香りは記憶再生装置である(ホントよ!)
“おかたし”真っ只中の私。
今週手放した、おもなものは以下のとおりです。
・靴 1足
・服 6着
・ポーチ 1個
・瓶 大量
ほか、小さいものをいろいろ。
靴は先週、踏ん切りのつかなかった2足のうち、1足を処分。
靴をまとめて捨てた後で(↑)、やっぱり要らないな、と悟り、即さようなら、となった次第です。
今週は、瓶もの、そう、ガラスものを大量に処分しました。
具体的にはエチケットが気に入ってとっていたワインなどの瓶とかジャムの空き瓶とか、花瓶とかもろもろ。
おかげで台所が随分すっきりしました。
このとき、瓶同士ですから、香水もチェックしましょ!となりまして。
所有している香水は10本ぐらいだし、すぐチェックできるでしょ、よぽど気に入っているもの以外、2本ぐらいかなぁ、は保留にして後は処分しちゃいましょ。
香水は好きだけれど、実際のところ、食の仕事をしていると、外での仕事、例えばお菓子の撮影とか、飲食店の取材とかでまとうことはできないし、これを機会にどんと減らしちゃいましょ。
そもそも何年も持っているのもいかがなものか、だし。
ととりかかったら、これが3本しか手放せなかった。。。
なぜか。
香りって記憶と密接に結びついているからなんですね。
これってよく言われることではあるのですが、本当にそうなんだ〜、とびっくりしました。
いちいちシュッとふりかけて香りをチェックしたわけではありません。
でも、瓶を持つと、少量とはいえ自然とその香りは鼻腔をくすぐります。
すると、その香りをまとったときのさまざまな記憶が映像となって、だ〜っと鮮やかに蘇ってきたのです。
香りごとに短編映画を何本も観たような気分になり、しかも幸せな気分とともに想起されるとなると、その思い出をいつまでも保っているのがいいのか悪いのかは別として、処分を躊躇してしまったのです。
なので、現時点では保留。
こういうのって、個人差があるのでしょうか。
私の場合、写真を見るよりもモノに触れるよりも、匂い(嗅覚)や音(聴覚)の方が断然、記憶再生装置になっている、と痛感。
音はもはや、そのほとんどをフィジカルではなく配信などデジタルに頼るようになっちゃったけど(レコードやCDで残しているのは、パッケージそのものを観賞用として、だから)、香りはそうはいかない。
お茶の子さいさいのつもりが、そうはいかなかった!
その理由として、こんな気づきをするなんて、ね!
科学的で論理的に突き詰めて考えるのもおもしろいかもしれません。