書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

「いちばん最初」「ダントツ1位」とどうつき合う?

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「いちばん最初」「ダントツ1位」とか、

話し言葉としてはついつい使ってしまうのですが、

これ同じ意味の重複表現、なんですよね。

 

「最初」にはすでに「いちばん」を

「ダントツ」ですでに「1位」の意味を持っているので、

「最初」「ダントツ」だけで、本来なら充分に尾見をなし得るのですが、

強調したいためか、「いちばん」とか「1位」をつけちゃうんですね。

 

話し言葉としては、すっかり定着した感があり、

逆に「最初」「ダントツ」だけだと、なんだか物足りなさも。

言葉は時代によって変わるので、まあ、そんなもんかな、と思っています

(目くじら立てる必要はあるまい)。

 

ただ、書き言葉となると、この重複表現、違和感があるんですよね、私。

なので、「最初」「ダントツ」だけで使うように気をつけているのですが、

先日、某雑誌で「いちばん最初」という表現を見て、

ついに書き言葉にも登場したか!と複雑な気持ちに。

 

その雑誌、部数も多く、認知度も高いでしょうから、

世に出る前に、何人ものスタッフの方の目をくぐってきたはずなのに、

いや校正漏れはどんなにがんばっても起こりえることではあるのだけれど、

書き手をはじめ、誰も気づかなかった、ってことは、

それだけ一般化している表れなんだろうなぁ。

 

私自身は、話すのはともかく、書くときはまだ違和感があるのですが、

そのうち、「最初」「ダントツ」だけで使うと、

逆に「いちばん最初」「ダントツ1位」と修正が入るようになるのかもしれないねぇ。

 

猛暑の屋外スポーツは狂気の沙汰としか思えない!

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現在、私は福岡市在住で、

ここ3週間ほど30℃超え。最高気温は連日35℃以上という、体温と変わらぬ暑さ!

最近は湿度が低いので、日陰だと一時的にしのげるですが、

それよりも外に出ると体に熱がこもり、

戻ると28℃設定の室内との自分の熱とのギャップが生じ、

一気に汗が吹き出て、ぐったりしてしまう、という有り様。

 

こないだも夕方、少し日差しが弱い、と思いつつ、

その日はスカートをはいていて、

脚に密着するもの(カルソンとかレギンスとか)を身に付けていなかったら、

脚に汗がつーっと伝わる、とめどなく。

ひい〜っ!

 

 

ここ1カ月ほどは人がいようがいまいが、エアコンはつけっぱなしにして、

状況に応じて温度や運転モードを切り替えていて、

このよく眠る私が、夜中に暑さで目が覚めたこと、すでに3回。

8月に入ったばかりで、これがあと1カ月は続くのか、と思うと、

うんざりしてしまう、私史上最高に暑い夏です。

 

 

もうさ、夏の高校野球はやめようよ!

この暑さだよ!

 

東京オリンピックも、私個人はず〜っと大反対で、理由はいろいろあるけれど、

一番はこの暑さ!(今年の東京の夏は福岡よりはマシなようですが、それでも、ね)

早く返上しようよ。

 

 

この国は、状況や時代が変わっても、死人が出るなど大惨事が起こらない限り、

いったん決まった事項を見直そうとしないのかしらん。

続いていることだし、すでに着手しちゃったし、は

何か起こったときの理由にならないと思うけどな。

(結局、誰も責任をとりたくないからなんだろうけど)

 

おばさんは高校の文化祭に来ないで!

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いつだったかなぁ、当時高校生の女の子と話していたときのこと。

「文化祭が近いんだー」って言っていて、

ちょうどそのとき、私、その高校の近くにいるスケジュールでしかも時間の余裕もあって、

「へえ〜、行ってみよーかなー」と返したところ、

それは“彼女に会いに行く”ではなく、

単純に“今の高校の文化祭ってどんななんだろう”って好奇心でだったんだけど、

「絶対に来ないで!!!」とのリアクション。

 

行きたい理由をさくっと伝えたけど、すかさず、NO!を突きつけられたので、

こっちもつべこべ言わず、やめました。

 

仕方あるまい。これも成長している証しだ!

ティーンエイジャーになって、大人にべったり、や、媚売ったり、は気持ち悪いわけで。

(なので、何でも言える仲よし家族って、う〜む、です。

 お互いにそれぞれ秘密があっていい、

 家族だからこそ一緒に暮らしているからこそ、言いたくないこともあるだろう。)

 

 

“文化祭に来ないで!”に代表されるように、
自分たちの領域に違う人種が入ったときの違和感が嫌なんだろうな。

(私が、ってことじゃないよ)なかには気持ちが青いおじさん&おばさんもいるけど、

そういうことじゃないんだよね。

大人が入ってくること自体が、嫌なんだよね。

視界に姿が入るのも嫌なんだよね。

同じ空気すら吸いたくないんだよね。

本当はそんなことない人も多数いるけれど、相手が年齢が上ってことだけで、

若者には重圧で、気を遣っちゃうんだろうなぁ。

 

あれ〜、自分だってそういう感情、経験済みじゃん!

 

 

だから、おじさん&おばさんは、若者から求められない限り、

自分から向かっていかないほうがいい。

NO!を突きつけられて改めて気づいたよ、ありがとー!

 

 

これ、リアルだけでなくネットも同じで、

ネットで、SNS、特にFBで、たいして親しくもないのに、
ずかずか人の領域に入り込んでくるおじさん&おばさんの、なんとまあ多いことよ!

・人のTLに勝手に投稿(それが自分宣伝の写真だったりする)

・うっとうしいコメントを入れる(自分のリンクをはったりとか、説教とか、まじ、たまらん!)

・勝手にタグづけをする

・勝手にタグづけをする

 

他者のTLは人ん家だからね! そこで、自分、自分、自分を強調するな、っつーの!

おばさんの私ですら、勘弁してくれ〜!なことに遭遇するのだから、

若者のストレスは相当だろう。。。

 

おじさん&おばさんは、とりわけ若者には距離と節度をもって接すべし、だなぁ。
彼らに気を遣う、ってことじゃなくって、自分も通ってきた道、若い心情を尊重しよう、だなぁ。

結局、熱量のあるものが訴えかけてくる

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出版不況と言われて久しい(この一因は自分たちある、と私は思っていますが)。

現在、私は

・イギリスの食研究家
個人事業主や中小企業の発信サポート

・出版物や販促物、ウェブメディアにおける編集や執筆

といった仕事を生業をしていて、キャリアだけみると一番長いのは最後の、

・出版物や販促物、ウェブメディアにおける編集や執筆

 

そんななかで本の編集(制作指揮、映画でいうと監督)をすることもあり、

出版社の方と打ち合わせの際に、

「雑誌連載があって、それをまとめて書籍にするのがいいよね」

って話になることがあります。

 

これ、何がいいかっていうと、

・経費を抑えることができる
ってことです。

 

イチから(というよりもゼロから、か)書籍を作るのは、

撮影も執筆もデザインもすべてなにもない状態からやるので、

お金もかかれば手間もかかる。

ただし、このやり方で圧倒的にいい点があって、それは
・熱のこもった本になる
ってことです。

ひとつの目標に向かって、ある一定期間、スタッフが一丸となって、

がーっと集中して力を注ぐので、
それってやっぱり形になったときにエネルギーを発するんですよね。

 

一方で連載をまとめる場合。

単にまとめる、となると、ソツのない本にはなるけれど、

パワーは感じない。

 

 

わかりづらいですか?

音楽業界も変わってきているので、こういう例はふさわしくないかもですが、
例えとしてわかりやすいので、述べますね。

 

・ゼロからスタートの書籍 → コンセプト・アルバム
・雑誌連載をまとめた書籍 → シングル・コレクション

 

どっちに熱量を感じるか、というと、圧倒的に前者です。

後者は、まとまって便利だわ、っていう認識かと。

 

音楽でいうシングル・コレクションに該当する書籍に向いているのは、
中に入っている要素がそれぞれ並列であるもの、

そしてまとめるときも強弱をつけず並列にしたいもの。

たとえば、“月ごとの和菓子” “各都道府県麺紀行”とかね。

 

ただし、雑誌連載をベースにしながら、並列でないもの作るときは、

写真は雑誌連載から使うとしても、

大幅に変えた方がいい、ってのが私の持論。

となると、編集および執筆はいくら素材があるとはいえ、最初からになる。

その分は経費はかかるんだけれど、

ぐっと新しい息吹が加わり、雑誌連載と違ったおもしろさがある。

音楽でいうと、リミックスになるかな。

 

なので、“どういうものを作りたいか”によって、

雑誌連載を書籍にどう料理するかは変わってきます。

単に経費の面から、“とりあえずまとめちゃいました”だと、

そこには気概も思いもないわけで、

「作り手がそんなスタンスで、どうして読者を熱狂させられるかなぁ」

と思うわけです。

 

パワーを注いだものってのは、一見書籍という無機質なものにも

ちゃんと宿るわけでして。

FBのおじさん&おばさんの自分語りはうっとうしい!

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SNSも多種多様になり、使い分けって大事だなって、最近つくづく。

FBについては、私は積極活用していなくって、

もっぱら自分のスクラップブック(情報収集)のためと

とりあえずブログの更新のお知らせなどを通して、生存状況を報告ってところ

(一緒に仕事をしている人たちの多くが物理的に離れた場所にいるので)。

 

その傾向はますます強くなっていて、

ニュース、特に海外のものは頻繁にチェックしているせいか、

ニュースフィードに上がってくる頻度も高く、

最近ではまずはここで日々起こっていることを確認してから、

それぞれのサイトにとんでいっています。

このニュース、興味あるでしょ?ってあがってきて、

実際そうだったりするので、たいしたもんだ!

 

そんななか、あ〜、まただよ〜、うっとうしいな、ってのが、

おじさん&おばさんに多い自分語り。

 

・こんなことありましたよ〜

・こんなもの食べちゃった

・ここに行ってきました

みたいなのは微笑ましい(こーゆーの私、さほどリア充とは感じないんですよね〜)。

 

ときに
・もう、怒った!
・うれしいことあってね

・こんなヘマしちゃった
みたいなのも、この人ってこんな面があったんだ、って親近感が沸いたりする。

 

 

が、なかには、
えんえんと自分の思いを述べる自分語り、
・世間で起こっていることに対して物申す
・こんな信念で仕事をしている
・近頃の若いモンは!
を糸口に、結局は、自分が正しい、自分を認めて! 自分は悪くない! 他者をマウンティング
を長々とされたら、心底うんざり!

(稀に、実に客観的な、なるほどね〜、みたいなのも存在しますが。稀に、ね)

 

よっぽど日常生活で満たされていないのか、

FBといういいおもちゃ(気軽に投稿できる)を手に入れたがためか。

両方なんだろうけど、こういう人たちには近づきたくないなぁ、というのが本音。

だって、おれ様&ワタクシ哲学(そこに他者目線はない)でガンガンきそうなんだもん!

 

自分語りをするおじさん&おばさんに提案。

それ、ブログ(もしくはツイッター)でやんなよ!

ハコが変われば印象が変わる。同じことでも、

へぇ〜、こんな意見もあるのね、いいこと言ってんじゃん、

になる可能性は高い!

(できれば客観的な視点にするか、思いっきり自分!にするか、にふるといいと思うけど)

せっかく、が、かえって、になるのってもったいないよね〜。

 

結局ね、FBってたいして仲よくない人の投稿も

勝手に(← これがポイント)ニュースフィードに上がってくるから、

求めてもいないのに自分語りの長文爆弾に当たっちゃうから、

それっていきなり腕をつかまれて説教されているようなもんで、

だから辟易しちゃうんだと思う。

 

ブログだったら、検索でたどり着くか、自分から求めていくわけで、

頼んでもいないのに勝手に遭遇する、ってことがない。

 

 

そう、FBの友だちはゆる〜いつながりだから、

こうだったよ、といった報告、こう思ったよ、という感想、は向いているけれど、

自分の考えを長々と述べる場としては不適当だと思う。

 

See more(もっと見る?読む?)が出てくるような投稿

(でもワンクリックって手間だから、実際のところ、ほとんどの場合、見ない)、

おれ様&ワタクシ哲学を頻繁にやられた日には、

うへぇ〜、だよっ!

 

 

ずっと、FBはうっとうしいことが目立つなぁ、と思ってて、それはなんだろうと考えていて、

そういうことか!と自分なりに解釈。

頼んでもいないのに勝手に人の投稿が流れてくる、っていうのが最大の要因。

(もちろん、設定はできるけど、いちいちするのは正直、面倒)

 


まあ、私とて、立派なおばさん(そろそろ初老?の域に達しているから)、

SNSネイティブの意見をぜひきいてみたいもんです!

 

飲み物は水でいい。水がいい。水もいい。

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飲食店で飲み物の注文を訊かれて、

「水でいいです」

と答えるのは、いかがなものか、

・常識がない、

・マナー違反

・周りの大人は何を教えているのか
といって声がきかれます。

飲食店側の言い分は痛いほど分かるんですよ。その理由はおもにこれ。
・利益が出ない(特にドリンクメインの居酒屋やカフェ)

 

 

でもね、これってあくまで飲食店側の利益構造に基づくものでしょ。

私は、売れているもの、目立ってきたもの、

が正しい!と思っていて、

それはつまり、
・時代は変わる
ってことなんです。

事実、常識もマナーも時代によって変わるわけだし。

既成概念を、店側の論理を、前提に話をしても始まらない。

であれば、それに見越してどう対応するかになるんじゃないかなぁ。

変化するものに対し「そうじゃない!」と言うヒマがあったら、

じゃあ、どうする?を考え実行する方がずっと建設的です。

逆手にとってうまく商売に結びつけるってやり方もあるわけしょ。

お客を選んでもいい。

 

どんなビジネスでも、「じゃあ、どうする」は常に考えていかないといけないし、

変化に適応したものだけが生き残るんだと思うんですよ。
一見、変化してないように見せて、実は戦略的にマイナーチェンジしているってこともあるわけだしね。

 

 

こういうのを、お店とか当事者が意見を言うならともなく、

上から目線で、「私はちゃんとやってます〜!」を叫ぶ人たち(おじさん&おばさんに多い)が

うざくてしょーがない!

我こそは正義!って、これも一種のマウンティングだわ。

 

これはまったく笑えない、校正あるある

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いやぁ〜、実に身につまされる。

しょっちゅうはないのですが(しょっちゅうだと困る)、

これと似たような経験、何年かに一度は経験しています。

 

キングコング西野氏の本の帯において、

ダブルクォーテーション・マークを「洋モノ」から「和モノ」にして欲しい、という指示、

親切にやったがために起こってしまった事故(↓)。

lineblog.me

そう、通常は朱字は朱字で入れるのですが、

ときどき、これは紛らわしいな、と思うものは間違い防止のために、添え書きをします。

 

例えば、二とニ。

前者は漢数字の二で、後者はカタカナのニ。

前者であれば二(漢数字の“2”)、後者であればニ(かたかなの“に”)

などと添え書きをしたります。

 

これをですね、そのまま朱字として反映される、ってこと、確かに起こるのです。

幸いにして、私の場合、世に出る前、

その朱字が直ったかどうかのチェックで、あわあわして、

もう一度朱字を入れ直して、ことなきを得てきているのですが、

いつ起こってもおかしくない! 特に責了の場合は。

 

 

これ、西野氏のブログにアップされていた朱字をみていて、改善できる点があるとすれば、

・朱字以外は朱字で入れない


“和モノ”という言葉も朱字で入っていますが、

これ自体はあくまで添え書きで、反映させる必要はないので、

“これです”同様、青字(もしくは赤でない色)、ふせんを立てるか、で

添え書きであることを強調する、と。

 

実際、私の経験でそのまま朱字として反映されたケースって、

このくらいわかるだろう、でも一応書いとくか、とほかの朱字同様、

赤い色で書いていたような。。。

 

 

あと、ひとつ疑問は、DTPに移行して、完全データで印刷所に渡すことが圧倒的に多くなり、

それはつまり、朱字が直ったかどうか最後まで制作サイドが確認して、

間違いなし!となったデータを印刷所に渡す(これ、校了といいます)、のですが、

そうではなく、責了(印刷所に最終修正&確認を任せること)だったってことか。。。

 

とりわけ表紙とか帯とかパッケージは目立つので、

いくら修正で朱字が少ないとしても、

責了ではなく校了に、の教訓かもです。

 

 

言い訳ではないけれど、人間のすることなので、

それでも見落とすことはあるのが哀しい限りですが、

やってる方は好きで事故を起こしているわけではない。

とはいえ、間違いは最小限に食い止めたいので、

身につまされて、心中お察しします、自分も気をつけねば、なのであります。

 

見方を変えれば、マニア垂涎のレアといえばレアな帯だし、

今の時代、特に彼の場合、炎上と揶揄されても、な部分はありますが、

この件については、制作サイドの気持ちが痛いほど分かり、

同情を禁じ得ません。

 

その後、Yahooニュースで、悲劇は続いたようで。。。