書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

レディースデーや女子会プランは、要らない

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引っ越してきて、旧交を温めるべく食事に出かける機会が少なくないのですが、

その度に「よく食うなぁ」「よく食べるわね」と感心されることしきり。

私は飲むのはたしなむ程度なので、飲む人と出かけると折半でちょうどいい。

私同様、あまり飲まない人と一緒だと、多めに端数を出す、かな〜。

 

いつも思い、このブログでも何度か書いているのですが、

私を例に挙げるまでもなく、女性の方が少食、とか、飲まない、とか、って単に思い込みじゃなのかな。

こういうの、むしろ個体差が大きい、と思うんですよね。

 

そんななか、いつまで経っても、これだけジェンダーフリーが叫ばれていても、

飲食店や映画館のレディースデーとか、飲食店のレディースランチとか女子会プランとかってなくならないよね〜。

肝心のフェミニストたちは、「これ、逆差別。要りません」と声高に叫ばないのはなぜだろう。

都合の悪いことはわめき散らして、都合のいいことは黙っておく、ってのは違うんじゃない。

 

東京オリンピックに向けて、レジ袋なんかいい例で、突貫でいろんなことをやろうとしていて、

だったらこれもやめれば。

相当奇異に映るんじゃない。

 

だって、レディースデーと女子会プランって、単に女性というだけで、納得できる理由がないもの。

飲食店側の女の人で釣れば、という思惑はあるんだろうけど、

なんだかなぁ、って気分になる。

「女の人ね。へへへ、サービスしてあげてますよ」ってのが気持ち悪い。

 

 

そしてしつこいようだけど、いい大人をつかまえて“女子”と呼ぶ風潮はいい加減やめてほしい。

媚びへつらうように、または「いい年して若く見られたいんでしょ、名称だけでも与えてやるよ」といった姿勢はいかがなものでではありますが、

それにも増して、当事者のおばさんが、自分のことを女子というのは心底気持ち悪くって仕方がない。 

  

おばさんで何が悪い!って開き直る必要はないけれど、

若いのがいいってのも幻想であり、誰かが作って蔓延した“よし”とされるものに過ぎなくって、

年相応、おばさんはおばさんでいいじゃないの。

 

 

 

なんだかんだで疲れているのかも

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昨年夏〜秋に体調を崩し、でも仕事は多忙を極めていて、

体力を維持しつつ仕事をこなすために、

小間切れ睡眠(夜3時間睡眠、昼間2〜時間仕事をして30分〜1時間寝る)をとるようにしたら、

これが体に合っているようで、

その後、その体調不良&多忙な時期が過ぎても、

小間切れ睡眠生活をとる日が多くあります。

といっても、夜は5〜6時間、午前と午後に1時間程度の睡眠と時間と頻度は変わりましたが。

 

先日、午前中に眠くなり、起きたら2時間寝ていて、その後、午後も眠くなり、すると3時間30分寝てしまって、起きたら日が暮れていた。。。

 

がーん!

 

午前中に2時間と長めに寝たなぁ、だったのに、午後は輪をかけてたっぷり寝てしまったよ。。。

そして、こういうときでも夜は夜で寝るんだけどね。

 

 

先日、泊まりの出張がありました。

私は大浴場や温泉は、

・知らない人と裸で同じ空間にいるのが、どうにも苦手

・熱い湯がダメ

なので、お部屋のシャワーで十分。たいてい朝サッと浴びるんですが、

夜、どうにも大浴場に浸かりたくなりました。

 

その大浴場は露天風呂も兼ねていて、

お風呂には、他にお客さんもいなくって(一瞬すれ違った)、

そのせいもあって、1時間も湯船でのんびりしてしまった。

 

 

住居が決まって2週間弱で引っ越し、

クリーニングなしで引き受けた新しい住まいは荷ほどき以前に清掃が必要で

(一度にはできないので、場所の優先順位をつけ、

その場所から、清掃 → 荷ほどき → 整理整頓、を展開中)、

水周り、台所がようやくあらかた終わり、

これから机、睡眠、仕事周り、と取りかかる段階。

まだ、どこに何をおくか決めていないので、

とりあえず、床にレジャーシートを敷き(床が汚いから)、

その上にお布団を敷いて寝ている状況で、

これ、スリーピングバッグで寝るキャンプとあまり変わらないじゃないか!

 

 

気圧が低かったのも影響したのかもしれないけれど(気象病だから)、

どん!と寝てしまったのも、

大浴場で手足を伸ばしたかったのも、

引っ越し後はのんびり少しずつ家のことをしているとはいえ、

疲れているのかもしれない。

 

ベッドにするか、布団を敷くようにするか、そもそもどこに設置するか、

次は睡眠環境を整えるとしますか。

 

信頼して強く愛する、愛し続けるのも能力である

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うちはテレビをおいていないこともあり、実際に視聴したわけではなく、ネットの文面からだけで情報を得たのですが、

イラストレーターの和田誠さんが亡くなってからの平野レミさんの言動にふれるたびに涙が出る。

headlines.yahoo.co.jp

 

長年寄り添えるパートナーと巡り会えたことは、お互いの相性もだけどタイミングもあるでしょう。

そして、愛情という言葉だけでは図りきれない関係性を築き、年月を重ねることでそれが深まっていった、という姿をみると、

誰かを強く信頼して愛し続けるというのも、ひとつの能力であり、誰にでも備わっているわけではないだろうし、誰もがそういう境遇に身をおけるわけでもないんだろうなぁ、とつくづく思うのです。

 

ノムさんもそうですよね。

サッチーが亡くなったときの様子がそれを雄弁に物語っていました。

なので、変な話、お亡くなりになった今、あちらの世界でまたサッチーと一緒なら幸せなんじゃないか、って思うと、身内でもなんでもないけれどちょっと安堵したのです。

 

 

夫婦にしろカップルにしろビジネスパートナーにしろ、どういう関係でも、全幅の信頼をおいて情をかけられるというのは幸せなことだと思う。

そこにはもとの能力や努力(とは本人たちは思っていないだろうけど)が必要で、ただ単に一緒に過ごすだけでは獲得できない。

血のつながりと関係性の深さは必ずしも比例しない(むしろ反比例することも多い)と私は思っているから、余計にそう感じるのかもしれないけれど。

 

 

世の中のニュースはとかく、ネガティブな方面を拾いがちだけれど、こういう事柄に触れるとじんとしちゃう。

そんなわけで、平野レミさんという人を、もちろん純粋なだけの人ではないだろうけど、でもやっぱり純粋で素直なところにぐっときて、また好きになっちゃうな〜。

チェーン店はすごい! よく考えてあるなぁ

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育ちがいいわけではないのに、

妙なところで、こうしたい!があり(人と一緒だったり止むを得ない場合は、まあ、そういうこともある、って思っているけど)。

食べるシーンはきっちりしたいんですよね、私。

 

学校給食が苦手だったのは食べるのが遅い、おいしくない、食わず嫌いが多い、選択の余地がない、などいろいろですが、勉強机で食事を摂る、っていうのも苦手でね。

とりあえずかき込めばいい、という感じがダメだったんだよなぁ。

食事は食事をするところで摂りたい。

床にレジャーシート敷いてトレイにのせる、でもいいから、食事は食事のスペースが欲しい。

 

コンビニのお弁当が苦手なのは味ではなく、あのパッケージのまま食べる、ってのがダメなんだよなぁ。

あのパッケージのとりあえず感で、食欲が萎える。

お箸などのカトラリーのチープさも、悲しくなってくる。

家で食べるときは、デパ地下やお店でお惣菜とか買ってきても、お皿に移し替えないと気が済まないし。

 

コンビニのコーヒーはおいしいし、ドライブ途中とかで買ったりするのはいいけれど、イートインスペースが苦手(学校給食を学習机で食べるのに通じる、とりあえず感のある、とってつけたような場所だから、だと思う)。

 

なので、その場でコーヒーを飲む場合は、コーヒーチェーンを目指します。

圧倒的に好きなのはドトール

コーヒーがおいしい。素直においしい。

あの値段であの味、気軽に普段飲むのにちょうどいい。

モーニングとかのサンドイッチも好きだし、ケーキとかも安定感がある。

緊張を強いない空気感もいいよね〜。

仕事や勉強している人もいれば、本を読んだりスマホを眺めたりしている人もいれば、おしゃべりに興じている人もいる。スマホで通話していてもされていても、気にならない感じもいい。

 

 

とはいえ、そこまで行きまくっているわけではないのだけれど、

こないだ立ち寄ったドトールに感心してしまった。

 

向かい合わせの長テーブルの間のガラスの仕切りは模様入りで半透明風になっているし

(つまり、お向かいさんが見えづらい。ということは、こちらも見られにくい)、

長テーブルの途中途中には違う素材が埋め込まれているし
(個人スペースがわかる、仕切りの役割を果たす)、

テーブル下の荷物置き場は間口が狭く奥に行くほど高さ幅が広くなっているし

(バッグや荷物がおきやすい。隣のテーブルスペースやイスに置く必要がないので、お店側もよりお客さんを)。

 

いやぁ〜、よく考えてあるなぁ。

ほかのドトールもそうだっけ?

いつも行かないドトールに行ったから、新鮮に映ったのかな?

 

会うことで信用度が増す

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会うことはおろか、話すことをしなくても、メールなどのやりとりで仕事はできる。

いちいち呼び出されるのは言語道断。

些細なことで電話されると思考が停止し、通話後に元の状態に戻すのに時間がかかるので、やめてほしいなぁ、と思っているので、

メールなどのやりとりだけで仕事が進むのは、私にとって好都合。

 

ですが、会っておくメリットってあるんですよね〜。

 

先日、ここ半年ぐらいかな、「一度会いましょう!」と言いながらタイミングが合わず会えずじまいだった方にやっとお目にかかれました。

話したことこそなかったものの、メールなどのやりとりから、感じのいい方だな、仕事もやりやすいな、と感じていたのですが、

実際にお目にかかって、ぼんやりと感じていたその思いが確信に変わった、って感じ。

この方は信用できるな、信頼に値するな、と。

 

私は書籍のダイレクションも仕事の一環で、

その場合は、実際に顔を合わせる打ち合わせなどを重ねるのですが、

そこで行うのは、例えば紙の質感とか色味とか重さとか、フィジカルなこと。

それぞれが同じ資料などを持っていれば、遠隔でもすり合わせができなくはないけれど、

同じ場にいて一緒に確認しながら、の方が話が速いし、認識違いも起こりにくい。

 

人に会うのも、ちょっと似てるかも。

私は理性ではなく感覚というか本能というか、で生きているからなのかもしれないけれど、

物事を確信するのは、頭じゃなくって体と五感、って感じ。

最終的に、情報は足で稼ぐ、だしなぁ、私の場合。

 

切磋琢磨する感覚が戻ってきた!

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東京に戻ってきて、よかった! 本当によかった! 私はこういう生活を求めていたんだなぁ〜、と感じる場面が多く、今、本当に幸せ。

 

それはこれ!という突出した決定打があるわけではなく、

些細なことのあれこれなんだけれど、その積み重ねって大きいんだなぁ。

 

仕事をしていて、そう、この感じ、そうだったな、やっぱりいいなぁ、と思う場面もしばしば。

 

私はフリーランス/自営なので、目先の作業は自分の手前で行い、

そのときはほかの人との接触はない(メールとか通話とかweb会議とかはあるけれど)。

打ち合わせや取材があると、制作サイドの人と会う。

そのときに、目の前のプロジェクトの話も当然するのだけれど、

もっと広いところで、業界の動きとか、これからの仕事のあり方とか、世の中に出ている制作物に関してのあれこれとか、

そういう、半分仕事半分私情みたいな話になります。

 

これがいいんですよね。

(広義での)同業者同士で感覚をシェアできること、違った見方、ああしよう、こうしたい、という話は、

同僚がいない私にとって、制作サイドの人たちはいわば同士のようなもの。

こういう会話を通じて切磋琢磨し合える場所に、やっと戻ってきた、って感じ。

 

この道!とひとりで黙々と進められる人もいるでしょう。

でも、私はそこまで自分を律することができないので、環境も大事。

毎日は要らないにしても、ときにこういう話をして、感覚を刺激して、よし、がんばろう!と思うことは大事。

 

そういう日々がやっと戻ってきたなぁ。

そういうことがあるたびに、飼っている自分の野心を育てられる環境に戻ってきたことをうれしいなぁ、と噛み締めながら東京の新しい自宅への帰路に着くのです。

実をとる私ですから

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引っ越し先はDIY物件で、クリーニングしない状態での明け渡しが条件だったので、

荷ほどきよりも、先に清掃をして、その場所が使えるようにしないといけない。

 

まずとりかかったのは水まわり。

便器 → お風呂 → 洗面台 → トイレ全体

これだけで1週間。

その後、台所。

台所だけで1週間。

 

これから仕事や個人スペースなどが待ち受けていて、ふぅ、まだまだ道は長い!

 

 

台所が2週間使い物にならなかったってことは、外食三昧。

少し整理ができても、せいぜいコーヒーを淹れる程度。

家の中にいても段ボールだらけ、とにかく汚く、外で食べるほうが気分的にもよいので、外食ばっか、でした。

 

人と会うときは、そういうお店に行くのですが、

引っ越し後の今の状況の、日常の食事としてひとりでお腹を満たす場合は、

・悠長にのんびりするほどの時間はなく

・家のことでバタバタしていて体力を使うのでものすごくお腹がすく

ので、安くて速いチェーン店の利用が圧倒的。

う〜ん、若い単身サラリーマンのようだ(って、古い?)。

 

いやぁ〜、この手のお店の企業努力に驚く。

この値段でこの内容でこの味で、しかも営業時間が長いところも多い。

ポーションを少なくしてオーダーできるようにしているところも少なくない。

通常だとあまり行かないだけに発見も多い

(というのも、とりあえずお腹を満たすのであれば、いつもは家で食べるから)。

こりゃ、利用するわけだ!

 

 

そのことを言うと

「おしゃれなカフェとかに行かないの?」と驚かれ、

「おしゃれなカフェに食事目的ではまず行かない。

いやいや、それよりもチェーン店は優秀ですよ。今回毎日のように利用して、すごい!って思うことばっかり」。

 

カフェって待ち合わせとか打ち合わせとか、誰かと落ち着いて会うための場所。

お茶もあるし、お腹空いたらおやつもあるし食事もできるし。

カフェにお金を払うのは、私にとっては場所代なんだな〜。

 

ほとんどのカフェは、私にとっては食べに行くところにはならない。

・そこまでおいしいわけではなく(まかない崩れのようなメニュー)

・量が少なく

・その割に高い

・コーヒーもコンビニの方が安くておいしい

から。

一見、これらも満たされているように思えるけれど、そうじゃないんだよね〜。

おしゃれカフェは雰囲気美人のようなものだから、実はあれっ?てことがいろいろ目につく。

 

まあ、おしゃれカフェに飲食の質のアップを求めるのはむずかしいとしても、せめて量を1.5倍にしてくれたら、どうにも空腹時にご飯食べに行くかも。

 

 

な〜んて力説すると深く納得される。

おしゃれ系のところにはね、食事を求めてないのよ。

私は実をとるからなぁ。

さらに言うと、食事目的かつ雰囲気や時間、サーヴィスも求めるなら、

その分お金を払って、その道一直線といった、まっとうな(きちんとした?というか)お店を選ぶ。

 

おしゃれ系の店を否定はしないけれど、

食べる目的にはならないのよ、私の場合。