり、

そのとき、ある雑誌の編集に携わっていて、ネットに積極的だった人の発言。

「ネットのいいところは、荒削りでもすぐにアップできる。そして制限を気にせず、取材内容をすべて掲載することも可能だ。こっちが発信したいことと、それそれの読者が求めていることは必ずしも一致しないし」

 

確かにそう。

でも、いきなり詳しいものがどーんと目の前に出されるとつらいよね。

だから、本とか雑誌とかのよさってのもあり、そこには媒体が発信したいもののパッケージ化もあるんだけど、

そこでまずは俯瞰でかいつまんで情報が見られる。それが私が「アンゼリカ」を取材したときの立ち位置。

そこからもっと知りたい人に、って情報は、さっきの「パンラボ」の記事。(もっともこれだって、削ぎ落としてはいるんだろうけど)

 

 

同時に、人の記憶は曖昧だから、記録しておかないとなくなることも痛感。

「アンゼリカ」のカレーパンの秘密だって、こうして「パンラボ」が記事にしてくれたから残っているわけで。

 

「アンゼリカ」だけでなく、「ぶーふーうー」も、「三福林」も、「千草」も、「マック」も、「アルルカン」もすでに下北沢からはなくなっていて、

それは個々の事情や時代の流れだと思うのだけれど

(あれもこれも残念というのはノスタルジックに浸った傲慢だと思う。

 もし、経営不振が閉店の理由なら、

 店があるときにちゃんと行っておけば閉店にならなかったよ、って話)、

でも、こういう街でこういう店があってこういうことをやっていてこういう人たちがいたことを、単に店データだけでなく、思いとか日々の呼吸のようなものを記録として残す意義は大いにあるんだよなぁ。

「(30年後の」谷根千」のように。

ricorice.hatenablog.com

 

「30年後の谷根千」に出合う

f:id:ricorice:20170703174427j:plain

子どもの頃の移動は小さなものだったけれど、

それでも幼稚園、そして保育園、小学校は3つ、高校は学区外だったことが影響しているのか、

地元感覚、帰属意識が希薄です。

どこにいても、片方の目ともう片方の目で違う世界を見ているような。

 

人生で一番長い時間を過ごしたのは、20代の10年近くを過ごした東京都世田谷区弦巻で、

土地との相性もよかったのでしょう、

住所を書いていると感じるのですが、感覚的にピンとくる。

 

人生で三番目に長くいた場所は東京都文京区千駄木

2000年代の多くの時間をこの地で過ごしました。

世田谷にいるときは、当時の私は思いっきり西っ子ですから、

東京の北側や東側を知らなかったのです。

 

あるとき、仕事で「東京散歩」のような企画があり、

初めて谷根千エリア訪ね、衝撃を受けてしまったのです。

 

 

東京にこんなところがあったのか!

 

 

寺町と称されるように、寺が多く、

ベタベタの下町とは違うけれど、

そこにずっと住んでいる人の息づかいが聴こえるエリア。

京大の近くのような文化の香りも感じる。

 

その後、実際に住むようになり、

へぇ〜、こんな雑誌があるんだ〜、と地元の書店で手にとったのが「谷根千」。

確か、タウン誌という言い方をせず、地域雑誌と言っていたような記憶。

 

事件など大きな物事は記録として残される。

だけれど、市井の人の生活って、日々のなかで消化され、流れていってしまう。

時代は変わるし、建物がいい例ですべてを残すことは不可能。

だからこそ、そういうのをきちんと記録しようと奮闘されている方がいらっしゃるんだなぁ、と

住んでいる間は買って読んでいました。

 

谷根千」事務所ではときどき、記録映画の上映会をなさっていて、それに出かけたり、

なにより町を歩いていると、

谷根千」編者で作家の森まゆみさんが普段着でいらっしゃるのをよくお見かけし、

あ〜、こういう地元にずっといた人のいち生活者の視点で「谷根千」は作られているんだなぁ、と思ったものでした。

 

 

紀伊國屋書店のフリーペーパー「scripta」を何気なく手にとって眺めていたら、

「30年後の谷根千」と銘打った森まゆみさんの連載が!

 

おもしろいなぁ。

 

住民だったときより、今の方がおもしろく感じる。

なんでだろう?

 

懐かしさ、ではないんですね。

おそらく、紙というフォーマットと内容が合致しているからなんだろうな。

だから緻密な内容の文字のひと言ひと言がびしびし迫ってくる。

記録、としてのものは、かっちりとしたフォーマットに世界観を閉じ込めた方がいいってことなんだろうか。

 

紙とデジタルを使い分ける、もしくは共存する、または別の何か、

はたまた別のプロジェクトと組み合わせる。

たくさんの文字をのせるための、その内容により適した媒体を選択する、

このあたりの目利きも問われる時代になったんだなぁ、

ってことを改めて感じたりしたのでした。

 

「ユニーク」という言葉をどう捉えるか

f:id:ricorice:20170702165556j:plain

目にするたび、耳にするたびに違和感を覚える言葉に

「ユニーク」

があります。

割り切って使い分ければいいのでしょうが、ふんぎりがつかずぐらぐらしているので、自分では極力使わないようにしています。

 

ユニークは英語から来た言葉で、uniqueと綴ります。

その意味は、“唯一無二の” “他に例を見ない”

といった、one and onlyの存在のものを指します。

 

しかし、日本語の場合は(この意味が根底にあるのかもしれませんが)、そうではなく、

“ちょっと変わった”“おもしろい”

といった具合に、一般的な概念とは少しずれていて特徴的なものを有しているときに使われます。

one and onlyとは限らず、むしろone of themであることが多いような。。。

 

 

なわけで、ユニークはもともとは英語の意味では、

“稀有な”“稀少な”

となり、そうそう点在しているものではないのですが、

日本語だと、”ちょっとおもしろい”ものは、ユニークと形容され、

ユニークなものがごろごろ。

 

う〜ん、なんだか違和感!

 

 

フォロー/followなども日本語と英語では意味が異なるので、

そういうもんだと思えばいいのでしょうが、

なんだか気持ち悪いんですよね。

 

なので、自分がこんがらがる言葉は極力使わない、

というのが、今のところの私の結論です。

 

 

お財布を忘れる!の巻(2回目)。。。

f:id:ricorice:20170701174543j:plain

去年の今ごろ、某企画の飲食店の下見でいざ会計、というときに、

財布がない!

という事態に。

出る直前にバッグを替えたので、中身をちゃんと移動させてなく、

名刺すらない、ってことに。

 

スマホカバーの内ポケットにSuicaICカード)を入れているので、

JRや地下鉄、バスといった公共交通機関で移動はできるんですよね。

 

名前と連絡先を記し(その場で電話を鳴らしてもらい、私の番号であることを認めてもらう)、

翌日、そのときの金額と、せめてものお詫びの品をもってお伺い。

 

 

もう二度とやるまい! 二度とやるまい! 二度とやるまい!

 

のはずだったのに、またやってしまった。。。

打ち合わせのあとに食事に、という流れで、

っと、財布がない!

前回同様、Suicaがあるから移動はできたんですよね。

 

そのときの食事は、打ち合わせの一環だったので、

もともとご招待、と言われていたのですが、

だからといって、ねぇ。

 

事情を説明し、帰りも運よく同方向の方がいらしたので、

同じタクシーで私が先に降り、

で次回お目にかかったときに払います!と。

 

 

今や、財布よりスマホが大事なのよねぇ。。。

キャッシュレスどころかカードレスの時代に突入だから(日本はどーかな?)、

いよいよ重い腰を上げて、アップルペイの導入を真剣に考え始めたところです。