“女性としては“じゃなくって、“私は“って言ってよ
育った家庭も、学校も、職場も、リベラルな環境でず〜〜〜っといたので、性差に疎い。
抑制がなかったから、考えたこと、あんまりないんですよね〜。
なもんで、「あのときのあれ、女の人だからバカにされてたんだよ」と指摘されるまで気づかないし、女性が輝く社会とかっていわれても、こんなの男性も女性も中性もないんじゃないの?って思うし(そもそも輝く、って何なのでしょうね)、女性のための○○っていうのも、あ〜って気分になっちゃうし。
私は、男性と女性とは動物/生物学的には別の生き物だけれど、思考とか権利とかなんやかかんやらは(ほぼ)同じだと思っています。
だから、
「女性は地図が読めないから」とかいわれても、「私、地図読めますけど〜」だし、
「女性はこういうことされるとうれしい」ってのがうげーってこと多いし。
女性は、って枕詞がつくことに???なことが、うんざりするほどたくさんあります。
だって女性も男性も関係ないんじゃないの、ってことが大半なんだもん。
この人たちって、なんで女性は、っていうのかな?
それって自分のことでしょ? だったら、私は、って言えばいいじゃない?
“女性はこうだから”という隠れ蓑をはがすと、“こうしてよ”や“私はこう思う”が透けてみえる。
「私、地図読むの苦手だから、お願いね!」
「私、こういうことしてもらうと、とってもうれしい」
って、なんでストレートに言わないのかな?
それだと、やってくれくれ攻撃になっちゃうから? 自分の発言に責任をとりたくないかな?
遠回しにお願いするよりも、自分でできるようになった方が早い方もたくさんあるんじゃない?