書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

こだわりというジレンマ

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雑誌や本のライティングや編集の仕事をする際、

技術、レシピ、経営、背景、店紹介などなど、いろいろな切り口で携わりますが、食に関することが圧倒的に多いんです、私の場合。

 

そこで、使うのに躊躇する言葉があります。

 

こだわり

 

「うちは無農薬野菜にこだわっています」

「うちはこだわりの生産者から仕入れています」

「うちは調味料にいたるまで手づくりにこだわっています」

 

これらの言葉を何度きいたことか。

 

その言葉に偽りはないでしょう。

そして、そのフレーズが印籠となって、数年前まではお客さんを惹き付ける力があったのも事実です。

 

でもね、ファストフードでも居酒屋でも、ごく身近なカジュアルなお店でさえ、

今や、こだわっているんですよね〜。

こだわっていないところを探す方が困難です。

 

 

商品やメニュー開発のアドバイスを求められることもあります。

 

そこでも、耳にするのが、

「うちは国産食材にこだわっています」

「うちは生産者の顔が見える素材にこだわっています」

などなど。

 

そこで、「今やどこもこだわっていますよ。こだわっていないところはないですよ」と言うと、怪訝そうな顔をされます。

うちこそは!うちこそ一番!と思ってらっしゃるからなのですが、何にこだわるかの違いこそあれど、どこのお店もこだわってるのは同じなんですよね。

ごくごく一部のよっぽどのところ、唯一無二とも呼べる存在感を放っているところを除いて。

 

 

もはや、こだわりの食材を使うのは当たり前。

でも、これって、これまで“イチゴ”と表記していたものが、
“○○産のイチゴ” “○○さんが作ったイチゴ”と、細かくなったに過ぎないのです。

“こだわり”が、原材料を装飾する言葉に成り下がったということです。

 

 

つまり、“こだわり”では語れない、価値観やストーリーを提供をする時代に、もはや突入しているってことす。

それは材料とか値段とかそういったスペックに置き換えできないものではないかと思うのです。