自分が推すものじゃない意味を考える
年末から、今年4月に世にでる企画のカバー案にかかっていて、
先日、確定した、との連絡が入りました。
(私の立場としては意見は言うけれど、決定権はないのよね)
そう、これになったのか!
たいてい、表紙、それに準じるもの(要はパッケージ、ね)は
何案か提出し、今回は6案。
いつものことながら、私がいいな、と思うのは選ばれず。
選ばれたものを改めて眺めて、なぜこれになったのかを考えます。
なぜ、自分がいいと思ったものが選ばれることがほとんどないか、ってのは、
制作サイドで渦中にいるから。
でも選定する方々は、制作とは離れたところにいる人もいるわけで、
ということは初見の方もいうわけで、ということはユーザーと同じ視点で見ることができる、ってわけで。
「こっちがわかりやすいのか〜」
「こっちが目を引くんだ〜」
なんてことに思いをめぐらせます。
こういうのって、これが正しい!ってのはないので、
だからこそむずかしいのだけれど、
自分が推すものが選ばれなかった、ってのは、
ものごとを客観的にみないとなぁ、があぶり出されるようで、
つい突っ走りそうになるなか、大事な機会が与えられているなぁ。