書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

苦行だけどやるのだ!  

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取材では、お店や商品、レシピなどの取材で、目安として文字数が2000字以下のものはそうしないことがほとんどですが、

2000字以上、そして人物や歴史的背景など掘り下げるタイプの取材では録音をさせてもらっています。

 

書籍1冊とか(10万字が目安)の場合は、テープ起こしから始めますが、

雑誌やウェブ、書籍でも一記事の場合は、企画を鑑み、鮮烈に残ったことを基軸に、まずは記憶をたどって、アウトプットすべく原稿を書きます。

書くことに集中するので、事実関係などは間をあけて(あとで確認)。

ここの時点の原稿は、草稿以前のメモ書きのようなもので、まったく体を成していません。

 

そのあと、録音を聞き直し、場合によってはテープ起こしをして、

大事な言葉にハイライトをつけたり、こぼれていたけれど重要と思える言葉を拾ったりします。

そして、ざっと書いておいた原稿を修正します。たいがい大手術。

 

その後、推敲を重ねます。

納得がいかない、しっくりこない場合は、もう一度録音を聞き直し、調整をかけます。

 

 

このとき、何が苦痛か、って、自分の声を聞くのが嫌なんですよねぇ。

声自体もですが、話し方、声のトーンなど、あああああ〜っ!てことばかり。

 

「あの〜」はやめよう、とか、主語と述語を明確にして、簡潔にわかりやすい言葉で話そう、とか。それと私の話し方は抑揚が大きいんですよね。なので、日常会話でも聞き返されることがしばしば。ゆっくり落ち着いて、なるべく平板に話さないとなぁ、とか。

 

原稿を書くのが主ですから、取材内容重視ではなるのですが、頭のどこかで自分にダメ出し。

脱稿したら、次はああしよう、こうしよう、が頭の中をぐるぐる。

 

 

自分が書いたものを読み直すのもだけれど、話したことを聞き直すのは、もっと苦痛。

客観視することを求められているからだろうけど、これをしないと仕事にならないので、修行(修業ではなく)と思って、取り組んでいます。