書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

競争があるところは淘汰され、洗練される

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今から30年前、私が高校生だったときのこと。

高校には進路相談ってものがあり、

「編集の仕事をしたいんです」と言ったら、

「だったら東京に行きなさい。その方面には明るくないし、具体的なことはいえないけれど、出版社の8割以上は東京にかたまっている。ほかのエリアではつかめるチャンスもつかめない。まずは東京に行きなさい」と。

(この数字をよく覚えているのは、そんなに東京に一極集中しているのか!と驚いたから。その後、その数字はもっと大きくなったのだけれど)

 

へぇ〜、そんなもんかな、と思って、それまで大学で東京に、とはまったく思っていなかったのだけれど(関西に、と考えてた)、

どのみち家を離れるのであれば一緒かぁ、ということで、東京へ。

 

編集の仕事をしたいなぁ(当時は、編集ということがわかっていなかったのだけれど、

音楽でいうと、ギターを演る、ヴォーカルで目立つ、ではなく、

こんないいレコードがあるのよ、みんな聞いて〜っ!!!をやりたい、ってこと)

と思っていて、それは意思としてはずっと存在したものの強い意志ってわけではなく、

大学を卒業して、いったん会社に入ったもののドロップアウトした先(当時、大企業を辞めるのはバカという認識)に編集があった、って結果なんだけど、ね。

 

でも、その進路指導の場で、東京へ、って言われていなければ、おそらく編集という仕事をしていなかったかもしれない。感慨深い!

 

 

ごくごく一部の大手出版社を除いて、編集って仕事は家内制手工業で、それは今も変わってなくって(これ、変えたい!)、

ということは脱落する人も多いのよね。

企画、構成、だけでなく、執筆、校正、簡単な撮影やデザイン、監修の方やスタッフさんとのやりとり、なんでもやる、そして責任もとる。

駆け出しの頃は、リアル・サヴァイバルゲームかと思ったもん(笑)。

神経が相当参っていたと思います。毎日のように、泣きながら新玉川線(現・田園都市線)に乗車していたんだよなぁ。

なんでかっていうと、誰かに何かされて、とかではなく、思うように仕事ができない自分に苛立っていた、ってことなんだけれど。

 

こんな情報が欲しかった! かつ売れるものを作りたい(商業出版、つまりビジネスである以上、当然)、競合もあるから書店に並んだときに、ほかではなく自分が手がけたものを選ばれたい。

ず〜〜〜〜っとこんなことの繰り返し。これは永遠の課題なんだけれど。

 

逆にいえば、競合があるから、こうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないか、って必死で考えるわけです。

選ぶのは読者で、結果として、売上げという形で淘汰されていく。

 

 

よく、大手スーパーマーケットが進出したから、地元の商店街がダメになった、って言うでしょ。

これ、全然違う!と思うんです。

もともとダメだったんだけれど、選択肢がなかったから成立していた。

それが大手スーパーマーケットという競合が出現したときに、

こっちの方がいいじゃん、ってお客さんが流れていった、お客さんが既存のものを選ばなくなった、それだけの話。

 

もし、本当に地元の商店街に魅力があれば、一時的にはお客さんは流れても、戻ってくると思うんですよね〜。

観光客が多い一部のエリアを除いて、スターバックスがオーストラリアから撤退したのなんか、ほんと、好例。

選ぶのはユーザー。

いくら、商店街がいいものを扱っている!とか、地元を大切に!とか言っても、それは店側の論理で、便利さとかで大手スーパーマーケットがいいと思えば、お客さんは当然そっちに流れる。

 

でもね、実際のところ、オーストラリアだって、何もしないで地元のカフェが選ばれたわけじゃなく、

もともとしっかりしたカフェ文化があって、それはスターバックスがマネできない、地元にどっしりと腰を下ろし、愛されているカフェが点在しているってことで、そして、そこはそこで競争があり、それぞれが切磋琢磨しているんですよねぇ。

 

なかには、競合があろうがなかろうが、我が道を行く、熱意を持って黙々と邁進しているとこもあるにはあるけれど、それは本当に稀少。

競争がないと、この程度でいいじゃん、とどうしても思いがちで、やっぱり慢心するのが人間だと思う。

あぐらをかいているだよね、って指摘した人がいて、まったくその通り!

競合があって初めて、いろいろ考え工夫していき、それがユーザーの反応によって淘汰され、結果、洗練されるんですよね〜。