書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

「30年後の谷根千」に出合う

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子どもの頃の移動は小さなものだったけれど、

それでも幼稚園、そして保育園、小学校は3つ、高校は学区外だったことが影響しているのか、

地元感覚、帰属意識が希薄です。

どこにいても、片方の目ともう片方の目で違う世界を見ているような。

 

人生で一番長い時間を過ごしたのは、20代の10年近くを過ごした東京都世田谷区弦巻で、

土地との相性もよかったのでしょう、

住所を書いていると感じるのですが、感覚的にピンとくる。

 

人生で三番目に長くいた場所は東京都文京区千駄木

2000年代の多くの時間をこの地で過ごしました。

世田谷にいるときは、当時の私は思いっきり西っ子ですから、

東京の北側や東側を知らなかったのです。

 

あるとき、仕事で「東京散歩」のような企画があり、

初めて谷根千エリア訪ね、衝撃を受けてしまったのです。

 

 

東京にこんなところがあったのか!

 

 

寺町と称されるように、寺が多く、

ベタベタの下町とは違うけれど、

そこにずっと住んでいる人の息づかいが聴こえるエリア。

京大の近くのような文化の香りも感じる。

 

その後、実際に住むようになり、

へぇ〜、こんな雑誌があるんだ〜、と地元の書店で手にとったのが「谷根千」。

確か、タウン誌という言い方をせず、地域雑誌と言っていたような記憶。

 

事件など大きな物事は記録として残される。

だけれど、市井の人の生活って、日々のなかで消化され、流れていってしまう。

時代は変わるし、建物がいい例ですべてを残すことは不可能。

だからこそ、そういうのをきちんと記録しようと奮闘されている方がいらっしゃるんだなぁ、と

住んでいる間は買って読んでいました。

 

谷根千」事務所ではときどき、記録映画の上映会をなさっていて、それに出かけたり、

なにより町を歩いていると、

谷根千」編者で作家の森まゆみさんが普段着でいらっしゃるのをよくお見かけし、

あ〜、こういう地元にずっといた人のいち生活者の視点で「谷根千」は作られているんだなぁ、と思ったものでした。

 

 

紀伊國屋書店のフリーペーパー「scripta」を何気なく手にとって眺めていたら、

「30年後の谷根千」と銘打った森まゆみさんの連載が!

 

おもしろいなぁ。

 

住民だったときより、今の方がおもしろく感じる。

なんでだろう?

 

懐かしさ、ではないんですね。

おそらく、紙というフォーマットと内容が合致しているからなんだろうな。

だから緻密な内容の文字のひと言ひと言がびしびし迫ってくる。

記録、としてのものは、かっちりとしたフォーマットに世界観を閉じ込めた方がいいってことなんだろうか。

 

紙とデジタルを使い分ける、もしくは共存する、または別の何か、

はたまた別のプロジェクトと組み合わせる。

たくさんの文字をのせるための、その内容により適した媒体を選択する、

このあたりの目利きも問われる時代になったんだなぁ、

ってことを改めて感じたりしたのでした。