書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

できなかったことよりもできたことをよし、として進めよう

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“おかたし”真っ只中の私。

今週手放した、おもなものは以下のとおりです。

 

・靴 3足

・ワンピース 3着

・スカート 2着

・帽子 1個

・書籍 20冊

・雑誌 20冊

 

ほか、小さいものをいろいろ(これが多いんだな!)。

 

靴については、今年に入って、これまでも何足か処分して、一度全部出して見直して、今週は3足手放した次第です。

2足、瞬時に残すか手放すか判断できず、とりあえず保留。

 

 

今年に入って“おかたし”を進めていて、

1月は、些細なことから、と、1日1個は目についた明らかに不要なものを捨てる

2月は、どん!と判断する

という、自然な流れで、今回の靴の処分は、それまで少しずつだったものを、ここでやっておこう!と全部引っ張り出して仕分け、“おかたし”を意識し始めてからは、トータルで3分の1を減らした恰好です。

 

迷ったものは、迷う時点で不要な要素があるわけだから、一気に捨てるといい、と指南されるところですが、それでも、1〜2割は、う〜ん、となるように思えます、私の場合。

で、今回の靴についても2足を保留にしたわけですが、それでいい、それが今の私にとって負担にならないやり方なんだ、と認識しました。

 

判断に迷うものが出てきたしまったことよりも、ある程度(靴の場合は3分の1)減らせたことを、現時点ではよし!としよう。

保留にした2足は、後でもう一度見直したときには、今度は躊躇なく手放せるような予感もあるけれど、今は、迷ったのに捨ててしまったとしたら、その判断は自分主体ではなく、他者の“こうあるべき”に流された、であり、それがストレスになるので、避けた次第。

ほかもあれこれ進めた後で、もう一度戻ったときには、もっと判断力が身についているだろうから。

すいすい負担なく進められないと、や〜めた!になっちゃうから。

 

なんでもそうですが、指南は指南で大事。ただ、それに盲目的に従うのではなくって、それが自分に適しているのか、なぜそうするのか、咀嚼して、自分が納得したやり方で進めないと、ただの作業に終わって、気がつけばケオスに戻るように思えるのです。

なぜ、なぜ、なぜ、だから、だから、だから、を繰り返しながら、“おかたし”の日々は続きます。