これがひとつの参考になれば
今年に入り、これまでに何度か、更年期の生理、経血過多がすごい!と綴りましたが、
本気で日常生活に支障を来すようになり、
生理が終わるのを待っていたのですが、それどころじゃない!ことに気づき、
クリニック、そして総合病院に行きました。
精密検査の結果はまだですが、
現時点では異常なし。更年期のホロモンバランスが崩れたことによる経血過多。それが、要輸血レベルの貧血を引き起こした、と。
精密検査の結果、ほかの原因があるにせよ、当面、貧血をなんとかせねば!
ってことで点滴を打ち(即効性だと、輸血なのですが、最終手段以外には使いたくないんです、私)、毎食後の鉄剤と週に数回の鉄注射の日々となりました。
調子がよくない自覚がなかったわけではないんです。
でも、私は11年前に出血過多で生死を彷徨った体験があり、血液不足の致死量を知っているだけに、調子が悪いけど、まだそこまでじゃない、って思ってしまったんですよね〜。
私のように経血過多で要輸血レベルの貧血を引き起こすケースは稀とはいえ、ないわけではないようです。
何がきっかけで、これはまずい!とやっと気づいたか、周囲がどうだったか、など、後学のために、記憶が新しいうちに、これから記録に残していこうと思います。
普段話さない人と話すと気づくことが多い
面識はあるけれど日常的なやりとりはなかったり、たま〜にしか会わなかったり、
そんな人と立て続けに会うと、気づくことが多い。
何に気づくかって、自分がどういう人間か、ってことに。
普段しない会話のキャッチボールは自分を映す鏡なんだなぁ。
だから、どうこうはないけれど、先週後半そんな感じの時間があって、
そのときはさらっと受け止めていたことが、だんだんじわじわときいてきています。
助けられて、やっと気づいて
お盆を過ぎたあたりから、体調があまりよくなく、それは自覚していたのだけれど、
でも目先のことはあるし、ともあれ日常生活を送れているので、メドがつく10月に入ったらクリニックに行こうと思っていました。
でも、本人が感じているよりも、本当のところは全然よくない。今の私は尋常じゃない。
気ぜわしい時は気づかなかった。いや、見て見ぬ振りをしていただけかもしれない。
先週後半、外で立ちくらみを立て続けに起こし、できるだけの時間を横になって過ごすありさま。
貧血がおそろしいことになっている、かろうじて致死量には達していないけれど(これは体験しているので、感覚としてわかる)。
地下鉄などの公共交通機関は階段を伴い、それがしんどい。踊り場でひと休み。かつ距離を歩けない。
バッグを運んでもらったり、車を出してもらったり、移動を付き添ってもらったり。
そこで顔色の悪さや容態の悪さに驚かれ、
周囲の目にそう映るということは、まさにそうなのでしょう。
週末、救急車を呼ぼうか迷ったけれど、それでも週明けを待って、今日、ようやくクリニック。
若い頃、チヤホヤされていたからに違いない!
実際に現地に行ってからの仕事の時間よりも、そこに行くための移動の時間の方が長い、なんてことはよくあります。
乗り合わせているのは、編集者だったり、カメラマンだったり、デザイナーだったり、関係者だったり、いずれにしろ大きな範疇では同業者ですから、同業者ならではの情報交換をしたり、悩み、とまではいかないけれど、分かり合えるような話をする一方で、
他愛のない話ももちろんします。
他愛のない話、ってのはなんらかの共通項があって成立するわけで、音楽とか映画とかテレビ番組とか出身地とか、そういう話がきっかけになります。
テレビ番組で顕著かな、と思うのですが、過去を遡れば遡るほど、年齢差って大きんですよね〜。
今、私は50代に突入し、そうすると、40代の方とは、2000年代以降のテレビ番組の話は問題ないけれど、小学生の頃となると、これが2〜3歳違うだけで、全然違うんですよね〜。
で、懐かしのテレビ番組の話とかしていたら、どうもすっきり噛み合わず「あれっ、いくつでしたっけ?」と訊かれ、「今年、50歳になりましたよ〜」と答えると、「そうか、そうでしたね。道理で。私、45歳だから、5歳違うと、認識が違いますよね〜」と。
「そりゃそうですよ、私が小学校6年生のとき、あなた、小学校1年生でしょ」
「その差は大きいですよね〜」
「そうそう。今、私、50歳ですからね。初老ですよ」
「初老って(笑)」
「いや、ほんと、そうですよ。だからその初老のおばさんたちが集まって女子会とかって言ってるの、心底おぞましい」
「(爆)それは、私からはなんとも」
「周囲が気を遣って言っている分には半分目をつぶるとしても、本人が言うな、って思わないですか?」
「男性である私からは、口が裂けても言えません(笑)。いやぁ、女子って言葉に対しては、もはや不感症になっちゃいましたからね〜」
「そりゃ、そうだ。でも、やっぱり私は気持ち悪いのよ。開き直るわけじゃなくって、おばさんはおばさんでいいんじゃないかって思っているんですよね〜。だって、実際におばさんの範疇の年齢なんだもん」。
で、いい大人の女性を捕まえて、女子と呼んで、でもって、その本人たちがきゃっきゃしているのって、いつまで経っても、本当に慣れない。
なんでだろうと思ったら、自らを臆面もなく女子と言っている人たちって、かつて“若くてかわいい女の子”ってチヤホヤされたんじゃないか、ってことに行き当たりました。
それがある年齢を超えると、チヤホヤされなくなる。
確実に老いている、そしてもはや“若くてかわいい女の子”ではなくなっている。
その現実を受け入れられないのかもなぁ。無意識にそこにしがみつきたいのかもしれない。
だから“若くてかわいい女の子”の代名詞的な“女子”って言葉をつけたがるのかもなぁ。
私にとっての、“女子”って言葉は、「おばさんのくせにおばさんと言われるのを異様に嫌がるんだよね。あ〜、面倒くさいな。はいはい、歳とっても、若くてかわいい女の子のくくりに入れてあげますよ、とりあえず言葉だけでもね」みたいなニオイを放っていて、小馬鹿にされてんな〜、って思っちゃうんだけど。
私? “若くてかわいい女の子”扱いを受けたことがない。
スペックが低いのと、そういうキャラクターのせいなのでしょう、“若くてかわいい女の子”としてチヤホヤされるのとはほんと、無縁だったなぁ。
チヤホヤってなんだ? どんなもんなんだろう? うれしいもんなのかな〜?って感じ、
とにかく、もはや女子でないおばさんに対しての“女子”って言葉は撲滅したいっ!
初老の私は強くそう思うのだ!
(あ〜あ、また敵を増やしちゃった!)
母親とか父親とか
女性としては、みたいな発言を聞くと(そもそも、なんで、個人の意見として言わないんだろう?)、
え〜っ、そうなの〜? 私は違うけど、
と首を傾げてしまうことが少なくなく、先日も打ち合わせで、
「男性の発想ですね。たいがい女性はこういう反応みたいですよ」
と言われ、あらっ、そーなの?と思った矢先、
「お父さんの方がつながりが強いですか?」と聞かれました。
父親とも母親とも自分はまったく違う人間だなぁ〜という意識が物心ついた時からずっとあって、
親になんでも話すなんてありえない!ではあったし(今もそうだけれど)、
おそらく親にあまりなつかない、親に全幅の信頼を寄せるタイプの子供ではなかったけれど
(こうやって書くと、相当嫌な、扱いづらい子供ですね。実際そうだったことでしょう)、
それでも言われてみれば、私という人間の本質を理解していたのは圧倒的に父親だっただろうな、とは感じていました。
母とは次元が違う世界に住んでいる、本質的にはわかり合えない、って思うから。
(なので、お互いに入り込まず、淡々としている感じ)
「父親とのつながりの方が強いか」と私に聞いてきた人曰く、「女親と娘は一体化しやすいんです。逆はまずないでしょう、性別を入れ替えた組み合わせもないでしょう」。
あ〜、そう言われればそうね。確かに。
友達親子って、母娘の関係性として語られるもんなぁ。
ゴシップに詳しいわけではないけれど、魔性の女とされている人たちって、父親のエピソードはするけれど、母親はそうでもないなぁ、とふと思ったりして。
私は間違っても魔性の女の部類ではないけれど(そんなのどこの世界の話、って感じ)、それでも記憶をのぞくと、「お父さんのこと、よく話しますね」と言われることに思いいたります。
そのせいか、彼女たちの発言に、そりゃそうだ、って妙に納得してまうところがある。
なんとなく一般的に女性はこう、とされる感覚とのズレは、娘と父親の関係性(同時に母親も)から来るのかもしれないなぁ、と思ってみたりして。
開いててよかった!
更年期の経血過多がつらいのは、量もだけれど、予測がつかないことでもあるんだなぁ、と知る今日この頃。
出先での仕事の場合、これまでの私だったら、予測がつくのとその方がリラックスできるから、出かける前にナプキンをとりかえていたけれど、
今は優先順位が変わって、約束の場所に到達するギリギリでトイレに行く、と。
だって、たま〜にびっくりするぐらいの経血量があって、予測がつかないんだもん
そんなときお世話になるのが、駅やコンビニのトイレ。
今までコンビニのトイレって使ったことがなかったから、こんなにもトイレを、しかも無料で利用させてもらえるところがあるんだ!とびっくりしつつ、本当にありがたいなぁ〜、と感謝しつつ。
コンビニでは何も買わないでトイレだけ利用は悪いので、飲み物を買ったりガムを買ったり。
最近やたらとペットボトルを持ち歩いているのは、そのためです。
いつも気にかけてくれてありがとう!
相性というのかタイミングというのか、人とのつながりって不思議ですねぇ。
プライヴェートでも、コーヒーショップで隣に座ったり、ライブ会場で脱げた靴を探すのを手伝ったり、とまさに一期一会ともいうようなタイミングで出会って関係が続く人がいるように、
仕事でも、不思議な縁でつながっている人がいるのよねぇ。
ひょんなことでFBでつながってほとんど会ったことないのに、いつも気にかけてくださったり、以前にちょっとしたことでヘルプをしたのを今も覚えてくださっているのでしょう、それは私にとっては些細なことだったにも関わらず、何かあると声をかけてくださったり、という仕事関係の方がいらっしゃいます。
正直、ここのところ、仕事が順風満帆といえない中で、声をかけていただけるのは、本当にありがたい!
そして、それらの案件には新しい要素も入っていて、視野も広がるし、勉強になるし、新しい可能性を探るヒントにもなる。
もうダメかもなぁ、と思うことは少なからず起こるのに、それでも何とかやり続けているのは、生死を彷徨って生還したためか、“生かされている”感覚と、こういう方たちに支えられているからなんだよなぁ、とつくづく。
本当にありがとうございます!