書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

書籍制作は毎度のことながら卒論を書いている気分

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当然、集中力ってものは長続きしないわけで。

メディアの仕事には短期戦もあれば長期戦もあり、

特急で記事作る(たとえば雑誌で、広告が入る予定だったページが急遽なくなり、急いでページを作らないといけない、とか)なんかは短期戦、

企画確定し発売まで短くても半年(たいがい1年はかかるかなぁ)の書籍の仕事は長期戦です。

 

書籍の仕事でも、パーツ受け、執筆だけ、とか、校正だけ、とか、パーツを担うのであればそれは短期の部類に入るのですが、

私の場合は制作指揮(映画いうと監督)の立場が多いので、となると、最初から最後までどっぷり。

忙しさの波はあるものの、それよりも気持ちがだれないよう維持する方が大事かな〜。

 

 

もうやりたくない!ってことはないんだけれど、

目の前にやることが山のようにうず高くなると、現実逃避したくなる。。。

解決するにはやるよりほかに術はないし、「終わらない編集はない」と思ってやるんだけれど、

なかなかの重圧よね。

 

卒論をうんうんうなりながらやっている気分。

 

それが複数冊進行で繁忙期が重なると、うわわわ〜、だけれど、

なんとかなる!し、なんとかさせる!って思っていて、

まあ、そうでないとやっていけないのかもしれないけどね。

 

 

書籍という卒論は世に出したあと、

売上げとか評価で、私自身の能力も査定され、

それが直接のPRなり営業になるので真剣勝負だけれど、

受け入れ方とうまく合致する時もあれなしない時もある。

 

そんなもんよね。

当たるも八卦当たらぬも八卦、でもやり続けないと当たるものも当たらないんだなぁ、というのも実感としてわかってきた今日この頃です。

 

 

きたきたきた〜! ついにきたかも

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私は1969年生まれなので、50歳にリーチです。

いつまでも若々しく、とは思っていなくって、

年齢相応、かつ自分が好きな恰好をすればいいと思っています。

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ここ10年ぐらい、そろそろくるだろう、いつきてもおかしくない、と構えているのが、

白髪、老眼、生理があがる、更年期障害etc

身体と、それに伴う気持ちの変化です。

10年前に生死をさまよったことが影響しているのか、

自分の身体に敏感、というか、変化も素直に受け止めようと思っているのだけれど。

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いつきてもおかしくない、と思って早10年。

じわじわ、というよりは、ある日突然くる、ともきかされて、そーか、と。

 

おっ、ついに、か?

それは一瞬の出来事だったのだけれど、

パソコンの文字がダブってかすれて見えたんです。

数分で、元に戻り焦点の合った見え方になったのですが。

 

 

そろそろくるよね〜、老眼。

これが老眼なのか眼精疲労なのかはわからないのだけれど、

老眼の兆しだとしても、なんらおかしくない。

 

にしても焦点が合わない、ってこりゃストレスだわ。

私は毎日を機嫌よく過ごしたい、と思っていて、そのためには体調もだけれど、加齢による身体の変化を受け止めつつ、ストレスが少ない方向へ対応していかないといけないんだなぁ〜、としみじみ。

関係者は一度は現場に行ったほうがいいよね〜

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書籍制作の指揮をしていて、わくわくするのは、

最初にデザインがあがってきたとき。

 

それまで、企画を練って、構成案を考え、リサーチ、取材&撮影をして、

がようやく形になる瞬間です。

 

 

現在、3冊の食書籍を進めていて、

うち1冊はいよいよ制作が本格始動し、

先日、デザインがあがってきました。

 

いや〜、いいね! いいね!

こちらのイメージをよくぞここまで具現化してくださいました!

 

 

もちろんそれは、デザイナーさんの手腕、が大きいのですが、

最初の撮影現場に立ち合ってもらえたこともあるんだろうな〜、と感じています。

 

もちろんプロだから、きっちり仕事はしてくださいます。

でも、微妙なところでピッタリはまる、のは、机上だけだとむずかしく、

肌感覚で理解していることが大事なんだな〜、って感じます。

そして結局、それが最終的な出来不出来を左右するんじゃないかな。

 

可能なら、早い段階で、1時間でも2時間でもいいから、

関わっている方に撮影現場に来ていただきたい。

著者や監修の方、カメラマン、ライター、編集監督、がどういう思いで臨んでいるか、って

言葉と空気感の両輪で、

あ〜、こういうもの作りたいんだな〜、というのが伝わるから。

 

 

ライターとして仕事をするとき。

書くのは行かなくてもできる、と思っている発注者が実に多い!

 

もちろんそれでお金をもらっている以上、それ相当の仕事はします。

でも、すごくいい!はできない。

だって、現場を知らないんだもん。

現場に(わざわざ)行かなくってもできる、って発注者が思っている以上、

そこまでの仕上がり止まり、ってこと。

 

それで目先のお金を浮かしているつもりかもしれないけれど、

結局のところ、たいした仕事してないじゃん、になって、

いいことないんじゃないかな〜。

 

 

なので、毎度は無理にしても、一度でいいから、

関係者は現場に行ったほうがいい。

生理って伝わるし、おまけに見る人が見れば、机上でやっているか、たとえ稚拙でも真摯に向き合おうとしているか、一発でわかるしね〜。

 

船頭はひとりでいい。何人も要らない

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いろんな立ち位置で仕事をしていまして。

映画監督よろしく、裁量を任されて書籍のディレクションをすることもあれば(ボリュームが多いので、比重としては大きくなります)、

雑誌のいち企画を担当したり(編集、執筆含む)、いち執筆陣として寄稿することもあります。

 

前者と後者の大きな違い。

それは、

前者の場合は、私が船頭であること

後者の場合は、たとえば編集長だったり、担当者だったり、ほかに船頭がいること

 

 

先日、執筆陣として仕事を頼みたいけど、原稿の手直しを渋りますか、

といった質問を受けました(間接的にだけれど)。

 

これ、私、全然、平気なんです。

なんでか、っていうと、私は船頭じゃないから。

 

いい悪いじゃなくって、全体のバランスをとったり、企画を引導するのは、船頭の仕事で、こちらがするのはそれに沿って仕事をすること。

なので、仕事を受ける時に、企画意図をできる限り汲むようにしています

(ただねぇ、ときどき、企画意図がなく、お題だけ言ってきて、こちらが渡したものに対してあーじゃない、こーじゃない、って言う人がいるんだよねぇ。。。その分ギャランティーに入っていれば話は別ですが)

 

逆にこちらが船頭のときは、こちらの意図を伝え、違うな、と思ったら修正をお願いします。

 

 

あるとき。

「ここ直していいですか」「ここはこうしたいんですけど」(事実関係、というよりも、文体だったり)、

いちいちフィードバックする担当編集の方がいて、

「全体のバランスもあるでしょうから、好きに直してもらっていいですよ」と言うと、

「なんで勝手に直したんだ!ってお叱りを受けることがあるんです」とのこと。

 

びっくり!

 

名が知れている、その人が書くことが大きな看板になる場合は別だけど、

いち執筆者の場合は、企画に沿った記事を書くのが仕事なわけで、作家先生とはわけが違う。

自分の立場、分かってるのかな。

 

 

誰がイニシアティブをとっているのか。

それによって、どういう振る舞いをするか、っていう単純なことなんだけど、ね。

 

私ってこんなに楽観的な人間だったのねぇ

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今年は確定申告をうずうずしながら待ち、

初日の2月16日(金)こそ出張中で行けなかったものの、

週明けの2月19日(月)には早速行っていきました

(オンラインでも、なのですが、毎年出向くのは毎年訊きたいことが出てくるから)。

 

というのも、早く還付金をもらわないと、明日のごはんが食べられない!

って状況なので、今。

 

 

現在、3冊の食書籍の制作指揮をしていて、

仕事の比率を大きく占めています。

本って完成するまでお金が入ってこないんですよね〜。

経費込みで丸受けだから、持ち出し、な状況で、

なので、制作期間はお金が出ていく一方。 

ricorice.hatenablog.com

 

それで、気がつけば青色吐息なわけです。

 

しかし、のんきというか、楽観しているというか(それは仕事自体はしているから、なんだろうけど)

リアル1カ月1万円生活を実況するか〜

貧乏ダイエット、もありか?

切り詰めてどこまでできるかやってみよう!

なんてことをついつい考えてしまう始末。

 

 

そのことを似た仕事をしている友人に話したら、軒並み、

フリーランスあるあるだよね〜!という返答。

 

そうなんですよね〜、フリーランサー歴が長くなると、

誰しも大なり小なり苦しい経験をしているので、

ちょっとやそっとじゃ動じない、というね。

 

「やっぱり、楽観的な人間じゃないとフリーランサーになれないよ」

「もうダメかも、と思ったら仕事が来るんだよね〜」

 

確かにそう!

思わぬところから、いちスタッフとして、ひとつの役割として冊子や雑誌の仕事をし(がっぷり大きな長期の仕事ではなく)、

ということは短期決戦なので、入金も早い仕事が舞い込んで

本当に、本当にありがたい!

 

ほんと、いつもこうで、だからこそひょこひょこ続けている、という、ね。

 

 

引き続き、仕事は絶賛受け付け中です! よろしくどうぞ!

 

針小棒大な“親日家”という飾り文句は要らない

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オリンピックに興味がない私のような人間にも、自宅にテレビをおいていなくっても、

ニュースってものは入ってくるわけで、

連日、オリンピック関連のニュースが耳に届きます。

 

うんざりするほどの日本人選手ばかりの報道に加え

羽生結弦選手や小平奈緒選手はもちろん掛け値なしにすばらしかった(んだろう。観てない)けれど、

同時にネイサン・ チェン選手や李相花選手がどれほどすごい選手なのかを、むしろ知りたくなった。

 でもね〜、あんまり報道されていないんだよなぁ。。。)、

???なものが、またしてもあふれていて、またしてもうんざり。

 

 

外国のスポーツ選手に“親日家”という形容詞をつけること。

こんなの、必要?

その選手のアスリートとしての資質にはまったく関係のないことよね〜。

 

スポーツ選手に限らず、だけど、政治家にしろ俳優にしろ、

「日本はいい国ですね」と発した言葉を、

舞い上がって“親日家”って表現し、

それが、イコールいい人になって、

彼らの本質を見ないって、どーゆーこと?

 

そりゃ「日本の印象は?」と訊かれて、

よっぽどのことがない限り、当たり障りのない、リップサーヴィスをするでしょうよ。

自分が外国に行って、その国の印象をきかれて

「ここがよくない、あれがダメ。がっかりだ!」なんて言わないでしょ。

それと同じこと。

 

いい人かどーかは、私にとってはどーでもよくって(それにいい人の定義はひとによって違うし)、

それよりも、スポーツ選手ならその競技の、俳優ならその演技を

見定めてそれに対して質問をし、それに対して報道をする、もんじゃないの?

 

資質と印象をごっちゃにして、本質をまどわせるようなこと、やめてほしいなぁ。

 

 

やさしく見守りたいし、やさしく見守ってほしいなぁ

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現在、3冊の食書籍のダイレクション/制作指揮(映画でいうと監督)をしておりまして、

なんせ本、なので長期戦であり持久戦であるのですが、

その中にも波があります。

 

ってことは、いつも緊張状態、ってわけじゃないってことです。

最初に全体の構成案を考えるとき、撮影&取材前後、デザイン用素材渡し(画像や文字原稿)、校正、といったとき、

また複数の案件を同時進行しているので、それらが重なるときはバタバタなのですが、

ときどきふっと落ち着く瞬間がありまして、

この日はまさにそんな日でした。

 

 

そんなときって気が緩むのか、たまたまそんなタイミングだったのか(生理の終わりかけだったので)、

朝起きたら、貧血。

本調子、といかない。

 

私は血圧が低く、気圧が低いともろ体調に影響するのですが、

それとは別に、でも滅多にないのですが、貧血になることがあり、

低血圧や気象病とはちょっと違い、明らかに血が足りないなぁ、歩くことは難なくできるけれど、なんだかフラフラするなぁ、ってのが自覚できる。

 

寝込むほどではないのだけれど、やっぱり本調子とはいかない。

こんなことが起こるのは、たいがい生理中なので、

当然、いつもより血液が減っていて、それが原因だと思うし、

それが証拠に長引くってことはないのだけれど。

 

 

私は生理に伴う体調や気分の変化があまりなく、

偏頭痛が、貧血が、腹痛(生理痛とは違う)が、

たいていは軽度、しかもたまにある程度なのですが、

それでもその日1日は、なんとなくしんどくって、

1日が終わるときは、今日は本当にお疲れさま!と、

その日持ちこたえた自分をねぎらいたくなります。

 

なので、生理が重い人は大変だろうなぁ、とつくづく思うのです。

軽症の私ですら、こんなですから。

「今、私、生理です!」とおおっぴらに言う社会では(まだ)ないけれど、

生理が重い人は起き上がることすらつらい、仕事や学校どころじゃない日が数日あるぐらいなので、

こういう日もあるよね、とやさしく見守りたいし、やさしく見守ってほしいなぁ。