書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

自覚はなくても、気持ちと行動は連動しているんだなぁ

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当時はそんな言葉はなかったし、これから先、自分がそこを目指しているわけではないけれど、私にはミニマリストだった時がありました。

 

イギリスから帰国し、しばらく実家に身を寄せ、東京に戻ってきてからの日々がそうでした。

家電や家具の類はなく、仕事で必要なMacのラップトップとファクス付き電話(当時は、ね)と文房具と最低限必要なもの(寝具とか衣類とか食器とか)だけ。

机も椅子も、テレビも洗濯機も冷蔵庫もオーブンレンジも炊飯器も掃除機もラジオもなく(パソコンで聴けたんだっけ、な)、文字どおりみかん箱を机代わりにしていました。

6畳と3畳の部屋のなんと広く、清々しかったことか!

 

過去のことを思い出す、ってあまりないのですが、“おかたし”を進めている真っ最中の今、この頃の生活が、目の前に現れることが少なくありません。

映像として、家の中の様子が思い出され、その次のとして、暮らしぶりがよみがえってきました。

 

ありがたいことに、東京に戻って早々、書籍を全面的に制作する仕事の機会をいただきました。

とはいえ、発売になってからギャランティの入金なので、書籍の仕事の場合、制作期間は一銭も入らない、のです。

なので、当然お金はなく、生活は慎ましかった。

 

それについて、何も思っていなかったんですね。

貧乏が恥ずかしい、とも、贅沢をしたい、とも、思わなかった。

それよりも、日本を離れている間は仕事をしていなかったので、仕事をもらったありがたさと、ブランクがあったので取り戻す時間もいるだろうし、ちゃんとしないとね〜、そればっかりでした。

 

で、どういう生活だったか、というと、これが実に規則正しく、すっきりしている。

そうしようと思ってそうしたわけではなかったのに、ね。

 

朝、8時ごろ起きて、朝食をとり、ざっと掃除をして、1時間ほど勉強をして(英語のレベルを落としたくなかった)、仕事。12時30分頃から昼食。作って食べて1時間ぐらい。

午後、仕事に戻り、でも私にとって午後は1日でいちばん眠い時間なので、睡魔が襲ってきたら、図書館で仕事をするか(ついでに本やCDを借りてくる)、食品の買い出しに行くか、またはお昼寝。

19時前後に夕食を作って食べ、あれば仕事のきりのいいところまでやって、シャワーを浴び、洗濯をして(大きなものは近所のコインランドリーで。下着とは小さものは手洗い)、後は図書館で借りてきた本を読んだり、CDを聞いたり(ディスクマンは持っていた)。

そうして、24時頃就寝。

 

こういう生活を3カ月は続けていたと思います。

それは実に、気持ちが充足した日々でした。

その後、別の仕事をするようになり、外に出て行く機会が格段に増え、欲も出てきて、この規則正しい生活は見事に崩壊してしまうわけですが。。。

今にして思えば、どちらの生活がいい/悪いではなく、どちらもそのときの私に必要で、かつ求めていた生活だったのでしょう。

 

さて、私がミニマリストだった時代の上記の生活、そうしようと思ってしていたわけではなく、自然な流れでそうだったんですよね〜。

今、モノを減らし、自分にとって本当に必要なものは何か、“おかたし”をしている最中で、暮らし方が少し落ち着いてきたように感じています。

出張や外出が少ないから、ってのはもちろん大きいものの、家の中をきちんと片づけようという心構えは生活のリズムもそういう方向に向かって行くのかもしれません。

気持ちも行動も見た目も、すべては連動している、ということを実感しています。