書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

自分が受けた行為はループする

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初老といっていい年齢ですから、別段驚きはしないのですが、干支がふた回りと数年、25歳以上も若い方とお仕事でご一緒しました。

若いから、年上だから、という意識が希薄なものの、ちょっと時間があったので、他愛ない話をすると、若い方の感じ方とかいいな、おもしろいな、へぇ〜、そうなんだ!に満ちていて、刺激を受けるわけです。

 

そして、かわいいな、ではなくって、何というか、一生懸命さが心を打つ、っていうのかな。

がんばってやっているから、それを壊さず、バックアップする恰好で、一緒に仕事をしていきたい、と。

 

 

年齢を重ねた自分が、親子ほども年が違う若い方たちにこんな感情を持つとは思っていなくって、だからといって、妙な敵対心や距離感を抱くとも考えてはいなかった。

自分がどういう態度に出るか、何も予想していなかったんですね。

 

近頃の若いモンは!みたいな声を聞くと、そんなことない!と反駁したくなる。

なんでかな?って考えてみたら、自分がうんと若いときに、今の自分と同じような態度で周囲の方々に接してもらっていたことに気づきました。

 

それは、時代の空気感や職種にも関係しているのでしょうが、一言でいうと、

“のびのび”

させてもらっていたんですね。

 

要領は悪かったし、行き届かないことだらけだったけれど、

一生懸命やっているし、いっちょ協力してやるか、

みたいな心境で接してもらっていたんだと思います。いろんな方に協力していただき、かわいがってもらったのは実感としてあるし。

 

 

で、ふと、人間って自分が受けたことを他人にも施すんだなぁ、と思ったわけです。

そうよね、だってそれが前例、経験として自分の中に組み込まれちゃうわけだから。

自分がされて嫌なことは他人にしない、と思うときは、意識しているから、そういう行動に移すわけだけれど、そうでない無意識の行為というのは、こうやってループされるものなんですね。

 

なんだか、大発見をした気分です。