書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

修業で時間をムダにしなくてもいい

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10年ぐらい前だったか、テレビで安藤忠雄建築研究所に密着する番組がありました。

(私は、生き物としての安藤忠雄が大好きなのです!)

 

もともと建築に興味があり(今もですが)、そのときに思ったこと。

「自分が建築家、自分の名前で作品を世に問う建築家を目指すなら、有名な事務所では働かない道を選ぶだろう」。

安藤忠雄建築研究所がよくなかったとか、そういうことではまったくないのです。

 

安藤忠雄建築研究所でやっていることは、あくまで安藤忠雄の名前のもとに建築の仕事をする事務所。

建築事務所がどういうところかを知るためにはいいのかもしれませんが、安藤忠雄に間違いなく感化されるだろうし、へたしたら、というべきか、なまじ優秀なスタッフになったらそれこそ自立がむずかしくなる。

だったら、むしろ、新しくかつ小ぢんまりとしたところ(世間的には有名ではない)に行ってひととおり仕事の流れをつかんで、そのための期間と割り切って、早く独立するのがいいな、と。

いや、そもそも修業の必要はあるのだろうか?

とも思ったのです。

 

 

そう感じたことは、今、私のなかで加速度を増しています。

私の至近なところでいえば食。

たとえばフランス料理。

このシェフのメニューを継承したい!そして、いずれはその店でシェフをしたい!であればその店で修業する価値はおおいにあると思います。

でも、単にフランス料理、であれば、どうかな?

自分のなかで試行錯誤して、どうしても足りない部分を大御所のところに請うて補う、でいいんじゃないか、って気がしています。

 

それって従来の修業じゃない。

でも、そもそも従来の修業が必要なのかな?

いや否定しているわけじゃないですよ、本当に。

ただそれが絶対安全なわけではなく、むしろ危険をはらむようになったんじゃないかってこと。倣っているだけでは、どんどん取り残されていっちゃうんじゃないかな。

 

そして、これ忘れがちだと思うのですが、だからこそ外野の声など耳に入らないほどのめり込んで突き進む力(本人はそれを努力とは言わないかもしれませんが、前例のないなかでひとつひとつ積み重ねていく力、のようなもの)を持った人だけが上にいけるんだと思います。

 

凝り固まらず、ときに既存のものを壊しながら、時代の速度や動きに柔軟になるってことが、今の時代、とても大事な気がするんですよね〜。

自分もそうありたいし。