書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

話すことも頻度が減ると退化する

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仕事のシーンで、対面で、電話で、という機会が減り、

それは時間を自分の裁量でコントロールできることにつながり、

非常に助かっているのですが、

それでもゼロ、になる、ということはなく、私もそれを望んでいるわけでもなく。

 

通常のやりとりはメール、メッセンジャーですが、

急ぎだったり、念押しの確認だったりは、電話を利用するのが現状。

 

そこで、あ〜、使う機会が減ると退化するなぁ、と感じたことがあり、

対面の場合は、意識が五感にあるので気づかなかったのでしょう、

電話の場合は意識が聴くことに集中しているので浮き彫りになったことがあります。

 

 

私は、世代、ということもあるでしょうが、むしろ生まれ育ったエリアの影響で、

意識してないと、鼻濁音が発声できません。

私にとっての鼻濁音は自然と備わったものではなく、大人になって習得した発音です。

 

鼻濁音って何か、っていうと、“○○が”というときの“が”。

“がちょう”や“外食”の“が”と違って、鼻にかける、といえばいいのかな、

表記すると“か°(“か”に○)”であり、音にすると“んが”(このときの“ん”は小さい“ん”)になるものです。

 

この鼻濁音の“が”、確かに廃れつつあるのですが、

話す相手が東日本の方でかつお年を召した方だと、ふわっと使うようにしていたんですよね

(その方々は聞き慣れていらっしゃることもあり、その方がやわらかく聞こえる、と思われるから)。

 

ところが、そんなことすっかり忘れてしまっていて、

先日電話で話しながら、自分の音声を耳にして、ちょっと違和感があるな、と思ったら、

鼻濁音を使っていないのが、理由でした。

 

 

今も意識すると発音できるのですが、

使う機会が減ると、とっさに出てこなくなるなぁ。