書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

世界遺産とか大河ドラマのロケ地ってだけで行くきっかけになるかぁ?

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いつだったかなぁ、

「あ〜、世界遺産って、別にヨーロッパの人たちにとってほとんどアピールポイントにならないですよ」と言ったら、えらくびっくりされ、

「だって、世界遺産だからって、ねぇ。自分自身、それが観光に訪れるきっかけになりますか?」って加えたら、またまたびっくりされて、

「え〜、でも、世界遺産でしょ」

「え〜、まずは自分の興味のあることでしょ。気づいたら世界遺産だった、ってことはおおいにあるだろうけど」

 

なんだろう、この認識の大きなズレ。

世界遺産だからすごい、行かねば!

大河ドラマのロケ地だからすごい、行かねば!

って、そんな単純な子どもだまし(いや、今どきの子どもの方がよっぽど冷静だろーな)のような発想が、本気で通用するって思ってることに驚愕!

(私は、そもそも古いことや歴史が得意じゃない&退屈ってのもあって、生まれてこの方、大河ドラマをほとんど観たことがない!)

 

 

でも、世界遺産って、もちろんそもそもの目的は“後世に残す価値のあるものを保護する”で、それはそれで果たしているとは思うけれど、実際のところ政治色も強いからねぇ。

そもそも誰かのお墨つきや価値基準が必ずしも自分に当てはまるわけじゃない。

 

それを世界遺産とか、大河ドラマのロケ地とか、そういう教科書的な共通認識を掲げれば人が来るといまだもって信じて疑わないことに、末期症状だな〜、と感じたのです。

 

確かに世界遺産登録や大河ドラマのロケ地になったことがきっかけになるのはいいことだとは思うのです。それまで知らなかったけど、興味を持った、ってこともあるでしょうし。

 

 

心底辞めて欲しいと思うのは、それを伝えるための、その場所に林立する大きなのぼりや看板、加えて、世界遺産まんじゅうとか、の便乗商品って、本来のいいものを台無しにしちゃうと思うんだけどな。

自分の興味の対象が世界遺産登録されたもので、実際に行くと、えげつない看板とか便乗商品とかあったら、あ〜ぁ、って落胆しないのかなぁ。私は、がっかりして、もう二度と行くもんか!って思うけど。

見たいのは、そんな広告てんこ盛りの状況じゃなくって、なぜそれが登録されたかがわかるようなありのままの姿、じゃないの?

 

何も言うな、ってことじゃないですよ〜。

そういうのは、報道としては、過剰なことはせず淡々と、単に登録されました、とだけすればいいし、それを伝えるウェブサイトやパンフレットではさらりと付け加えればいいし、きちんと知識があり、かつ説明できる人を配置するとか(お決まりの対応できない人でなくってね。マニュアルどおりにしかできないのなら、人は要らない。パンフレットでも音声ガイドでもpepperでも十分)、やり形が違うんじゃないか、って話。

表面だけ盛っても、そんなもんただの瞬間の消費材で、ひと月もすれば忘却の彼方、ですよ〜。